207. 感情のバロメーター

 動画鑑賞会の後、私とロコさんはミシャさんに連れられてギルドハウスの訓練場へと来ていた。


「それじゃあ早速、私とっておきの奥義を伝授したいと思うんだけど、その前に1つ質問。ナツちゃんはこれまでの戦いの中で、最高潮に調子が良かった時の記憶ってある?」

「最高潮ですか? ……最近だとクリスタルモール戦でしょうか。他にも幾つか思い当たる戦いはありますね」

「ふむふむ、この質問に即答出来るのは話が速くていいね♪ それじゃあ、その最高潮の時の自分の状態について少し教えて欲しいんだけど。その時はどんな状態で、どんなテンションで、どんな感情だったかにゃ?」


 ミシャさんの立て続けの質問に対して、私は出来るだけ詳細にその時の事を思い出す。……時々起きる、あの全能感にも似た感覚を。


「……興奮状態だったように思えます。どんどん集中力が増していって、思考も機動力もどんどん速くなっていって、体もイメージ通りに動いて……。何でも出来るような、全く負ける気がしない、そんな気分ですね」

「おお、バッチリだね♪ それじゃあ、その時の自分を人物像としてしっかりイメージして、その人物像を今自分の中に作り上げてみて。それで準備が出来たら、ちょっとしたゲームの開始さ♪」


 その前にどんな理由があってのその行動なのか教えて欲しいという気持ちもあったけれど、ミシャさんも含めてエイリアスのメンバーは皆無駄な事をしない人達だ。きっと、説明の前に行動した方が結果的に良いという判断なのだろうと思い、ミシャさんの指示に素直に従う事にした。

 自分を演じるというのは初めての行為だったけれど、特定の人物像を自分の中に作り上げるやり方は、以前ハイテイマーズ対策の訓練でミシャさんに教えて貰った事だ。私はその時の訓練を思い出しながらも、最高潮だった時の私を私の中に作り上げていく。

 私が自分の中に最高潮だった時の自分自身を作り上げている間に、ミシャさんは私に聞こえない様にコソコソとロコさんに内緒話をしていた。


「……大丈夫、だと思います」

「オッケー、オッケー。じゃあ、今からやるゲームを説明するね♪ 今からやるゲームは、以前ナツちゃんがロコっちから受けていた訓練と同じ物で、白亜が出す狐火を見逃さず切っていくってシンプルなゲームさ」


 私はその訓練をよく覚えていた。それは以前、私はまだペットとの連携が全く取れていなかった頃、ペットと連携して戦う立ち回りをリスク無く覚える為にロコさんがやってくれていた訓練だった。

 私は両手で短剣を握り締め、集中力を高めていく。最高潮だった時に限りなく近づく為に集中力をどんどん高めて、その時の感情やテンションを思い出しながら自分の中に再現していく。……そして、ゲームが始まった。


 四方八方に現れる白亜の白い狐火を、両手の短剣でどんどん切っていく。

 初めてこの訓練を行った時より私のステータスは格段に高く、そして技術面でも大きく成長している。私はこのゲームを始めてこれまでの間に培ってきた全てを込めて狐火を切り続けた。

 そうしていると自分の中のリズムが合っていき、私の集中力は更に高まり、思考速度とテンションがそれに合わせて向上していった。


「なっ!?」


 けれど、波に乗ってどんどん調子が良くなっていくような状況は唐突に終わりを迎えた。突然、真正面から黒いペイントボールが飛んできたのだ。

 私は黒いペイントボールを避ける事が出来ず真正面から受けてしまい、そのボールはバシャーンという破裂音と共に弾けて私の顔を黒く染めた。


「な、何するんですか!!」

「へっへっへ~。ナツちゃん討ち取ったり♪」


 ミシャさんは全く悪びれる事なく、黒く染まった私の顔を見て得意げな笑顔を作っていた。


「ナツ、済まぬのじゃ。ミシャは悪ふざけこそするが、大事な所でただ悪ふざけをするだけという事もせん故、これもお主に必要な事じゃと言われれば拒否が出来んかった」


 ロコさんにそう謝られると、それ以上私は何も言えなかった。ロコさんが悪い訳では無いし、ミシャさんがただ悪ふざけをしただけだとは私も思っていなかったからだ。

 そんな私を見て、ミシャさんは改めて口を開く。


「さて、ナツちゃん。……ナツちゃんは今、真正面から飛んできたペイントボールを何で避けられなかったの?」

「……白亜の狐火を切る事に集中していて、ペイントボールが飛んできていた事にギリギリまで気付きませんでした」

「うんうん、そうだね。もっと詳細に言えば、白い狐火を切る事に集中していたから黒いボールに気が付かなかったかな。これがもし白いペイントボールだったなら、ナツちゃんはちゃんと気付けてたと思うよ?」

「それは……確かにそうかもしれません」

「素直で宜しい♪」


 ミシャさんは満足げに何度も頷き、その後ビシっと私を指さした。


「それが感情の落とし穴さ!」

「か、感情の落とし穴?」

「そう、感情の落とし穴。人はね、常に大量の情報を五感で受け取り、そしてそれを処理しているの。でも脳はその大量の情報を全て処理する事が出来ないから、受け取った情報を取捨選択し、必要な情報のみを処理するのさ」


 ミシャさんの説明は、つまりこういう事だった。

 常時脳が処理しているのは五感で受け取った情報の一部であり、どの情報を処理するかはその時々の状態によって大きく変わって来る。

 そして、興奮状態や気分が高揚している時、ピンポイントに集中力を増していくため、そのポイントに関する情報を効率よく高速で処理する事が出来るが、実はそれと同時にそのポイント以外の情報を大量に切り捨てているという事。

 それは正に、先ほど白い狐火に集中するあまり、目の前から飛んでくる黒いペイントボールが見えなかったように。


「それともう1つ言うとね、人の脳は何かに集中している時よりぼーっとしている時の方が活発に活動しているのさ。これは脳科学では昔からはっきり分かっている事だね。……つまり何が言いたいかって言うと、『自分のポテンシャルを安定して引き出す為には感情に揺らがない技術が必要』って事」


 そしてミシャさんはニッと笑って私をまっすぐ見つめた。


「故に、ミシャお姉さんがナツちゃんに『感情のバロメーター』を授けよう♪」

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