第37話

 すべてが集約された一撃がコモドの顔面を捉えた。手榴弾が手の内で暴発したかのような衝撃。

 痛みに顔を歪めたつもりが、生憎あいにく俺の顔面はその機能を喪失していた。かろうじて動く眉毛がピクリと引きるだけだった。


 バキッ! バキバキバキバキバキッ! 激痛と同時に、ひび割れたダイヤモンドの亀裂が音を立てて走り出す。砕けたダイヤモンドの隙間からコモドの憎たらしい顔が覗いた。

 そこだ! 反射的に連撃をお見舞いした。たしかな手応えがある。

 ぐえっ! コモドの悲鳴が聞こえるや否や、間髪入れず拳をねじりこんだ。

 おらっ! おらっ! おらっ! 無意識に加速する拳。すり潰されるような感情をそのまま乗せて追撃を緩めない。


「おら、おら、オラッ! オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラッーーーーァァア‼」

 時空魔法で時間を早めた高速ラッシュをこれみよがしに叩き込んだ。



 ぎゅぼぶぐふばびごでぶばっ! 

 

 もはや言葉にもならない苦悶の声が拳に呼応して、コモドの口から溢れ出した。血泡がヘドロのように覆い尽くし、あどけない顔はその面影もなく膨れ上がっていた。

「ひぃ、ひぃ、ご、ごめんなさぁーいっ!」

 気づけば俺は馬乗りでコモドをタコ殴りにしていた。血塗ちまみれになったコモドの顔を見て、若干の罪悪感が湧く。感情がたかまり過ぎたか……。

 カリバーの想いに応えたくて必死だった。無我夢中で何も覚えていない。俗に言うブチギレたというヤツだろう。


「そこまでにして頂けませんか?」

 マダム・アスカだった。その声で冷静になった俺は手を止めて、茫然と彼女の顔を見上げた。

 マダム・アスカは言葉を続けず、ただうっすらと柔和な笑みを浮かべているだけだった。


「マダム・アスカ! ピンクダイヤをお渡し願いたい!」

 背後から弾力のある声がする。マスターとミョルニルが立っていた。二人の手には大きなピンクダイヤが抱えられていた。ダイヤモンドドラゴンの瞳と呼ばれる二つのダイヤ。

「ダイヤモンドドラゴンを討伐されたのですね……」

 マダム・アスカは自分の指にはめられたピンクダイヤに目を落としてからそうとだけ呟くと、また穏やかな笑みを浮かべる。

「だ、だめにゃ! ピンクダイヤは渡さないにゃ!」

 俺の下からコモドがわめくようにそれを拒んだ。

「コモド様、お言葉を返すようですが、我々人間もピンクダイヤを手に入れました。この意味がお分かりになりますかな? あなたはまた、さきの大戦のような争いを生みたいのですか?」

 マスターの問いにコモドは押し黙った。

「……ここまでのようですね」

 マダム・アスカが指にはめられたピンクダイヤを外し、マスターに手渡す。

「ご理解頂きありがとうございます」

 マスターは深々と頭を下げてから姿勢を正し、「ミョルニル!」少女の名前を呼んだ。

「ハイさっ! 主人ホストっ!」

 戦鎚の姿となったミョルニルを振りかざす。

「これですべては終わりです」

 グシャーンッ! 俺は目を疑った。マスターはダイヤモンドドラゴンを討伐して手に入れた二つのピンクダイヤを粉砕したのだった。


「ギャアアアァァーーーー‼」

 甲高い金切り声をあげて叫んだのはセイライさんだった。切り裂くような醜い悲鳴。粉々になったピンクダイヤの破片を掻き集めながら取り乱している。

「な、な、なんて、ことを……」

 マスターが目を細めて言う。

「ピンクダイヤなど必要ないのです」

 砂塵となったピンクダイヤを手のひらからこぼしセイライさんが声を荒げた。その表情は怒りでわなわなと小刻みに震えていた。

「や、約束と違うじゃないかっ⁉」

「安心して下さい。これはあなたに差し上げましょう」

 マスターはマダム・アスカから受け取ったピンクダイヤの指輪をセイライさんへと渡した。

「この街にピンクダイヤは必要ありません。これで街の人間たちは魅惑の魔力から解放されます。獣人族と人間。どちらが支配するのではなく共に歩んでいくつもりです。マダム・アスカ様、コモド様、それでよろしいですかな?」

 フンッとコモドが鼻を鳴らした。やれやれ、とマダム・アスカがため息をつく。

「……平等にゃ! くれぐれも獣人族を差別するでないにゃ! それを約束するにゃ!」

「無論です」マスターが静かにうなずいた。

「……ならいいにゃ」

 コモドはそう言うと「ママ、顔が痛いにゃ! 早く手当てしてにゃ!」マダム・アスカの豊満な胸に飛び込んでいった。

 人目をはばからず甘えるコモドを尻目に、ピンクダイヤの指輪を手に入れたセイライさんは安堵の表情を浮かべていた。

 

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