第6話 回復

「……そうだったのね」


 翌朝、事件のことが載っているというミリアムの言葉と共に渡された新聞を読んだアリエッタは事件について知った。


「公爵家が運営している救護院に行った帰りに襲われたのね」

「いつも使っている道で騒ぎが起きたため迂回したそうです」


 アリエッタは反射的に腹部のキズを押さえる。

 手厚い治療と時間、そして痛み止めの薬のおかげで死にそうだった痛みは鈍痛になっている。


「貴族の馬車を狙ったのだから……物盗りだったのかしら」


 でもわざわざウィンソー公爵家の馬車を狙う?


「ウィンソー公爵家と分からなかったのかもしれません。誰もがウィンソーの紋章を知っているわけではありませんし、事件が起きた場所は公爵家の救護院からも離れていますから」


 ミリアムの言葉にアリエッタは納得し、同時に残念な思いもした。

 事件の記事と聞いたアリエッタは、読めば記憶が戻るのではないかと期待していた。



「そんなに焦ることはない」

「エド様」


「すまない。扉が開いていたし、この騒ぎでは気づかれないと思って勝手に入ってきてしまった……しかし、本当に始めるのか?無理はしていないか?」


 例の新聞が出た三日後、ハリーが外部の医者を公爵邸に招くことを提案した。

 その背景にはアリエッタのケガが公になったことでハリー以外の医者に協力を求められるようになったことがある。



「エド様、大丈夫ですよ。私も早く歩けるようになりたいですし」

「……しかし」


 心配で仕方がないというエドワードにハリーは呆れた溜息を吐く。

 新聞が出るときは「覚悟している」といって落ち着いていたのに、いまはワタワタと落ち着きなく、その大きな体格も相まって正直鬱陶しかった。


「エドワード様、落ち着いてください」


 怒鳴りたい気持ちを、医療院時代からは想像できないほどの貯蓄額を思い出しながら我慢する。

 相手は雇い主の息子なのだ。


 自分が招いた医者はやり難くないだろうか。

 ハリーはエドワードから目を離してアリエッタのほうを見ると、イスに座ったアリエッタは若い女性の医師と楽しそうに話をしていた。



「アリエッタ様、大事にされていますわね」

「……そうでしょうか」


 回復術の専門家だとハリーに紹介されたターナの言葉にアリエッタは頬を染める。

 アリエッタが頬を染める理由が羞恥だけでなく歓喜も混じっていることに気づき、ターナはこの二人は仲のいい夫婦なのだと思った。


(夫婦仲がよいのはいいけれど……私を鬼か何かを見る目で見ないで欲しいわ)


 エドワードの視線に気づいていたが、ターナは完全に無視した。

 しかし、無視していても聴覚がエドワードのぼやく声を拾うのだ。


「この、似た者母子おやこめ……アリエッタ、本当に無理をする必要はない。まだ痛みもあるのだろう、ゆっくり治したほうがいい」


 私は母に似ているのか、とターナはハリーを見た。

 直ぐ傍にいるのだから母ハリーにも聞こえたはずなのに、完全に無視している姿から「うん、似ているな」とターナは納得した。



「エド様、心配してくれてありがとうございます。でも、ターナ様は専門家です。私も早く歩けるようになりたいので、私はターナ様の指導にお任せしたいですわ」


 「そうだ、そうだ」とターナはアリエッタを応援する。

 

 そもそも回復術において患者もしくは患者家族の「まだ早い」に耳を貸していたら、いつまで経っても先にすすめないことは経験上分かっている。


「ターナ、自分の技術に自信をもちなさい。こういう場合は聞こえない振りが最適解だよ」


 母の声にターナは頷き、「おい、聞こえているぞ」という患者の夫の言葉を完全に無視した。



「アリエッタ様、傷口をかばってか左側に体重がかかっていません。ゆっくりと、少しずつでいいので左足にも体重をかけてみてください」

「ええ、分かったわ」


 ターナの言葉にアリエッタは頷いて返し、何回か深呼吸して鈍痛を逃すと、イスの座面についた両手に力を入れて上半身を浮かせる。

 まずはゆっくりと、痛みの少ない右足に体重をかける。


「その調子です」


 アリエッタは再び何度か深呼吸して、ターナに言われた通りに少しずつ左足に体重をかけていく。


「その調子です。痛みが強くなったらやめて、休んでください。公子様がおっしゃるように無理をする必要はありません」


 アリエッタは声を出す余裕がなかったが、頷いて応えた。

 そんな素直なアリエッタに、指導をしながらターナはこの仕事を引き受けて良かったと思っていた。


***


 ターナは回復術の専門医で、元は医療院に所属していたが、いまは町医者である。

 王都の貴族街に近い庶民の住宅地で、同じく回復術の医者である夫と診療所をひらいている。


 診療費用は低め日程しているが、回復術に特別や薬や道具は必要なく、一人の患者がそれなりの期間指導を受けるため、夫婦二人が食べるのには全く困らない経営ができていた。


 そのため、母から「いま看ている患者に回復術を指導して欲しい」と言われたときは断った。


 母ハリーはウィンソー公爵家の主治医で、その母経由で来る依頼など貴族絡みに違いないし、同じ回復術の医者で医療院所属の兄ではなく自分に依頼をしてきたことから、患者が女性であることも想像がついた。


 ターナが医療院を辞めた理由は『貴族の女性』だ。


 回復術は外科や内科と違って手術をしたり、薬を与えたりはしない。

 衰えた運動機能を回復させるため、患者自身に動いてもらうことになるし、痛いことも多少は我慢してもらわなければいけない。


 それなのに貴族の女性は「無理だ」「痛い」といって泣くし、「あなたの教え方が悪いのよ」と逆ギレもする。


 イケメンの男性の医者ならば「がんばりますぅ」と頑張ってくれるらしいが、万が一を防ぐために女性患者の家族は女性の医者を求める声が多い。

 結果として、誰も幸せになれない、患者の運動機能はあまり回復せず、ターナは医者としての評判を落とされて終わるのだ。


 力とスタミナを必要とす回復術の女医の数がとても少ないところにこの仕打ち。


 それでも先ほど述べた理由から女医の指名率は高く、ターナも十日連勤は当たり前、二十日連勤もそこそこあるという状態。

 そして十何回目かの三十日連勤を経験した日、疲れとストレスが最高潮まで高まっていたターナは「新しい依頼が」という医療院長にずっと持ち歩いていた辞表をとうとう叩きつけたのだった。


 ターナのそんな背景は母ハリーも知っていた。

 だから一度断れば諦めると思ったが、ターナの予想を裏切ってハリーはターナに何度もお願いし続けた。


 そんなに断れない依頼なのかと訝しんだとき、ハリーと一緒に診療所に来ていた公爵家の使用人らしき人物が破格の報酬を提示した。

 しかも、この依頼を受ければヴァルソー商会がターナたちが運営する診療所の後ろ盾になるというのだ。


 この後ろ盾は管理ではなくて保護。

 つまり運営の自由は維持され、誰を治療するかと患者の選択権もターナたちにある。

 自分たちをみろという貴族がきたらウィンソーの名で追い払って構わないというのだ。


 こんな美味しい条件のためだったら、どんな苦労でもどんとこい。


 そんな覚悟で受けた依頼だったが、最初でつまずいた。

 公子妃と紹介された患者のアリエッタはとても穏やかな人物で、素直に自分の言葉を受けいれて努力する、理想の患者を絵に描いたような人物だった。


(シロクマみたいな公子様の睨みに耐えるだけなんて、本当に美味しい仕事だわ)



 こんなエドワードの過保護な心配を無視しながら回復術を施した結果、アリエッタはゆっくりではあるが歩けるようになった。


 壁を支えにしてゆっくり歩くアリエッタの後ろを、母の真似をして壁に手をついて歩くリチャードの姿はウィンソー公爵邸の癒しであった。

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