112. ナツ、スパルタすら慈悲であったと知る

 ミシャさんの特別訓練を受けた翌日、今日はギンジさんの特別訓練日となっている。ギンジさんは常識も倫理観もかなぐり捨てて効率のみを追求する人なので、4人の師匠の中で一番怖い。

 訓練の時間が来るのを胃の痛くなる思いで待っていると、遂にその時が来てしまった。時間になってしまったのであれば仕方がないと観念して訓練場に向かうと……何とギンジさんが先に来ていた!


「……ギンジさん、今日は来るのが早いですね」

「おう。今日の訓練は俺も楽しみにしてたからな!」


 ――恥も外聞もかなぐり捨てて全力で逃げようかな……


 私が今すぐ逃げるべきかどうか真剣に悩んでいる間に、ギンジさんは着々と訓練の準備を進めていた。


「……あのぅ、ギンジさん。それって羅刹天の大太刀ですよね? 訓練に使うんですか?」

「あぁ、これから俺との訓練の時はまず最初にこいつを使わせてもらう。 ……まずはウォーミングアップだ。ひたすら避け続けろ」


 そういうとギンジさんは羅刹天の大太刀を発動し、その姿を変化させた。羅刹天の効果中はHPが減り続ける為、長時間の戦闘は不可能ではあるが、正直この状態のギンジさんと戦いたくない。

 どういう理屈でそうなっているのかは知らないけれど、十二天シリーズはその効果を発動させるとそれぞれの特色のある威圧感を相手に与える。ロコさんの焔摩天はズンと重い恐怖がお腹の底から湧き上がるような感覚になり、ギンジさんの羅刹天は身を焼く程の殺気を受けるのだ。


 私は変化したギンジさんの姿を見て恐怖した。まだその刃を向けられた訳でもないのに、今からあれと戦わないといけないのかと想像するだけで足が震えだすのだ。


「このゲームに恐怖なんて状態異常は存在しねぇ。だが、フルダイブ環境下では人間の防衛本能を刺激してリアルな恐怖を感じるんだ。恐怖は体の動きと思考を鈍らせる。だからある程度恐怖に耐性を持っておく必要がある。つまりだ……俺で恐怖に慣れろ」


 そう言い終わるとほぼ同時にギンジさんは踏み込み、その手に持つ大太刀が私へと迫る。

 その時に私が感じたのは死だった。ここがゲームである事も忘れ、私は死を連想した。体は動かず、思考は止まり、ただ、今から自分は死ぬのだという事実のみを感じていた。……そして、その斬撃を受けた私は後方へと吹き飛ぶ。


「訓練場の対人設定はHP減少無しにしてある。残念ながらアイテムのデバフ効果での減少は抑えられねぇから無限に羅刹天を使う事は出来ねぇが、お前さんが死ぬことは無い。安心して攻撃を受け続けな」


 ――もういっそ死に戻りして、レキ達と一緒におやつタイムにしたいよぉ。


 そんな願いが叶う訳もなく、吹き飛ばされた私を追撃すべくギンジさんが再度迫ってきた。


 ……


 …………


 ………………


「今日はここまでだな。……おい、ナツ。大丈夫か?」

「……ギンジさんには今の私が大丈夫なように見えるんですか? 羅刹天を解いてるのに全身の震えが止まらず立てませんよ!」


 以前ギンジさんが、他のプレイヤーがギンジさんを恐れて戦う事をボイコットするようになった為、公式の大会に出られない様になったと言っていたが、それは必然だなと今確信を持てる。

 人は心から恐怖すると全身の震えが止まらなくなるのだということを初めて知った。と言うかそんな事知りたくは無かった。こちとらまごう事無き普通の中2女子だよ。


「まぁ最初はそんなもんだ。俺も全身震えて動けなくなった経験があるからな」

「ギンジさんにもそんな経験があるんですか?」

「勿論あるぞ。あれはもう10年以上前のことだったか。街中で包丁を振り回すイカれた奴と遭遇することがあってな、当時剣道やら柔術やら色々齧って調子に乗っていた俺は、そいつを取り押さえようと意気揚々と近づいて行った訳よ。……だがな、本物の刃物の前で急に怖気づいて動けなくなっちまったんだ」


 当時から色んな大会で優勝していたギンジさんは、刃物を持っていようと素人を抑え込む事なんて造作もないと思っていたそうだ。けれどいざ目の前に刃物を振り回す異常者が居ると、突然恐怖を覚えて体が震えだしたらしい。

 結局ギンジさんがその異常者を取り押さえることはなく、警察が到着するまでお互い睨み合いの状態で停止していたらしい。ギンジさんは当時から結構鍛えてがっちりした体形だったらしいので、恐らく近くに立たれるだけでも十分威圧的だったのだろう。


「ギンジさんでも最初はそうなるんですね。ちょっと意外です」

「まぁ自分でもその事に驚いたぐらいだったからな。その後は当時通っていた道場の仲間に刃物持たせて訓練に付き合ってもらってだな、最終的には刃物相手でも冷静に対処出来るようになった」

「刃物持たせて訓練っていったい何を……あ、いや、やっぱり言わなくていいです」


 触らぬギンジさんに祟りなしだ。


「まぁ、つまりだ。恐怖ってのは経験不足から来るもので、慣れてしまえばどうということはねぇって事だな。だからこそこれから俺との訓練の時は最初に羅刹天で恐怖耐性を付ける訓練を行う」

「う~ん、出来ればもうやりたくは無いですけど、ギンジさんがやるって言ったらもう諦めるしか無いですね……。でも、恐怖心っていうのも大切な物じゃ無いんですか? 恐怖心を感じなくなったらそれはそれで支障が出ません?」

「さっきも言ったが恐怖ってのは経験不足から来るもんだ。経験を積めばそれに対する恐怖は薄れるってだけでお前さんが何に対しても恐怖を感じなくなる訳じゃねぇ。……と言うか恐怖を感じなくなると支障が出るって話はどこ情報だ? 俺は今まで恐怖心を克服して支障が出たことなんざねぇぞ」


 すみません、漫画情報です。恐怖心は防衛本能だからうんちゃらかんちゃらって話だったけど、所詮は漫画情報だったようだ。


「あぁ、だが恐怖心の利点は確かにあるな」

「恐怖心の利点ですか?」

「だらだら訓練するより、危機感を味わいながらの方が物覚えが良くなる」

「……へ?」


 私はその日、スパルタすらギンジさんの慈悲であったのだと知る事になった。ギンジさんの本気の訓練はスパルタの先にあるのだ。

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