17.

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 ――あなたはどうするの


 俺を見つめる彼女の視線はそう問いかけているようだった。


 「お前はどう思う?」


 隣にいる辛気臭い面をした男がそう問いかけた。


 「いや、俺は認めねえ。今回はエレナの勝ちだ。だって誰が見てもそうだろう」


 「いいや、今回はロビンの勝ちだ。確かに武の才能ではお前の娘が上回っていた。だが、それは始まる前から分かっていたことだろう?自らの実力だけで勝ち負けが決まるのなら、最初からこんな場を用意する必要はない。勝負というのはそんな単純なものではない。それが今回の模擬戦でお前にも理解できたと思ったが……?」


 本当に憎たらしい。あの旅人も旅人だ。あんなせこい手を使うような奴だとは思わなかった。


 「ぐぬぬ……そもそも何でお前がそんな偉そうにしてるんだよ、お前は何もしてないだろ」


 「それをいうならお前も何もしてないだろ、というよりお前は娘が負けて欲しいと思っていたんじゃなかったのか、お前の妨害が無ければ、エレナは勝ってたかもしれないんだぞ、お前こそ何も言う資格ないだろ」


 「うっ……確かにそうだが……」


 ぐうの音も出ない正論だった。負けを願っていた俺よりも、何もしていないこいつの方がまだましだ。でも、実際のところ、俺は具体的に何かをしたわけではない。というより、彼女たちの修行を俺は止めることが出来なかった。止める勇気が俺にはなかった。


 「まあ、これでよかったんだ。これが娘の為だ」


 俺は盛り上がった気持ちを収める様に、大きく息をついて肩を落とした。


 「お前はでかい図体の割に、流されがちなところがあるな」


 隣の仏頂面の男は、なおも辛気臭い顔をして、俺の心境を見透かす様にそういった。どうやら長年の腐れ縁にして、村の指導者様である彼には、俺の浅はかな考えなんて全てお見通しのようだった。


 「ほっといてくれ、俺にとって、家族は自分の命以上に大切な存在なんだ。そんなすぐには割り切れん。もっと時間をくれ」

 

 「自分の命以上に大切だからこそ、大黒柱たるお前がしっかりと地面に根を張って、ちゃんとしろ。失った時間は帰ってこないんだ」


 「けっ、お前には言われたくねえな」


 俺たちはお互いがお互いの事を知りすぎていた。


 「…………」


 「…………」


 その沈黙は互いの事を知りすぎたが故に、その互いの心の中に同じ痛みを見て、そして、互いに同じ傷を負うのを躊躇した結果に生まれたものだった。

 俺たちのいつの間にか、出口のしれない、霧に包まれた惑いの森の中にいた。その中にいる俺たちの姿は幼いあの時のままで、結局その濃霧の中では、今までの経験も、立場も、受け継いだはずの意志までも無に帰して、自らが何も成長しておらず、その内も無力の子供の姿、そのままであることに気付くのだった。


 「実のところ――」


 隣の感情の起伏が少なそうな少年が口を開いた。この頃から彼の額にはしわが寄っていて、大して難しいことを考えているわけでもないのに、いつもそうして、遠くを見つめていた。


 「俺は最近、今自分がどこを向いているかわからなくなる時がある。今まではそうじゃなかった。彼女の顔を見れば、自分が為さねばならない事はすぐにわかったし、どんなに複雑そうな迷路でも方角だけはなんとなくわかった。でも今は、その方角すらわからない」


 彼の額のしわをほぐせるのは彼女しかいなかった。彼女の澄み切った、純粋で鈴の音をころころと転がすような笑い声だけが、彼を癒した。でも彼女はもういない。すぐ近くにいるのに、ずっと遠くの場所に彼女はいるようだった。


 「俺は――彼女に妻を見せた」


 「何だって……!?お前そこまで……」


 彼の言葉に俺は驚き、思わずその顔を横から覗き込んだ。その少年の目はうつろだった。そのうつろな目が指し示す先には、とても数か月で建てられたとは思えない、立派な丸太小屋があった。その丸太小屋はこの濃霧の中でもはっきりと輪郭を映していて、その浮いた輪郭に俺たちは救いと、それと同じくらいの恐怖を感じていた。


 「彼女が言うには――彼女の言うことを鵜呑みにするなら――妻は、アイリスは、彼女にも治せないらしい。それどころか、原因も全くわからず、魔術の反応が見られることは確かであるようだが、例えそれを取り除いたところで、意識を取り戻すとは限らず、最悪の場合は微かにあるその息さえも完全に止まってしまうかもしれないということだった」


 「……そうか」


 俺は彼女の力を恐れるとともに、微かに期待もしていた。あまりにも身勝手だ。俺は昔から臆病で他人に嫌われない様に、他人の顔色ばかり見て過ごしてきた。それは今でも同じだ。結局俺は何もせず、ただ、人好きのする性格を演じて、誰かが削って出した樹液に群がる、発色だけは良い醜い蛾のように、事態が好転することを願って、ただ指をくわえて見ていただけっだった。


 「――それで、お前は彼女の言うことを信じるのか?」


 俺はその質問をしたことを後悔した。


 「ああ、俺は信じる。だが俺を信用するな。根拠は無い。お前は自分で答えを見つけろ」


 隣に立つ少年の顔は苦しみで歪んでいた。


 「――ああ、わかった。すまない……」


 俺はまた、知らず知らずにこの少年に答えを縋って、道を決めようとしていた。自らの今よりだいぶ小さい手のひらを見つめる。今度は自分で決めなくてはいけない。もう子供じゃない。霧はまだ濃いままだ。だけど、足を動かさなくてはいけない。


 「一度、彼女と話す時間をくれないか」


 「ああ、わかった。息子に書状を持たせる。場所と日時に指定はないか」


 「ああ、相手の都合で構わない」


 必要な事だった。もっと早くにやらなければならない事だった。しかし、もう手遅れだ。今日の娘の戦いを見て、そう思った。


 「すまない、これでも責任は感じている」


 彼はこちらに目を寄越さずそういった。もう隣の少年は大人の顔に戻っていた。


 「いや、お前のせいじゃない。大人になってもわからんものはわからん」


 「でも責任はある」


 「そうだな」


 俺たちはもう一度、あの丸太小屋に視線を向けて、この場を去った。霧は未だ深いままだった。

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