25.5

 滝の音がざあざあと鳴り響く、地の底の大橋で、待ち受ける私が出くわしたのは、少年を背に背負った一人の少女だった。


 そうか彼女が――――


 私は事も無げに自分より体躯の大きい少年を背負う少女の姿を見て、倒さねばならぬ敵は彼女だと直感した。それは何故だろうか。彼女が類いまれなる身体能力を隠し持っているから?それとも彼女に得体の知れない力のようなものを感じるから?しかしどれも違うような気がした。

 私は私を見つめる少女をつぶさに観察した。

 歳の頃は私より上に見え、身長も手のひらほどの差があり、しかしながらそれほど年の差は離れていないように見える。それは彼女の垂れ下がった穏やかそうな目じりと、庇護欲をそそるやや幼めな顔の造形が大きな要因だろう。だがそれに見合わぬ、成熟したやや肉付きの良い男好きのする肢体は、彼女の女性としての魅力を大きく盛り立て、まだ幼さの残る少女の雰囲気を、その輪郭が少しだけ大人びた印象へと変えていた。

 私は自らのやせぎすな体躯と彼女の体躯を重ねる。確かに歳の頃はあまり変わらないように見える。だが彼女と私には決定的な違いがあるように思えた。

 彼女は橋の欄干に、背負った少年をもたれさせ、腰に差した剣の鞘を抜いた。彼女もまた物言わず佇む私を倒すべき敵だと認識しているようだった。彼女は抜いた剣を正眼に構えて私を待つ。隙の無い正統派の構えだ。よく訓練を受けている。私はその構えを見て、ようやく彼女と私の明確な違いに思い至った。

 それは愛だ。

 目の前の少女は私とどこか似ている気がしていた。類まれなる力をその身に宿し、常に孤独の中にある。だけどそれは私の思い違いだったのかもしれない。

 人は生まれながらに不平等だ。それは私や目の前の少女が持つ力が物語っている。私が持つ力は例え常人がどんなに努力したところで、超えられるものではない。それ故に人は生まれながらにして強者と弱者に分けられる。その定められし運命の中で、人に必然性を持って分け与えられるもの、それが愛だ。人はこの不平等な世界で生きながらえるため、社会性という特性を獲得した。社会の中で人は物や人物に名前を付け、分類分けをし、それぞれに役割を与えた。強者は社会の中で弱者に生きていく場所を与え、見返りに弱者は強者が生きていくための糧を育む。略奪と殺し合いの末、人間はそうしたあるべき形へと落ち着いた。しかし、それを獲得している生物はもちろん人だけではない。この過酷な世界で生きとし生けるもの、あらゆる生物が様々な社会性を獲得し、生きながらえている。では何故人だけが獣と分けられ、この世界の覇者となることが出来たのか。


 「貴様は愛を受けているのか…………」


 私の呟きは川の水がしたたり落ちる、ざあざあという音でかき消された。

 そう、愛。人は社会を維持するための自然選択的な行動原理に愛という名を与えた。それを可能とした、言葉という人が得た最大の恵みを武器とするならば、愛はそれを動かす力そのものだろう。人は原動力そのものに名前を付け、それを追及した人という種は、更に言葉という武器と社会性を強化していった。そしてやがて人の社会はあらゆる獣を退けて、この世の覇者となった。時折人の世に現れる、人ならざる鬼を凌ぐほどに――――


 「何故貴様はその中にいる?」


 突出した力は人の中に恐れを生み、それが人を愛から遠ざける。それは愛ゆえに生まれる反発的な力で、社会が愛の力で結びついているのなら、それらは必然性と正当性を持つ。

 しかし彼女の目、顔、体、構え、雰囲気そのどれもが私と違う愛を受けて育ったのだと、物語っていた。私は彼女のような人間を知っている。ユーリだ。彼はカイゼル家の三男として何不自由なく育った。裕福な家庭に、多くの友、親からの愛、それは彼の言葉の端々から漏れ出るものだ。彼はそれを特別なものとは思っていない。彼らはそれを特別だとしない。普通、常識、道徳、不文律、倫理、そういった枠組みと言葉が人の世でそれを常とし、更に社会的な繋がりを強くする。だから私は彼を憎めない。彼は正しい。だから特別な力を持たず、社会の枠組みの中にある彼が、私を怯えた目で監視し常に注意深く、その眇めた目で動向を見据えているのは、彼が愛深き人物であることの証左であることに他ならない。彼にその愛がある限り、彼が人から愛を受けるのは当然の帰結だった。

 私と対峙し、手に持った剣を正眼に構える彼女は何も言わず、身動ぎ一つしない。私の呟きは滝の音にかき消されて彼女には届いていないだろう。だけどそれでも何故だか、彼女が私の問いに首を傾げて、不思議そうな顔で返事を返す姿が頭に浮かんだ。

 私は胸の奥に、何か黒い炎のようなものが燃え上がるのを感じた。私が眉間を撃ち抜いた彼も、橋の欄干にもたれ掛かる彼も、彼女を形作った何もかもが、その身を犠牲に彼女に愛を与えたのだと私は直感した。

 私は相手に気取られぬように、指先に力を込めた。勝負は一撃で決める。

 指先に力を込める度に頭の中に激しい痛みが走り、膝から崩れ落ちそうになる。もうとっくに肉体は限界を超えていた。橋は壊せない。もし彼女たちがエルフの禁域の森への鍵を有しているのなら、この橋を落としてしまえば、例え鍵を開けたとしても、兵士たちがそこに至る道が無くなる。だから橋に被害を出さず、彼女を最も効率的に処理できる方法はこれしかなかった。それ以外の方法で彼女を倒せる気も、それ以外の方法で決着をつける気も何故だかしなかった。

 耳朶に響く水の音と、耳の裏に流れる鼓動の音が、不協和音を奏でて、その音が力を解き放つ間合いとなった。


 ――――――…………


 ふいに突き出した私の指先から閃光が放たれて、不可避の一筋の光が刹那に地下都市を瞬いた。


 「な――――……!!」


 だがしかし、その射線上にはすでに少女の姿はなかった。

 私の攻撃が読まれていた?有り得るはずがない。この魔術は“道”を開けた際にその技術を応用して生まれたものだ。もし他の魔術師との交戦経験があったとしても、術の性質上私にしか扱えないはずだし、例え知っていたとしてもこの不意打ちに反応し、更には完全に軌道を予測し避けることなど何人にも出来るはずがなかった。

 私の疑問に答える者などいるはずがなく、迫りくるのは、身を低くかがめて、目にも止まらぬ速度で走り寄る少女の姿のみ。


 「――――――!!」


 一瞬で間合いを詰めた少女の懐から伸びた逆袈裟を、間一髪、手に纏わせた大気の圧で弾く。身の危機を察して大量のアドレナリンが分泌されて、全身を駆け巡るが、それでも中和できない程の痛みが脳髄を駆け抜ける。


 「うがあっっ…………!!」


 私は続けて迫りくる少女の強烈な連撃を、頭の痛みに耐えながら手に纏わせた大気で弾く。少女の鋭い太刀筋は、徐々に私を後方に押し出す程の力があったが、流麗な手つきはそれだけで手合いの間を読みやすく、徐々に私は落ち着きを取り戻しつつあった。まだ勝機はある。しかし、その中で私には拭いきれない違和感があった。私は彼女を注意深く観察する。そして私は彼女の瞳に先ほどとは違う何かを感じた。


 ――――そこにいるのはなんだ?


 明らかに先ほどとは違う色合い。その色には人も魔術師も神さえも超え得る、いや彼女こそが神であるかのように思える異様な輝きが煌めいていた。


 「ふざけるなぁぁああぁ!!」


 私は痛みと怒りと大量のマナを腕に纏わせて、少女の返す刀にその力を叩きつけた。さしもの少女もその力には抗えず、彼女の身体は後方に大きく吹き飛ばされる。

 間違いない。彼女は人ならざる力をその内に秘めている。それなのにそれを巧妙に隠し、人を騙し、その中で生きている。何故彼女にはそれが許されるのか。何故それでいて愛を与えられているのか。

 私の目算では橋はおろか、橋門を越えて、市街地の建物まで飛んでいくはずの彼女の身体は、未だ橋の中腹にあった。どうやら彼女が持つ剣には何らかの力が潜んでいるようだ。魔導具を持たぬ彼女から微かにマナの残滓のようなものを感じる。固い橋の地面に体を叩きつけられながらも、素早く身を起こし、また再びこちらに向かって来ようとする彼女の姿に、私は自らの生命の危機を感じた。

 焦りは怒りとなり、ただ壊滅の意思のみが体を支配する。だがそれと同時に脳髄を駆け巡る痛みと体中の疲労が自らに敗北を悟らせた。

 私は彼女が身を起こそうとする橋の地面、いや、目の前の橋全てに力を集中させて、それを砕いた。少女の顔が悔し気に歪む。彼女は元からその想像をしていたのだろう。徐々に崩れ去る橋の上で彼女は身を起こすと、欄干にもたれさせた少年に向かって歩を進めた。私はその姿に無性に心がかき乱された。何故その力をもってしてその中に居られる?


 「許さない…………!」


 私は痛みで意識が朦朧とする中、最後の力を振り絞って、右手をかざしてその手に力を込めてそれを解き放とうとした。だが――――


 「サロアっっ!!!」


 少女の声だ。それは想像よりずっとか細く、控えめな声色だった。そして初めて聞く彼女の声は不可解なことに私の遥か頭上を見据えて放たれていた。

 サロア…………どこかで聞いた名だ。それは確か――――――


 「ぐうぅ――――……!!」


 私は頭上から飛来する、私と同じ色の塊をその手に込めた力で受け止めた。そう、もし彼が援軍として駆けつけるのならば、頭上からしかない。

 私は頭上から唐突に迫り来た、重力と質量に思わずたたらを踏んだ。恐らく彼は私と同じく、地下都市の上層部から都市を見渡し、唯一の脱出口と思われる大橋を見つけて、そこから張り巡らされたアーチを伝って、この場所に降り立ったのだろう。それが最短で、唯一彼が間に合うだろうと思われるルートだった。だけどそれは魔術師以外にはほとんど不可能な芸当だろう。何故なら足場を伝ったその先からこの場所に降り立つためには、遥か上空からその身を投げないといけないのだから。

 私はその遥か上空から身を投げてたどり着いた、ペテン師の身体を受け止めつつ苦虫を嚙み潰したような顔で、苦悶の声を上げた。こんなことになるならば、きちんと死体を処理しておくべきだった。彼はどうやら何らかの手品を使って、あの攻撃をやり過ごしたようだった。彼の額はまるで何事もなかったように、そのきめ細やかな肌が白く輝いていた。

 しかし彼の悪運もこれまでだ。衝撃をもろに受けた彼の白い腕がひしゃげて曲がり、思わずその口から苦し気な吐息が漏れた。だがそれでも彼はその手を伸ばすのを止めなかった。


 「――――この命知らずの死に損ないが………!そうまでしてこの女が大切か………!」


 「ええ……その二人は……私の大切な、友人です………!」


 私の問いに、彼もまた痛みに苦悶の表情を浮かべながら、そうのたまった。

 魔術でいなされた落下の衝撃が、足場に伝わって脆くなった石の地面にひびが入る。


 「………!」


 楔を打ち込まれた大橋は私のいる足場を巻き込んで、大崩落を起こした。彼の命を賭した蛮行はいたずらに彼らの寿命を縮める事にしかならなかったようだった。


 「残念だったな。貴様も地の底で眠るといい………」


 「ごめんなさい――――私たちにはまだ行く宛てがありますので………」


 しかし彼の声色は坑道で言葉を交わした時のまま、涼やかなものだった。


 「一体何を………むぐっ………!!」


 彼の言葉を理解する間もなく、私は彼に顔面をむんずと摑まれていた。彼はまるで小さなまりを掴むようにその大きな手で私の顔を握った。そして――――


 「うがあああ………!!」


 目の奥が焼けるように燃え、慣れ親しんだ痛みが脳内を駆け巡る。


 「ごめんなさい。少しだけ我慢してください」


 目の端に独りでに浮いた岩の瓦礫が出口へ向かって走るのが見えた。


 「――――まさか………そんなことが………」


 背筋が凍る思いで急いで手のひらに力を集中させる。しかし義眼から供給されるはずのマナの力が全く感じられない。落ち行く景色の中で私はかつてない程、死を身近に感じた。


 ――――有り得ない。理解が追いつかない。人の魔導具を、それも体に埋め込まれた魔導具を支配(ジャック)するだと………?


 「ありがとうございます。ではまた機会があればお会いしましょう」


 また目の奥が激しく燃えて、魔術が行使される気配を感じる。


 「………なにを………?」


 事は私の理解が追いつく前に為された。視界を埋め尽くす爆発。体の周りを謎の薄いベールが纏い、それが私をその爆発から守る。顔に張り付いた彼の肉片が粉々になって視界の端へ消え、遠くにぼろぼろの彼が地底の月を背に空を飛ぶのが見えた。鼓膜が一瞬遅れて爆発を感知して、それと同時に私の身体は谷底へと突き落とされる。


 「何なのよ、全く………」


 一瞬の内に果たされた自らの敗北に理解すら追いつかぬまま、遠ざかる橋と彼を見て私は誰ともなしに呟いた。ここにはすでに私の呟きを聞く者はいない。私は奈落へと落ちて行き、最終的に地下深くの岩壁に強く頭を打ち付けて、そのまま意識を失った。

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