第7話 自己評価

「この部屋はパワースポットか何かなのか?」


 仕事から帰ったエドワードは、アリエッタのいる客間の入口にたまる使用人たちにため息を吐いた。


 全員女性だったし、「可愛い」とリチャードを褒めるのは悪い気がしないから最初は放っておいたが、いまではリハビリ時間になると非番の者も含めてこの部屋に来る始末だった。

 

「仕方がありません、お二人はいまやウィンソー邸のアイドル。その愛らしさは天使の如くと言われ、見た者には幸運が訪れるといいますもの」

「ここに来れば普通に見られるのに、まるで幻の生物扱いだな」


 家政婦長補佐のノラの言葉にエドワードは呆れたが、すぐにその目が真剣なものになる。


「アリエッタはどのくらい回復している?」

「ターナ様によれば予定通りとのことで、三日後から廊下を歩く練習をする予定だそうです」


「害虫駆除の業者は?」

「予定を変更し、明日来ることになりました。山小屋の駆除は依頼した方が到着に二カ月ほどかかるそうですが……」


「二カ月は長いが、仕方がないだろうな。明日の害虫駆除はアリエッタとリチャードの部屋を重点的にするように。リチャードが虫に刺されたり、アリエッタが虫に驚いて転んだりしたら大変だからな」

「承知しております」



 その二日後、アリエッタとリチャードの部屋で火事が起きた。


 火事といっても害虫を燻煙駆除するために焚いていたお香が原因で起きたボヤだった。

 石造りの建物だったため隣室にまで延焼することはなかったが、焦げ跡や煤で汚れた上に、消火のために部屋の中にあったものが水浸しになってしまった。



「まあ、そんなことがあったなんて全く知りませんでしたわ」

「すまない……邸内で、ほら、あの『ゴ』から始まる黒い虫の発見が相次いで、君とリチャードの部屋に出ないようにしなければと徹底的な駆除を指示したせいで……」


 生命力の強い例のアレを徹底的に駆除するため、依頼した業者は新しく開発したばかりの燻煙剤の使用許可を求め、エドワードはそれを許可した。

 業者の仕事に立ち会った使用人によれば、「これならヤツを倒せる」と思えるほどの煙の量だったという。


「まさか絨毯に引火するとは……聞けば今までは石床でしか使ったことがなかったらしい」

「公爵邸の絨毯は毛足が長くてふかふかですものね」


 そういうわけで、とエドワードは用意させたカタログをアリエッタの前に積み上げた。


「休憩時間にでも選んで欲しい」

「……こんなに、ですか?」


「ベッドや化粧台といった家具はもちろん、壁紙や絨毯も新しくしないといけないんだ。しかも、君とリチャードの部屋二つ分だから。おもちゃのカタログはすでにリチャードの手元にある。好きなものに丸を付けるように言ったら、ページのほとんどがクレヨンの赤い丸で埋め尽くされているらしい」


 リチャードの様子がありありと頭に浮かび、困ったようにアリエッタは微笑む。


「オモチャについては諦めるべきだな。父さんと母さんがもうデロデロで、リチャードが『これ』というたびに『どうぞ、どうぞ』という状態だからな」


 ローランドたちはアリエッタがこの三年の記憶を失っていると聞いてもイヤな顔ひとつせずに受け入れて、「忘れてしまったなら、また思い出を作ればいい」とまで言ってくれたのだった。


 そんな懐の広い二人は孫のリチャードに夢中だ。

 この二年間毎日こんな調子だったのだろうかと唖然としてしまうくらい、毎日ハイテンションでリチャードに構っている。


 アリエッタのところに来るときもいつもローランドかアネットに抱っこされており、ミリアムによれば屋敷内の移動は常に抱っこで歩くことを忘れてしまいそうとのこと。



「小父さんたち……ヴァルモント伯爵夫妻の形見は燃えても汚れてもいないから安心してくれ。宝飾品はうちの宝物庫にあるし、家具や肖像画はヴァルモント邸で定期的に手入れしているから」

「ありがとうござい……あ、懐中時計は?」


アリエッタにとって最も大事な形見は、アリエッタの十歳の誕生日、家族で最後に過ごした誕生日に描いた家族の肖像画が内蓋に入った懐中時計だった。


 ヴァルモント伯爵家の家門が彫られたその懐中時計。

 元々は父セシルの愛用品だったが、家庭教師から時間を習った八歳の頃に父に強請って譲ってもらったのだった。


「懐中時計はまだ修理中で火事の被害にあっていない。修理を依頼した店の爺さんによれば歯車が狂っているから直すのに時間がかかるらしい」

「修理中でしたね。すみません、忘れていました。大切なお守りなので、しっかり治してもらえればとても安心できます」


「あの時計には本当に感謝しているんだ……君があのとき持っていてくれて本当によかった」

「きっと両親が私を守ってくれたのだと思います」


 アリエッタは自分の言葉でエドワードが複雑そうな表情をしたことが不思議だったが、少し考えてみたらその表現ではエドワードは役に立たなかったと言っているようだった。


「セシル小父さんは空で俺のことを怒っているだろうな」


「そんなことありません、父も母もエド様たちウィンソー公爵家の皆様に感謝しているはずです。次期公爵夫人としての役割は愚か、公子夫人として仕事のイロハも思い出せない私なんかに……「アリエッタ」」


 話を遮るエドワードにアリエッタは驚く。


「……話を遮ってすまない。でも……頼むから、『私なんか』などと言わないでくれ」

「エ、エド様……?」


 懇願するような声で、泣く一歩手前のような表情をするエドワードにアリエッタは驚いた。


 自慢にはならないが、アリエッタは自分の自己肯定感が低いことを自覚していた。

 何ごとにも自信がなくって、本当にそれでいいのかと何度も何度も確認してしまい、結果として機を逃してしまうのだ。


(治さないといけないと分かっているのだけれど……でも、私にも大きくて無謀な決断をしたことがあったような……あれは……)


「痛っ!!」


「アリエッタ!?」


 急に痛み出した頭をアリエッタが抱えると、エドワードは慌てた声を出しながらもベッドのサイドテーブルに手を伸ばし、置いてあった使用人を呼ぶためのベルを盛大に鳴らす。


―――ダメよ。


 制止する声がしたと思ったら、扉が閉まるような音が響き、アリエッタはその衝撃に耐えられずに意識を失った。


―――勇気がなくて、ごめんなさい。


 アリエッタの世界が真っ暗になる直前、そんな声が聞こえた気がした。

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