第38話

 しらみを帯びた空が夜明けを告げる。夜空に浮かぶ惑星がおぼろげに溶け出したその頃、敷き詰められた人影が、のそりのそりとうごめき出した。

「……う、痛ぇ……」

「うっ、……あれ? 俺はこんな所で一体何してたんだ?」


 セイライさんは押し寄せた軍勢に微量な電流を与えて気絶させていた。正気を取り戻した彼らが、一人二人と立ち上がる。魅惑の魔力の効果はすでにない。──新しい世界の夜明けだった。



「ミョルニルさんお久しぶりですね」

 マダム・アスカが口元に手を当てながら上品に笑った。

「アスカさんお久しぶりッス!」

 ぶりッス? 目上の女性に対して、少女なりの敬語なのだろう。──というより彼女らは知り合いだったのか?

 聞けば彼女らの元々の所有者は、この街を開拓した人間と獣人族だったらしい。ダイヤモンドドラゴンが討伐されるまでは、姉妹のようにこの街で一緒に暮らしていたのだと言う。やがて時が流れて、所有者が変わる。


「これでまた仲良くやれそうですね」

「ハイさっ!」

「……しかしまた今回のお姿は随分と貧相なのですね?」

 マダム・アスカが少女の胸元に視線を押し付けて含みのある笑みを浮かべた。

「はっ⁉」その意味を悟った少女は胸を隠しながら、

「そーいうアスカさんこそ、今回のお姿は随分とババアですよねっ?」

「バ、ババアですって⁉ この貧乳がっ!」

「ひ、貧乳っ⁉ 美乳です美乳っ!」


 待て待て待て待て! なにが姉妹だ⁉ 全然、仲良くねえーじゃねぇーか⁉ 

 ババアも貧乳も全部、今の所有者が悪い。

 所有者が違えば、またその姿も変わるようだ。

 マスターとコモドが二人のやり取りを見て困り果てていた。

 まったくどいつもこいつも男ってヤツの性癖はタチが悪い。と、俺は呆れたが、二人のたわいもない口喧嘩に頬を緩めた。


 ──まあ、何はともあれ、これでこの街は正常化する。俺はひと仕事を終えた充足感に満たされていた。両腕を思いっきり突き上げて、体を一杯に伸ばしてから清々しい夜明けの空気を吸い込んだ。少し肌寒くも感じる澄んだ空気が肺に沁み渡る。

 そして、──ふと気づく。

 


 あかつきの薄明かりが広がりをみせる静寂な世界に、見知らぬ女性のシルエットがあった。


 うん? 誰だあれ?

 その姿に目を奪われ息を飲んだ刹那、人影が迅速に動いた。影は女性のシルエットの前で片膝を立ててひざまずいた。

 青白い夜明けに浮かぶ男女二人のシルエット。

 男性は優しく女性の手を取り、その指に指輪をはめた。──それはまさしくプロポーズのような光景だった。

 夜でも朝でもない空間。夢の続きなのか現実なのかも定かではない。果てしない宇宙の底のような情景にえる──、はぐくまれた愛の結晶。心を打たれた群衆からは、自然と拍手が送られていた。


 透明で清浄な世界に、稜線から一筋の閃光が伸びる。まばゆいきらめきが包み込み、差し込む光が女性の姿を照らすと歓声が沸き起こった。

「……め、女神様だっ!」

「なっ、なんて美しい女性なんだっ!」

「ぜ、絶世の美女だっ!」

 女性の前でひざまずく男性はセイライさんだった。

 ということは、──女性はラブリュスさん⁉

 群衆から絶世の美女とたたえられるラブリュスさん。──その姿は、


 モジャモジャの髪型。角張った大きなエラ。デコボコとしたクレーターのような肌。見事に割れたケツアゴ。団子っ鼻に、ドラム缶のような図体。だらしなく垂れた大尻。しかも女性にも関わらず、うっすらとヒゲが生えていた。

 


 ──途轍とてつもなく醜悪しゅうあくな女性。

 ──どブスだった。

 


 俺が甘美な嬌声きょうせいに悶々とした妄想を募らせた女性は、ブロッコリーの怪物みたいな姿をしていた。──何かがおかしい。

 どブスなのに、なぜ? なぜそんなにも群衆は彼女を褒めちぎる? 俺の目がおかしいのか? 俺の感性が異常なのか?

 疑心暗鬼になった俺はそこでようやく気づいた。


 セイライさんの真の目的に。

 ……最初から全部知ってやがったな。

 セイライさんの狙いは金銭ではなかった。この街にやってきたセイライさんの目的。

 ──ラブリュスさんの指にはピンクダイヤの指輪がはめられていた。



 ラブリュスさんが姿を見せなかった理由。──それは人見知りだからじゃない。

 ブサイクだからだ。人に見せたくなかっただけだ。セイライさんの見栄みえ

 ブス専、セイライ。

 ……てめぇ、愛する女性の容姿をはじていたな。

 

「ダーリンっ! これで堂々とデートしてもオッケーよねっ? もうコソコソしなくてもいいのよねっ?」

 セイライさんが巨漢のラブリュスさんにかかげられる。そしてプロレス技のベアハッグのような熱い抱擁。続いて、ヘッドバッドの如き勢いで、濃厚な口づけが交わされ、唾液の糸が淫靡いんびに伸びる。


「くぅー、羨ましいっ!」

「美男美女のお似合いカップルだなっ!」

「俺もあんな美女に抱きしめられたいぜっ!」

 魅惑の魔力。ピンクダイヤの影響を受けない所有者の俺にとっては、みるに耐えない惨劇であった。


「ムフフンフ〜〜ンッ!」

 ラブリュスさんは巨体をバレリーナのように回転させながら、手のひらを天にかざして、はめられた指輪を嬉しそうに何度も眺めていた。

 その片腕にセカンドバックかの如くかかえられたセイライさん。能面さながらの精気のない眼差しが俺に向けられる。目は口ほどに物を言う。

 俺もまたフリーズした表情を返した。無言の圧力。沈黙の中でぶつかる視線に、皆まで言うまい。暗黙の了解。漢と漢の約束が取り交わされたのだった。

 

 男とはプライドの高い生き物である。

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