208. 試行錯誤
「感情のバロメーター、ですか?」
感情のバロメーター。字面だけ見てもどんな物か分からず、思わず私は聞き返してしまった。
「そう、感情のバロメーター。メンタルなんていう目に見えない物をコントロールするのって本来凄く難しくてね、この感情のバロメーターっていうのは、その見えない物をコントロールしやすくする技術なのさ」
「メンタルコントロールが難しいっていうのは凄くよく分かります。さっきも最高潮の自分を作り上げるっていうのが瞬時に出来なくて、戦いながら作り上げていった感じでしたし、ハイテイマーズ戦の時もミシャさんに協力してもらいながら何日も掛けて準備していきましたから」
「そうだね、感情を演じるのは凄く難しくて本当に才能がある人でなきゃ瞬時に切り替える事なんて出来ない。でも、この感情のバロメーターを使いこなす事が出来たら、メンタルの切り替え速度もメンタルの安定性も格段に上げる事が出来る、正に画期的な技術なのさ♪」
それから、ミシャさんから具体的な指導が始まり、まず最初にやる事はバロメーターのイメージ作りだった。
定規のような形の簡単なバロメーター。左端は青で、右に進むほど赤に色が変わっていき、そのバロメーターには左右に位置を自由に変更できる摘まみを1つ付ける。この摘まみが今の自分の感情の位置を現すそうだ。
バロメーターのイメージが固まったら、次にする事は左端と右端の自分の状態を設定する事。これはつい最近どちらも体験した物だった為、簡単に設定する事が出来た。
左端は心合わせの指輪が全く制御出来ていなかった時だ。全てが嫌になり、何も考えたくなくなり、とにかく目の前の敵を消し去りたい。感情が全て黒く塗りつぶされて行くような嫌な感じ。
右端は気分と集中力が最高潮になった時の状態。この状態に入ると私はタガが外れたようになり、加速する世界の中で全能感に似た感覚を覚えるのだ。
「バロメーターと自分の状態をイメージとしてしっかりリンクさせる事が出来れば、漠然と自分の状態を切り替えようとするよりも速く、そして明確に切り替える事が出来るようになるの。ちなみにこれは、ナツちゃんみたいな何でも疑わず信じちゃうタイプには特に効果的な手法だったりするね」
――う~ん、これは皆から同じような事を言われるけど。……私ってそんなに単純な性格に見えるのかな?
私はミシャさんの説明を聞きながら、今まで皆から言われてきた言葉を思い出していた。
『ナツは端から見ててハラハラするのよ。素直で優しくていい子なんだけど、危機感がゆるゆるっぽくて悪い大人に騙されてるんじゃないかとか、何かトラブルに巻き込まれてるんじゃないかって心配になっちゃうの』
『ナツさんは人の意見に対して抵抗感が薄いんです。言われた事を素直に受け取り、自分の中に取り込んでいく』
『素直で単純で思い込みが激しくて、そしてテンションがそのまま強さに直結するような奴だな』
『ナツよ、別にお主の頭に問題があるということではないぞ!? そう、お主は純粋なのじゃ! 色々と小難しく考えるのではなく、思うがままに突っ込むのが得意という才能なのじゃ!!』
……うん。否定の仕様の無い程、私はそういう性格なのだろう。
私は皆の言葉を思い出しながら……特にロコさんの必死のフォローを思い出して少し落ち込んでしまった。
「ナツちゃん、どうしたの?」
「あっ、いえ、何でもないです!」
「そう? それじゃあ説明の続きをするね。……これからの訓練は単純明快。今からロコっちと模擬戦をしてもらって、模擬戦中に私が『3』とか『8』って数字を言うから、その数字が聞こえたら瞬時に感情バロメーターの摘まみを動かして、その摘まみの位置に対応した状態に自分を瞬時に切り替えてみて」
それはとても難易度の高い訓練だった。
自分の状態を1~10の10段階に分けてバロメーターと対応させ、戦闘の中で瞬時に自分の感情を上下させる。6以上に上げていくのはまだ出来そうなのだが、高い位置から瞬時に低い位置に下げるのはとても難しかった。
そしてロコさんとの模擬戦もただの模擬戦ではなく、私のテイマーとしての立ち回りを構築していく為に色々な戦い方を試しながら戦っている。
バロメーターによる感情の切り替えも、テイマーとしての立ち回りも手探り状態で、まさにそれは試行錯誤しながらの訓練だった。
「まだまだ演じ切れて無い感じはあるけど、及第点って所かな。多分まだ自己イメージで曖昧な所があるんだと思うから、1と10の段階をどんどん深堀していってイメージを固めて行って」
「はい、分かりました」
「よし、じゃあ次の段階に進めるよ。ナツちゃんは今でもギンジ君から教わった瞑想トレーニングって続けてる?」
「えっと、はい。ギンジさんから続けるようにって言われてたので、今でもログアウト後に続けてますね」
「うんうん、ナツちゃん偉い♪ このバロメーターの真の力を発揮するにはその瞑想がとても役に立つんだよ。今から私が『5』って言ったら、瞑想中の頭と感情を空っぽにした状態を目指して」
これまた難題だった。ギンジさんから教わった瞑想トレーニングは胡坐を組んで何もしていない状態だから、思考や感情を切り捨てる事が出来るのだ。
これを戦闘中に行い、尚且つ思考や感情を手放しながらどうやって戦えば良いのか全く想像が出来ない。
「まぁまぁ、そんなに深く考えないで軽い気持ちでやってみてよ。今日はもう切り替え訓練は終えて、瞑想状態の維持訓練にするからさ。ロコっちもペースダウンして、軽く流す感じで戦ってみて」
「うむ、了解じゃ」
瞑想状態を維持しての戦闘。それを実現する為に、私はまず目を瞑り今までやっていた瞑想トレーニングを行った。感情も思考も手放し、無の状態を作る。そして頭と心が静かになった所でそっと目を開け、戦闘の体勢をとる。
ロコさんが出しているのは白亜1体だけだ、それに対して私は3体のペットを出し、全体の状況を把握しながら戦う。最初は「あれ? 考えないってどうするんだっけ?」なんて戸惑いながら戦っていたけれど、戦いながら少しずつ意味が分かって来る感じがしてきた。
瞑想状態での戦い。それは、極力感情を揺らがせない様に気を付けながら、五感から入って来る情報を元に『考えるのではなく理解する』。そんな感覚だった。
そして状態を維持しながらスローペースの戦いを継続していき、少しずつ戦い方が分かって来た頃にミシャさんから訓練終了の合図が入った。
今日の訓練が終わった後、ロコさんとミシャさんが2人で何かを話し、ロコさんが何やら難しい顔をしている。そしてミシャさんが振り向き、私の目をまっすぐ見つめた。
「ねぇ、ナツちゃん。……ナツちゃんには何が見えてるの?」
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