第42話 終わってる、そして逃走

 アイリスの料理は、俺の不安をそのまま反映させたのか、ものの見事に開幕から失敗していた。


 彼女が手にした包丁が、綺麗な断面を残して野菜とまな板を切り裂く。


 台まで切断しなかったのは、アイリスなりに手加減したからだろうか?


「あ、アイリス殿下……これは一体……」


 野菜はともかく、まな板の惨状を見た料理長が顔を青くする。


 それに対してアイリスは、


「……どうやら、このまな板は傷んでいたようですね」


 と開き直った。意味不明な理由である。


「え? あ、はぁ……なるほど。そういうことでしたら、今度はこちらのまな板でお願いします」


 料理長は「そんなわけないだろ」という言葉を呑み込んだ。


 わかるよ……相手は王女殿下だからね。無駄な口など叩けない。


 たとえそのまな板が新品同様に綺麗であろうと関係ないのだ。アイリスが白と言ったらカラスも白くなる。


 新しいまな板を受け取り、今度は、アイリスは真剣に手加減をした。


「まな板は切らない……まな板は切らない!」


 料理をしてる人で、まな板を切らないよう努力する人を初めて見た。


 隣に並ぶナナも、


「不安になってきた」


 と小さくもらす。


「そうだね。このままだとどんな料理を食べさせられることか……」


 いっそ食材を生で食べたほうがマシだと思えてきた。


 一応、彼女は刃物の扱いだけ苦手だと信じて、そのまま料理を見守る。


 すると、今度はまな板を切らずに野菜だけを切断する。


 ——綺麗に真っ二つに。


「もっと細かく切れよ! というか切るものはしっかり押さえて!」


 思わずアイリスの手捌き? に文句が出た。


 アイリスの奴、最初もそうだったが、なぜか切るとき包丁を持った手しか動かさない。


 力も速度もあるからそれで野菜は切れるが、途中で吹っ飛んでいったら困るのでちゃんと押さえてほしい。


 はらはらクッキングは続く。




 なんとか俺の不安をよそに、アイリスは野菜を次々に切っていった。


 割と切られた野菜はまだ太いが、まあ食べられないほどではないので我慢する。


 問題はむしろここからだ。




 ▼△▼




 野菜を切ったら次は、野菜を焼く工程に入る。


 フライパンみたいなちょっと特徴ある形の道具を渡され、火の上に乗せた。


 この世界にはコンロみたいな便利なものはないからね。火もちゃんと薪を燃やして焚いている。あとで洗うのが大変そうだ。


「次はこれを焼けばいいんですよね?」


「は、はい。生焼けはあれなので、しっかりと焼き色がつくまでお願いします」


「かしこまりました!」


 アイリスは元気いっぱいに答えて野菜を次々にフライパンへ投入する。


 熱せられたフライパンの上で、野菜が見事に踊っていく。


 ——が。


「野菜がデカすぎて炒めるのに向いてねぇ……」


 あれじゃ火を通すのに時間がかかるだろ。


 小さいのもあるし、下手すると焦げるぞ。


「いい感じですね! このまま焼いていけばいけそうな気がします!」


 アイリスは大変前向きな女の子だ。


 ぜんぜん焼けていないのに焼けていると勘違いしている。


 典型的に料理が下手な子だ。というか、もはや下手以前の問題。


 野菜はしっかり切れ、だ。


 しかし、ここまでは大きな問題もなく進んでいる。まな板ひとつの犠牲くらい軽いものだ。


 徐々に焼き目がついてきた野菜たち。それをじーっと見つめるアイリス。


 そろそろ焦げ始めてるからもういいと思うが……アイリスは一向に野菜を外には出さない。


 焦げ目が広がっていく姿を嬉しそうに見ている。




 あいつ……焦げてるほうが美味しいとか思うタイプか?


 普段、自分が食べてるもので焦げてるのあったか!? ないだろ! 普通に体に悪いから止めろ!


 たまらず止めに入ろうかと思ったが、アイリスの笑みを見たら止められなかった。


 俺……あの子のことめっちゃ好きやねん。可愛くて許しちゃう。


 隣ではナナのジト目が刺さるものの、気づかないフリをした。


 そこへ、料理長が調味料を置いていく。


「これを使って肉とか野菜に味をつけると美味しくなりますよ。ユウさんはたしか、調味料が多い濃い目の味付けが好きらしいですし」


 おっ。さすが料理長。ここ最近の俺の好みをしっかりと把握してるな。


 駄々を捏ねて頼んだ甲斐がある。


「なるほど……ユウさんは調味料がたくさん入ってると喜ぶ、と」


 ——ん? なんだかいま、もの凄く嫌な予感がした。


 厳密には、その調味料、一体どれだけ入れるつもり——。


 思考より先に、アイリスが行動に移す。


 半分近く焦げてきた野菜の中に、どばどばっと調味料をぶち込んだ。


 中身が半分は消える。


「アイリス殿下ぁ!? さすがに、それは入れすぎでは……」


「え? そうなんですか? 大丈夫ですよ。調味料が好きならこれくらい、ユウさんは食べてくれますから」


 無理無理無理無理ぃ!!


 容器の半分の調味料って、もはやそれ調味料食べてるようなもんだから!


 本格的に身の危険を感じた。


 俺は踵を返す。これまでのことはなかったことにして、ナナに告げた。




「ナナ……今日は外食にしよう」


「賛成」


 俺とナナは近くの窓から外へ逃亡した。

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