第4話 妻

 アリエッタの予想通り直ぐに眠りについたリチャードを抱いて子ども部屋に戻ったエドワードは、窓辺に置かれたベビーベッドにリチャードをそっと下ろす。


 待機していたトーリが「エドワード様」と声をかける。

 ミリアムには呼びに行かせたが、アリエッタがリチャードをなだめていると聞き、二人の邪魔しないようにトーリは子ども部屋でリチャードが来るのを待っていた。


「あとは私がやります……アリエッタ様のご様子は?」

「痛み止めが切れたのだろう、ハリーがきて薬をうったら直ぐに眠った」


 弱弱しいエドワードの声に、幼い頃のエドワードを思い出したトーリは苦笑する。


「なんです。一児の父親がそんな情けない声を出して。アリエッタ様の強さを見習ったらどうですか」


 アリエッタの強さ、といわれてエドワードは眉間にしわを寄せる。

 リチャードのために痛みを堪えて微笑み、ぐずるリチャードを抱き寄せて背中を優しく叩くアリエッタの姿がエドワードの頭にこびりついて離れなかった。



「ほらほら、アリエッタ様もリチャード様もお眠りになってやることがないならお仕事なさいませ。、山小屋の害虫駆除について執事長ヴィクターが探していましたよ」


 トーリの言葉にエドワードは「そうだったな」と表情を貴族のそれに変える。


「父さんは?」

「今夜は奥様とフォルト子爵の夜会に参加するため、山小屋の処置はエドワード様に一任するとのことです。私としては巣もまとめて焼き払っていただきたいくらいですよ、もう見るのもイヤです」


 殺処分を提案する過激なトーリにエドワードは苦笑する。


「追い払うだけで十分さ。ただし、二度とこの地に足を踏み入れるなどと思わせないようにはしないとな」

「ご注意なさいませ、あのような害虫は本当にしぶといですから」


***


「ああ、疲れた」

「お帰り」


 深夜を過ぎた時刻だったが、夜会服姿のまま書斎に入ってきた父ローランドをエドワードは仕事をしながら出迎えた。


 ローランドはエドワードの手元の書類をのぞき込み、「山小屋の虫退治か」と呟く。

 そんな父親からは彼の吸わないタバコの香りがして、その満足とは言い切れない表情に不安を覚えた。


「フォルト子爵はなんと?」


 エドワードは侍女が置いていった紅茶のポットを持ち上げ、もう一つ用意されていたカップに注ぐ。

 温くなった紅茶がかろうじて細い湯気をのぼらせる。


「アリエッタを襲った暴漢についての捜査はうちで引き継ぐことができた。しかし、いままでの捜査がザルでな、大した情報はないから難航しそうだよ」


 エドワードの頭に痛みを訴えるアリエッタの姿が浮かぶ。


「暴漢といっても連続殺人犯ですよ?」

「被害者はみな下町の娼婦ばかりだからな……アリーがセシルあいつの懐中時計を持っていて本当によかった」


 ローランドは夜会服の上着の内ポケットから懐中時計を取り出す。

 エドワードも見覚えがある、アリエッタの父親のセシルが使っていたものだ。


「返してもらえたんですね」

「当然だ。これはあの家族にとって大切なものだからな。壊れているから修理の依頼をしないと」


 ローランドの手が懐中時計のふたに彫られたヴァルモント伯爵家の紋章をそっと撫でる。

 その精巧さから名のある職人の作に見えるが、宝石の目利きと彫金の技術に長け、その技術でヴァルモント商会の宝飾部門を支えてきたアリエッタの母エレナの作品である。


「俺が探しますよ」

「気持ちは分かるが、まずは山小屋のほうをしっかりやるように」


 自分の後継としてエドワードも経験を積み、できる幅を増やして、少しずつ頼れるようになっている。

 自分が二十五歳だったときに比べれば立派だと思うが、ローランドからみた今のエドワードは落ち着きがなく冷静さに欠けている。


 こういうときこそミスをしやすい。


「害虫駆除を引き受けてくれる業者は見つかったのか?」

「テクノヴァル公国にちょうどいい者がいます。うちが支援して留学している彼が代理でその者を訪ねてた結果、巣も合わせて駆除してくれるそうです」


 頼りになる者でしょう、とエドワードは満足気に笑う。


「彼の留学は次の夏までだったな」

「はい。冬になる前にアルデニアに戻り、そのままヴァルソー商会に入ります。約束通り、いえ約束以上に公国でいくつも賞をとっておりますので、いまから注目の期待の超大型新人ですよ」


 青田買いが命中して誇らしげなエドワードの様子にローランドも満足気に笑う。


「害虫駆除が終わったら、お前はどうする?アリエッタとリチャードを連れて領に戻るのか?」


 『戻る』と言ったのはエドワードの拠点は王都ではないから。


 ウィンソー公爵が治めるウィンソー領は農業が盛んで、領地が広く人口も多いため何かとトラブルもよく起きる。

 公爵と商会の仕事で忙しいローランドに代わって、領はエドワードが領主代行として管理していた。


「いいえ……アリエッタの記憶が戻ったときのことを考えたら王都にいるべきだと」

「領地に行けば記憶を失ったままの可能性が高いとしても?」


 ローランドの意地の悪い言葉にエドワードは顔を歪める。


「あまり誘惑しないでください……それはダメだと分かっているので」

「そうだな……領のほうはシャルロットたちがいる。しばらくは彼らに任せて大丈夫だろう」

 

 いまウィンソー領は、領主の代理の代理としてシャルロットが夫のクロードと管理している。


 二年前にシャルロットと結婚したクロードは夜の下町で女性に金銭を貢がせているような風貌だが、科学大国であるテクノヴァル公国で農薬について学び、土と戯れる生活を心から楽しんでいる。


 将来はウィンソー領に永住し、シャルロットと共にエドワードの右腕として働くと誓っている頼もしい義弟だ。


「リチャードも将来有望だぞ。今日は庭で見つけたミミズに“ミミー”と名前を付けて可愛がっていた……家族で領に行けることを祈ろう」


「ありがとう、父さん」

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