25.3

 力で最大まで加速したトロッコの上で、遠目に松明の光が見える。大柄の男が錆びついたトロッコを押し出そうとしていた。私は力を集中させて、その頭上の岩盤を崩落させる。がらがらと音を立てて巨大な岩が男と通路を押しつぶした。私は崩落に巻き込まれないように、トロッコから飛び降りて、その衝撃を力で緩和した。坑道の固い地面をごろごろと転がりながら、その行く末を見守る。しかし思ったより男の力が強かったのか、トロッコは崩落から逃れて走り去ってしまった。


 「サロアあぁぁ!!」


 走り去るトロッコから聞こえる悲痛な叫びは、崩落し、落ちてきた岩盤に遮られる。恐らくあのトロッコに仲間を乗せて逃がしたのだろう。坑道に反響する叫びの残滓には彼らの払った、代償の重さが込められていた。


 「…………」


 私は身を起こすと、力で吸収しきれなかった衝撃で所々痛む体を引き摺り、彼らを追う。

 しかし傾斜が思ったよりも緩やかで、崩落した岩盤が、走り去ったトロッコを追わずに堆積して、完全に道を塞いでしまったようだった。攻撃をする際に乗り捨てたトロッコが、その瓦礫に当たって、木材で出来た籠は木っ端みじんに砕けていた。

 私はそれを眺めながら、しばし思案する。トロッコは逃がしたが、あの速度ならよほど運が良くない限り、無事に下車することは難しいだろう。だがそれを乗り越えて生き残る可能性は、決して低くは無さそうだし、何より彼らがたとえ死体になっていたとしても、それを調べる価値は、状況を鑑みれば、十分にありそうだった。

 私は辺りを見渡して、他に迂回路が無いか探ったが、逆に蟻の巣のように無数に枝分かれする道が数多の選択肢となって、私を惑わせた。もしかしたらこのまま引き返して応援を呼んだ方が早いのかもしれない。先ほどとは違ってトロッコを使えば、それほど時間も掛からず、道に迷うことも無いだろう。しかし――――

 私は頭の中に浮かんだある人物の顔を、無理やり脳内から追い出して、その選択肢と共に投げ捨てた。相手はトロッコに乗って高速で移動しているし、もしかしたらエルフの助力もあるかもしれない。そうなれば、その僅かな時間ですら、彼らを取り逃す隙となってしまうかもしれない。私は意を決して、無数に続く穴蔵の一つを目指して歩を進める。これ以上迷っている時間は私にはなかった。


 「少し私とお話をしませんか」


 私はその声にぎょっとして、慌てて瓦礫の方を振り向いた。


 「誰だっ!!」


 しかし瓦礫にその声の主の姿はどこにもない。もしかしてあの瓦礫の中を生き残ったのか……?しかし声は男のものとも思えなかった。いや、しかし女のものとも言えない。不思議な声だ。まるで脳内に直接語りかけられているかのように、すっと耳朶に響いて、妙に心地が良い――――


 「姿を現せ。さもなくば殺す」


 私は声がした方へと力を集中させた。たとえ姿が見えなくとも、広範囲の崩落を起こせばきっとある程度の効果は認められるだろう。


 「…………」


 返答が無い。私は素早く後ろに飛び退くと、先ほどの力を解き放ってまた更に広範囲の崩落を起こした。たとえドワーフの高い技術力で造られた坑道と言えどこれほどの広範囲に崩落を起こしてしまえば、全体が耐えられなくなる可能性もあったが、それが起こったとしても私は生き残る自信があるし、何よりそれ以上にこの姿の見えぬ声の主に潜在的な恐怖を感じていた。

 大きな音を立てて岩盤が崩れる。かつて栄華を誇っただろうドワーフたちの遺跡が、彼らの記憶ごと塗りつぶす様に崩壊していく。


 ――――――…………


 崩落が収まる。声は聞こえない。姿も見えない。しかし――――


 「そこだっ!!」


 私はとっさに手に力を集中させ、小規模な突風を起こして脇に置かれていたトロッコを吹き飛ばした。ペテン師が良く使うトリックだ。意識の隙を突いて瞬間的に移動したように見せかける。薄暗く瓦礫にまみれた坑道ならそのルートは無数にあるが、終着点に当たりを付け、そこに誘導することができれば、それを見破ることはそう難しくはない。

 がらがらと砕けたトロッコの破片とその裏に隠れていた人物の外套が巻き上がる。私は今度こそ決着をつけるため、砂埃が舞う中、同じ方向にもう一度力を込めた。


 「させません」


 しかし、力を入れ突き出した手のひらからその力が解き放たれることはなかった。持ち上げた腕に衝撃を受けるとさらに続けて、腹部に強い衝撃を受ける。


 「かはっ……!」


 私は鳩尾に走る強烈な痛みに視界を明滅とさせながらも、命の危険を悟ってとっさに足に力を込めて後ろに飛び退いた。ありえない……あの突風の中、信じられない速度で距離を詰め、更には正確に攻撃を加えるなんて。

 濃い砂埃の中、一つの人影が陽炎のようにゆらりと揺れた。私はその影に最大限警戒しつつも、それを逃がさぬよう目を凝らし、右手にひっそりと力を集めた。


 「少し、私とお話をしませんか」


 影は砂埃の中でもう一度同じ台詞を吐いた。私は右手に更に力を込める。影の目的は明白だ。きっと彼らにとって、逃がした二人組は自らの命より重要な存在なのだろう。時間を十分に稼がれる前に、目の前の障害物を乗り越えて二人組を追う必要がある。

 しかし、私はその声に違和感を持った。影の正体を知りたい。その気持ちが何故だか無性に胸の内から湧き上がって、右手の力を解き放てずにいた。

 舞う砂埃が収まって、影に色が付いて行く。私はその色に見覚えがあった。


 「――――お、父さん…………?」


 いや、そんなはずはない。母が本当に不義を犯していたなんて信じられるわけが無い。でも、その色は――――

 

 「安心してください。私はあなたの父ではない」


 「貴様何者だっ!!」


 私は先ほどの呟きを聞かれていたことと、その胸の内を見透かされたような言葉に薄気味悪さを感じて、逆上して吠えたてた。


 「私の名はサロア――――ただのサロアです」


 男のものとも女のものとも思えないその作り物の様な容姿と声、そして人の内にあってはならないその色。私と同じ色――――


 「家名を言え!!何処の生まれだ!!貴様は魔術師か!?その肌の色はなんだ!?」


 「いえ、私はただのサロア。肌の色はあなたにもわかるでしょう?同じです」


 私は彼の人の内から外れた容姿に、とある可能性に思い至って、執拗に彼の生まれを問いただした。そう、白皮症(アルビノ)。人間だけでなく、全ての生物で確認されている、先天性の肌の色素が失われる症状。私たちの間でもその原因はわかっていないが、最近の研究では親から子に受け継がれる遺伝が関係しているのではないかと考えられていた。だから――――


 「嘘をつくなっ!!生まれを言え!!」


 私の両親ともアルビノの家系ではない。そもそも魔術師の中でアルビノが確認されたことはない。しかし、母の腹から生まれてきたのは間違いなく、そうなれば周囲が母の不義を疑うのは当然の成り行きだった。そしてなりより――――


 「耳を見せろ!!そうだ髪をかき分けて………」


 彼は私の言う通りに腕を持ち上げると、長くすらりとした指が銀色の髪をかき分けて耳を晒した。


 「――――…………」


 私はその耳の形を見て、自らの昂った衝動が急速にしぼんでゆくのがわかった。その耳は普通の“人”のものだった。私や話に伝え聞くエルフのものではなく…………

 私は故郷を追い出される一番の原因となった、自身の“長くとがった”耳を触った。この耳さえなければ私は普通の人生を送ることが出来たのだろうか。私はその耳を触りながら、祖国を追われることとなった経緯を思い返した。

 この、エルフのような尖った耳、それが母の不義を決定的なものにした。高潔なる魔術師の血が敵国であり蛮族とされているエルフと交わる。それは長いトーラの歴史においても前代未聞の事だった。母は私が生まれるとともに捕縛され幽閉された。話に伝え聞いたところによると、議論は相当白熱したようだった。魔術師の法では不義による処罰では少なくとも死刑となることはない。だが相手が相手であるため、死刑が妥当とするものがいたり、それとは逆にエルフの不可思議な呪術で意に反して孕まされたとして母の無実を主張する者もいたらしい。母は当然無実を主張した。しかしながら自らの腹を痛めて産んだ娘に対しての愛情も捨てきれなかったようだ。忌み子として生れ落ちた私を皆が疎ましく思う中、母はその愛を持って我が子を受け入れ、一人、人里を離れて育てることを決めた。そしてその意志は様々な政治的な思惑と、事を必要以上に荒立てたくない親族らの意向によって通されて、数々の制約を課されながらも、二人の親子は離れ離れになることなく生きていくことを許された。当時の私にとってその日々は、窮屈で代り映えのない退屈なものだったが、何もかもを失った今に思えば、それらは掛け替えのない幸福に満ちた宝石のような日々だった。

 私はやりきれない怒りと後悔の念を力に変えて右腕に宿す。右目の金色の義眼が煮えたぎるように熱く燃えた。


 「――――痛く……無いのですか」


 サロアと名乗る男は私の義眼に目を向けながら、そう呟いた。向けられたその無機質な灰色の瞳にはどこか憐れみのようなものが含まれていた。


 「…………!――――貴様やはり魔術師だな!!」


 そう。この義眼が何であるかを知っているのは魔術師以外にあり得ないはずだった。この義眼、正確には魔導具と呼ばれるものは魔術師の力の源であり、その神秘の最たるものだった。そして私にとってはそれは罰と憎しみの象徴――――

 

 「――――いえ、私はあなた方が言う魔術師ではありません。そしてあなた方と血縁関係であることは決してあり得ません。それは確かです」


 「そんな戯言、私が信じると思っているのか」


 私は力の一部を解き放って、そばにあった握りこぶし程度に砕けた瓦礫の破片を男の顔面目掛けて投げつけた。それは男の頬をかすめて背後の壁にぶつかって粉々に砕けた。男はその威嚇に対して身動ぎ一つしなかった。


 「貴様、魔導具を持っていないだろう。貴様も魔術師ならわかるはずだ。貴様に勝ち目はない」


 魔術師は通常なら幼いころからの教育で、空気中にあるマナとその力の流れを視覚的、もしくは感覚的に読めるよう徹底的に教え込まれる。膨大なマナを貯蔵できる魔導具はどれだけ才能のない子供でもその在り処はわかる。そしてそのマナの絶対的な量の差がそのまま力の差となることも、魔術師であるならば誰もが知ることだった。


 「ええ、もちろんです。私はあなたに勝とうとは思ってはいない。話をしましょう。もしかしたら私はあなたの苦しみを取り除けるかもしれない」


 苦しみ…………それはこの左眼に埋め込まれた義眼の事を言っているのだろう。追放された者は本来杖などに装着する魔導具を身体に直接埋め込まれる。マナは力そのものである。力を貯蔵した魔導具は力を発現する際には必然的に熱を発する。それは魔導具が無限のエネルギーと成り得ないことを意味するが、それ故に魔導具を埋め込む外装はそれに耐えうる素材でなくてはならない。人の身体はそれに適していると言えるだろうか。少なくとも耐え難い苦痛に目を瞑るのなら、これほど効率の良い素材はないだろう。そして罪人に対しての枷として用いる場合にもその方法は有効だった。


 「ならば協力していただこう。貴様が洗いざらい白状し、私の邪魔をしないでくれるのなら、その近道となるかもしれない」


 追放された者に埋め込まれた魔導具には特殊な術が施されていて、もし離反の旨が認められたのならそれを用いて追放者を処理出来るようになっている。それでもなお追放者の中には反逆の意志を持つ者や、過酷な“刑務作業”に嫌気が差して逃亡を図る者もいたが、それが上手く行ったためしは私が知る限り一度もない。それに私にはトーラスに残してきた母がいる。私一人がどうにかなったところで何一つ救われるものはない。


 「そうしてあなた一人が頑張り続けたところで、それが報われる保証はあるのでしょうか」


 まさに悪魔のささやきだった。男の声音はやけに甘く心地が良い。まさに父の腕の揺りかごに揺られ、まどろみの中へ誘われるがごとく、それに委ねたくなる。だから――――


 「もういい、時間だ。死ね」


 父親。私にも父親がいたはずだ。だけど私はそいつの顔を見たことが無い。


 私は光を発するほどに、高密度に圧縮したマナそのものを指先に集中させ、それを男の額に目掛けて一気に解き放った。力は光線となって一瞬で男の頭蓋を貫いた。一線の閃光が瞬いて暗い坑道を白く照らす。あまりに膨大な熱量に坑道を覆う岩壁はその形を崩すことなく、白い閃光が通った場所に一筋の穴だけが空いた。

 光が収まる。直後に襲い来る激しい頭痛。私は思わず膝をついた。“道”を開いた時も同系統の魔術を用いたが、あの時は規模こそ膨大だったが、外部の魔導具を使ったために、それほど体に負担は掛からなかった。しかし今回は――――


 「あがああああーーーー」


 私は誰もいない坑道で獣のように吠えた。痛みと憎しみと、そして怨嗟の咆哮だった。


 しばらく叫び続けて、喉も枯れかけた頃、ようやく痛みが引き始めた。生来の眼球をくりぬいて埋め込まれた義眼は、使用者を生かさず殺さず、絶妙な塩梅で苦しめる。この施術を施した者は、繊細かつ高度な技術と、強い嗜虐的な性癖を持ち合わせているようだ。私はそいつを死ぬまで許すことはないだろう。

 ふらふらと覚束ない足取りで足を進める。私には立ち止まっている時間はない。だがふと気になって、先ほど閃光で貫いた男の死体を見た。男の死体はぴくりとも動かない。当たり前だ。高熱量の光線で脳みそを焼き切ったのだから。でも何かが気になる。まだ何か見落としている事がある気がする。やはりここに転がっている男の死体をもっと良く調べるべきだろうか。いや、こいつの正体なら死体を調べればすぐわかることだ。魔術師はそもそも数が少ない。追っ手を逃れた追放者なんて数えるほどしかいないだろう。それよりもこの男が命を賭してまで守りたかった二人の事の方が気になる。


 「ふっ…………そうか……」


 思い至った道理に思わず自嘲的に笑い声を上げた。私は少し後悔をしているのだ。この額を撃ち抜かれて倒れている男はもしかしたら、私の本当の父親だったかもしれない。少なくとも父親でなくてもアルビノが遺伝するものだったとしたなら、この男は親族である可能性は高い。彼の耳は尖ってはいなかったが、そんなのは魔術で何とかなるし、そもそもこの耳自体が奇形として突然発現しただけの可能性もある。


 「………」


 もし私があの時彼の手を取っていたのなら違う未来もあり得たのだろうか。走り去る籠に乗り、崩落する岩盤の向こうへ消えていった二人を思い出す。遠目に見た限りでは私とあまり変わらない年頃の二人だったように思える。あの二人はこの男の子供だったのだろうか。

 私はしばらくその死体を見つめた後、前を向いて、転がる死体に見切りをつけた。たとえ本当に彼が父親だったとしてもその手を取ることはないだろう。私はこの下界で何度も確かめた。私に父親はいない。




 ――――――――


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