25.2
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暗く狭い坑道の壁を伝う、滲み出た地下水が、松明の光を反射しててらてらと光る。古い、煤けた煙のような匂いと、微かに香る、不思議とどこか懐かしい香りが鼻腔を刺激して、寝不足のはっきりとしない頭を、更にぼやけさせた。先頭を歩くサロアの持つ松明の明かりが、狭い坑道の中でゆらゆらと揺れる。松明から出る煙がふわりと流れて、まるで俺たちの進む先へと導くように消えていった。その流れる煙を見て、この狭い坑道内でも空気の流れが途切れぬよう、きちんと考慮された造りになっている事に気付いた。この坑道の本来の主であるドワーフたちの驚異的な技術の一端だった。
坑道内を流れる微かな空気の流れを頬に受けながら、歩き詰めで棒になりそうな足を必死に動かして歩く。彼らの話は噂には聞いていた。背が低く、暗い穴蔵を好み、手先が器用。そして特に金属の製造や加工に優れて、名だたる武具や宝飾品などの多くは彼らの手によるものだという。しかしこの、狭く何本もの道が入り組んだ坑道には俺たち以外に、生きた気配を感じることはなかった。この坑道を支配していた彼らは果たして今どこにいるのだろうか。
俺はドワーフたちの遺した道を踏みしめながら、未だ相まみえぬ彼らについて思いを馳せる。
――――人は皆、同じ血が流れて、生きて、そして死んでいくのです
彼らも俺たちと同じ“人”なのだろうか。その真実を俺に伝えた彼女の広い背中を見ながら、俺は彼らの姿を思い浮かべた。俺はサロアの言葉が真実だという直感を得ながらも、未だに心ではその言葉を信じ切れずにいた。
――――奴らは人じゃない
自らの言葉が耳の奥で響いた。理解し得ないものへの薄気味悪い、背筋が寒くなるような嫌悪感。果たして俺はドワーフたちに相まみえる機会があったとして、それを感じずにいることが出来るだろうか。“奴ら”の醜悪な声と顔が脳に焼き付いて、想像上のドワーフの顔に重なった。そして、それはいずれ良く見知った自らの顔へと形を変えた――――
俺は頭を大きく振って、その顔を追い払った。隣のエレナが不安そうに俺の顔を覗き込んだ。俺はその視線から逃れるように、あえて前だけを見つめ続けた。そうだ、今は思い悩んでいる暇なんてない。予断を許さぬ状況と隣を歩く気配が、自らの胸の内にある感情の渦から目を背けることを許した。
ふっ、と空気の流れが変わったのを感じた。サロアの持つ松明の光が揺れて、新たに彼女の目の前に出現した広い空間を、その少ない光量でぼんやりと照らした。
「皆さん、足元に気を付けてください」
サロアは一足先にその空間に足を踏み入れると、自らの足元を照らして、恐らく鉄で出来た真っ黒な坑道の地面を這う、轍のような "線”を俺たちに見せた。
「これは、あそこに見えるトロッコを運ぶために作られた線路と呼ばれるものです」
サロアの指さす方向には松明の光で薄ぼんやりと照らされた、鉄の車輪の上に木製の籠が乗せられただけの簡素な荷車のようなものがあった。
「ロビン、あなたには理解できますね」
「――――うん。こんなものがあるならば、手押し車より遥かに効率的に物資を輸送できる。特に道の舗装が困難な坑道ならばなおさらだ」
俺はしゃがみこんで、サロアが照らし出した、線路と呼ばれる鉄の轍に触れた。それは長年手入れもされず放置されたせいで、錆びて変色していたが、つば状に曲線を加えられたその一本一本の線路には、彼らの製鉄技術の高さが如実に表れていた。そして――――
「すごい……ずっと続いてる」
エレナが四本の路線が果てしなく続く、坑道の暗闇の先を見つめながら呟いた。若干の傾斜がついて下り坂になっているその道は、松明のぼんやりと光る明かりでは、すぐに呑まれてしまって、それがどれくらいの長さなのか全く判別できない。しかしこれほど膨大な鉄の量を線路に消費してもなお、見返りを期待できるほどの規模であることは間違いなかった。
「行きましょう。こちらの方角です」
サロアは、俺たちが出てきた狭い坑道から見て左手の方角、下りとなる方角に松明を掲げて、線路の脇に沿って歩き出した。俺とエレナもそれに続く。松明の火が奥から流れてくる空気に揺られて、真っ黒な坑道の壁に伸びる俺たちの影を踊らせた。どうやら背後に続く道が俺たちの故郷へとつながっているようだ。俺はその道の先に在りし日の郷愁を感じて、思わず振り向きたくなった。しかしその先にはもう帰るべき故郷は無く、その入り口も今は帝国兵に占拠されている事だろう。もう俺たちには、戻ることも振り向くことも許されていない。俺はごつごつとした坑道の地面を踏みしめつつ、彼らがこの坑道まで追っ手を差し向けていないことを祈った。
しばらく代り映えしない景色の中で、いくつか分岐する線路を数えて、俺は先ほど進んできた狭い坑道がただの炭鉱夫たちのための通用路もしくは、それですらない通気口だったのだと確信した。それほどまでにこの鉱山は広大で、続く大通路は果てしなかった。歩きながらも、この永遠と続く代り映えしない景色と、ゆらゆらと揺れる松明から眠気が襲ってくるのを感じた。一時も気を許せぬ状況であると言うのに、人間の身体というのは不便なもので、昨日から一睡もせずに歩き続けた身体は疲労の極みに達しようとしていた。
「ロビン、私がおぶってあげましょうか」
俺はなるべく表には出さないようにしていたが、どうやらサロアの目には何もかもお見通しなようだった。振り向いた彼女の灰色の目が、いたずらっぽく松明の炎を映した。たぶん彼女は俺に発破を掛ける意味でそういったのだろうけど、その精巧な作り物の様な整った顔と涼やかな声音に、なんだか変に誠実さのようなものを感じてしまって、もう恥も外聞も捨てて、彼女に委ねたくなるような、そうなってしまっても許されるような気分になっていた。
「……ロビン……もうちょっと頑張ろうよ……」
ようやく誘惑を断ち切って、こんな仕打ちをしたサロアに文句の一つでも垂れようとしたとき、後ろから冷たい視線と共に失望したような声が背中に突き刺さった。
「ち、違うんだエレナ。みんな大変なことぐらい俺だって分かってるよ。ただ、ちょっとだけ気の迷いというかなんというか――――」
「おや、そういう割にエレナはまだ平気そうですね。どうです?私の代わりにロビンをおぶってみるのは」
「ど、どうしてそうなるのかな。そんなの無理だよ……私だって――――その……サロアにおぶって欲しいし……」
エレナが顔を真っ赤にしながら、サロアの提案を拒否する。それはそうだ。きっとエレナも疲労の限界だ。それにカレンもトマスも行方が知れない。幸いなことに、村では彼らと思われる人物を見かけることは無かったが、あの村の状況を見るに彼らがまだ逃げ延び、生き残っている確率は決して高いとは言えないだろう。エレナも同じなんだ。こんな時に自分だけ楽をする訳にはいかない。
「ごめん、みんな。こんな時なのにちょっと気が抜けてた。でも大丈夫。二人のおかげでまだ頑張れそうだよ」
「えっ……でもどうしてもっていうのなら、その……私がおぶってあげても良いんだよ……?」
「いや、良いんだ。俺は君が一番大切なんだ。俺のせいで君が万が一危険な目にあったら俺は俺を許せなくなる」
「ろ、ロビン……そんな……」
俺は両手で顔をバシンと叩いて気合を入れると、心配はいらないという目線をサロアに送った。
「ええ、ならば先を急ぎましょう。良いですね?」
俺の目線を受けたサロアはそういって、エレナにも同意を求めると、彼女の頷きを待って再び未だ見えぬ暗闇の先へと足を踏み出した。
俺とエレナは先ほどより少しだけ早くなった彼女の歩調に取り残されないように、自らの歩みも速めてその広い背中を追う。しかし――――
「いてっ……サロア?どうしたの?急に立ち止まられると――――」
急に立ち止まったサロアに追突してしまった俺は、それについての文句を言い終わる前に、振り向いた彼女の真剣な表情を目にして口をつぐんだ。
サロアは突然身をかがめると、地面を這う線路に耳を押し当て、耳を澄ます様に目を閉じた。俺はその突然の奇行の意味を悟って、自分の顔が青ざめていくのを感じた。
「うわあっ、サロア!?」
サロアは唐突に、目を開けるとともに立ち上がると、目にも止まらぬ速さで俺たちを抱きかかえ、近場にあったトロッコの中に俺たちを押し込んだ。
「ごめんなさい。必ず追いつきます」
サロアはそれだけ言うと、俺たちを押し込んだトロッコを、その怪力で押し出した。押し出されたトロッコは錆びついて、引っ掛かるようなきいきいという甲高い音を鳴らしながらも、その力に抗えず、永遠と暗闇に続く線路の上を走り出した。見る見るうちにサロアの背中が遠ざかる。
「サロアあぁぁ!!」
俺はトロッコから身を乗り出して、その背中に声を上げるがその直後サロアの頭上の天井が崩落して、その岩が俺たちが乗るトロッコに迫った。
「ロビン!!危ない!!」
トロッコから身を乗り出して叫ぶ俺を、後ろからエレナが抱き留めて、トロッコの籠の中に避難させた。そのすぐ後に今まさに俺が乗り出していた場所を大きな岩が通過して、その岩は広い坑道の壁に激突して砕けた。
「ありがとう……エレナ、でもサロアが……!」
俺の脳裏に父の無残な死体がフラッシュバックした。
「大丈夫だよ。サロアなら……」
そういうエレナも俺に抱き着く手は、凍える寒さに耐えるように震え、その声もトロッコの振動とそれ以外の揺らぎの中で、か細くかすれて、今にも消え入りそうだった。
トロッコは無情にも坑道の緩やかな斜面を滑るように駆け降りてゆく。トロッコが線路の継ぎ目を越える振動の間隔が次第に短くなっていった。斜面を下るトロッコは俺たちが乗る重量で加速しているのだ。トロッコの速度はもはや飛び降りられる速度を超えて、後ろに迫っていた崩落した天井の岩も、音からしてとうに抜き去っているらしい。
俺たちは駆け降りるトロッコの中で、なすすべもなく身を縮こませる。崩落する坑道に押しつぶされる心配はなくなったものの、加速し続けるトロッコを止める術は俺たちには無かった。もし、途中で線路が途切れていたり、石ころなどに引っ掛かって脱線でもしてしまえば、俺たちの旅は呆気なく終わりを告げてしまうだろう。がたがたと揺れる籠の中で目を瞑ると瞼の裏に置き去りにしてしまったサロアの最期の顔が浮かんだ。崩落する岩盤に埋もれながら俺たちを見送る彼女の顔は、いつものように静謐で無機質な美しさを湛えながらもその瞳には子を見送る親のような慈しみとそして孤独があった。それは父の最期の表情と重なって、胸の中でわずかに残る幼心が、受け入れがたい現実を前に泣き叫び、胸の中で抑えきれぬ叫びが溢れて、一筋の涙となって頬を伝った。
「サロアは…………必ず追いつくと言ったんだ」
俺はその涙をエレナに悟られぬように袖で拭うと、エレナに、そして自分に言い聞かせるようにそういった。
「……うん」
エレナの手はまだ震えていた。その声は走るトロッコにかき消される前に、抱き着く手を通してなんとか俺に伝わった。二人はいつ終わるともわからない恐怖と寒々しい喪失感に身を凍えさせながら、ただただこの小さな籠の中で事態が好転することを祈るしかなかった。
目を閉じ、祈る瞼の裏に唐突に光が差した。顔を上げてその正体を探る。暗さに慣れた目と目まぐるしい展開に翻弄された思考はそれをすぐさま突き止めることが出来ない。
「太陽……?」
先に目が慣れたエレナがトロッコから顔を突き出して、そう呟いた。ようやく目が慣れてきた俺も彼女に続いて顔を出す。そこには目を疑う光景が広がっていた。
それを一目見た俺は最初、この果てしなく続く坑道を抜けて、日の下に出たのかと思った。だが、それは距離的にありえない。例え高速で移動するトロッコに乗っていたとしても、サロアに聞かされていた山の向こう側の麓にたどり着くには、あと半日は歩かねばならないだろう。ということは、ここはまだ地の底、坑道の中であることは間違いないはずだった。しかし、風を切って進むトロッコの下に広がる広大な地下空洞と、そこに広がる岩壁を削り出して作られた家々、そしてその中心で輝く光は、人が生を営む、まさしく国と言えるものだった。
「ドワーフたちの国……」
地下都市。穴蔵を住処にするドワーフたちにとって、ここはまさに楽園だろう。トロッコが走る天井付近の壁際から、更に地下深くへと続く広大な地下空間には、所狭しとアーチ状の石の橋が掛けられて、それらが繋ぐ家々が彼らの生活の日々の一端を俺たちに見せた。しかし、どれだけ目を凝らしてもその家々に彼らの姿を見ることは出来ない。先ほどの不可解な光の正体である、地下都市の中心で眩い光を放つ巨大な結晶は、目が慣れてきた中で見ると、埃っぽい地下空間の中でくすんで、欠けて光を反射しない箇所が所々暗い筋をつくり、光を受けられなくった地下都市の底は淀んだ瘴気のような暗闇に沈んでいた。そんな退廃的な太陽に照らされて浮かび上がった、主を失った都市の家々は寂しくも幻想的に煌めいて、そこに美しさと終焉の儚さを語っていた。
「ロビン!トロッコに摑まって!!」
俺は目の前に広がった驚くべき光景に、時も忘れて呆然としていたが、エレナの声にはっと我に返って、彼女が言う通りに慌ててトロッコのへりに摑まった。その直後外がわに押し出される力を感じて、トロッコが緩やかなカーブに入ったことを知らせる。木で出来た籠が悲鳴を上げるようにぎしぎしと鳴った。地下都市に出てから、傾斜は緩やかになって、徐々に速度は落ちてきているものの、本来は想定以上の速度なのだろう。金属の車輪がきいきいと金切り声を上げて片側が少し浮き上がった。
(頼む……!)
生きた心地がしなかった。身体を内側に寄せて、ささやかな抵抗をする。それが功を奏したかどうかはわからないが、幸運な事にトロッコはなんとか脱線することはなく、線路の軌道は直線に戻って、そのまま浮いた片側の車輪は元の鞘に収まった。
崖際を走っていた線路は軌道を変えて、いくつかの朽ちた家々を通り過ぎた。家が建てられるようにしているように整地された地面はやがて水平になって、力を失ったトロッコは徐々に速度を落としていく。
「た、助かった……」
「ロビン……やっぱ駄目かも……」
危機が過ぎて胸を撫で下ろしていると、隣でエレナがそう呟いた。
「えっ?――――」
唐突に家は途切れて、線路は巨大な地下都市の空間を繋ぐ橋へと入っていく。そしてその橋の先には――――
「まずい……!!何か……方法は……!?」
橋はちょうど真ん中で崩壊していて、道はそこで途絶えていた。俺は必死に解決策を探して、トロッコを調べる。
こんな斜面で運用していたのなら、当然あるはずだブレーキのようなものが。何故もっと早く気が付かなかったんだろう。
「これだっ――――」
それらしいレバーを探り当てて、作動させる。しかし、無情な事にレバーを引いた直後こそ、強い反動と共にけたたましい金属音を上げて、勢いよく進むトロッコに抵抗したものの、がきんと嫌な音が一度鳴ったと思ったらそれきり、押しても引いても何の抵抗もなくなって、ついにはぽろりと、その持ち手自体が取れてしまった。
「くそぉーー!!」
俺はそれを巨大な地下空間に投げ捨てる。金属製のその取っ手は網目状のように複雑に交差した地下都市を繋ぐ石の橋と柱に当たってかんかんと音を鳴らしながら、光も届かぬ奈落へと落ちていった。
「ロビン、落ち着いて」
「どうしてこんな状況で君は落ち着いてられるのさ!!」
エレナは何も言わない。だが彼女は正面を向いて、迫りくる崩落した橋の崖際を冷たい目で静かに見据えていた。その諦めたような横顔は、生を諦めたとかそう言うものじゃなくて、もっと何かどうにもならないものに対しての諦観のような、そんな横顔だった。
気付けばもう崖淵は目の前だった。俺は彼女の横顔に無性に胸をかきむしられるような思いが湧いて、思わずエレナをその胸に抱き留めた。
「ロビン……!?」
エレナの虚をつかれたような声と同時に、身体がふわりと浮き上がって、地面と天井が逆さまになった。頭上で俺たちと切り離されたトロッコが、無数に伸びる石の柱に当たって砕ける。俺は胸に抱いたエレナの温かさを感じながら目を閉じた。瞼の裏にトロッコで遠ざかる俺たちを見送るサロアの顔が思い浮かんだ。
(彼女だけはどうか……)
誰とも知れない何かに祈りを捧げる。それが神なのだろうか。だけどもしそれが本当に存在して彼に届くのなら、きっと俺は罰を受けるだろう。何故なら――――
――――焼けた村、父の最期、サロアの寂しげな瞳、エレナの諦めたような横顔
俺の祈りは純粋ではなかった。それが俺の罪なんだろうか。だがそれでも俺は彼を許すことは出来ない。
落ちて行く。墜ちて、堕ちて行く――――
俺は地の底で彼を恨み続けるだろう。
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