13.

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 「ねえ、お母さん、私に剣を教えて欲しいの」


 そろそろ春の陽気が過ぎて、照り付ける日差しが夏の生命に溢れた、輝くような季節の訪れを知らせた。

 前より少し多く薪をくべられた日差しが、中天を過ぎて下りに差し掛かるころ、娘は私にたぶん生まれて初めての自分だけのわがままを言った。

 共同の農作業を終えて、私はいつものように自宅の庭で家庭菜園に勤しんでいた。

 私たちはあえてそうして、エレナに一週間の内いくつかの曜日に自由な時間を与えることによって、限定的ながらも“彼女”に会いに行ける様にしていた。

 それが私たち夫婦が協議の末、妥協点として設定したぎりぎりのラインだった。

 でも、そんな中途半端な対応がやっぱり仇となってしまったのかもしれない。私たちはこの期に及んで娘との関係性に決定的な亀裂が入ることを恐れていた。


 「――それは……それはどうして?」


 私は母親らしく出来ているだろうか。内心の動揺を悟られない様に聞くまでもない質問をして、平静を装う。


 「えーと……その……私もお母さんみたいに強くなりたいなって……」


 概ね予想通りの返答だった。娘は私たちに本当の事を話してはくれない。

 

 ――私はどうするべきなんだろう

 

 カモミールのあの林檎の香りに似た独特の甘い香りが初夏の風に乗って、鼻腔をくすぐった。もう蕾は、開花を間近に控えて茎を伸ばし、中で眠る花びらはその全身で光を浴びる日を今か今かと待ちわびていた。

 彼女ならば――


 「ええ、良いわよ。でも痛いわよ、それで殴られるのは」


 私は彼女が持つ木剣を顎で示しながら言った。


 「……いいの?」


 彼女の目は半信半疑だった。彼女は分かっているのかもしれない。私が心ではそれを全力で拒否していることを。

 私は嫌だった。彼女を傷つけるのも、彼女に過去の自分を見てしまうのも、そして彼女が私の元を離れて危険で知らないところに行こうとしているのも。

 先に痛みを感じていたのは私の方だった。


 「もちろんよ。欲しいものがあるのなら、自分の力で勝ち取りなさい。それは正しいことよ」


 ――カレンは間違ってないよ!だって、一緒に居たいって、そんなひたむきで、純粋な気持ちで、一生懸命頑張ってきたことが、間違いなわけないよ……!


 過去の記憶が私を励まし、そして否定する。どんなに嫌がろうと、その記憶に私は逆らえない。

 彼女の瞳が私を捉える。私は耐え切れずに視線をそらした。

 私はその瞳の中に過去の自分と同じものを見た。私は初めて娘の本当に触れた……のかもしれない。でもその出会いが、痛みと苦しみであってほしくは無かった。



 ――――――………



 ガコガコと木剣同士がぶつかり合う音が森の木々に響き渡る。

 私は一気に距離を詰め、エレナが持つ木剣に自らの木剣を当てて、力を込めて押しのけると、体勢が崩れてがら空きになった腹部を目掛けて、手に持った木剣を叩きいれた。


 「――――うぐっ……」


 自らの娘の口から痛みと衝撃による呻き声が上がる。もちろん十分手を抜いて打撃を加えてはいるが、それでも、なかなかに痛いはずだ。しかし実戦を想定するならば、もし被弾したときを想定し、ある程度の痛みには慣れておかなければならない。


 「全然だめっ!一対一の対戦に一番大事なのは足よ。剣の重さと自分の重心を憶えて、もっと早く、滑らかに移動できるようにしなさい。そしてそれを使って必ず一定の距離を保つのよ。そうすれば絶対に負けないし、今みたいに力で押し切られることもないわ」


 私は次第に相手が実の娘であることも忘れ、訓練に夢中になっていた。


 「うん、もう一回……!」


 それはたぶんエレナも同じだった。不思議なことに親子であることを忘れ、相手をただの一人の人間だと思っている時の方が私たちは通じ合えていた。

 

 ――――カッ、カッ、カッ……


 打ち合わせた刀身がぶつかり合い、それを伝って体の芯が震える。

 やっぱり筋が良い。

 剣の技量というのは、詰まるところ体の使い方であり、最も重要なのはそれを実現する筋力の量と質である。エレナにはその両方がバランス良く備わっていて、過去に剣の修行を請われて教えたカロルやその他の同年代の子供より、その素質はいくらか上を行っているのは間違いなかった。そして何より――

 打ち付ける刃のリズムに変化を加え、体全体を使ってフェイントを入れると、逆側から刃を叩きつける。


 ――ガンッ


 木剣同士が強く打ち合った時の鈍く体の芯に響くような音が辺りの木々を揺らした。


 ――これも防ぐの……!?


 すかさず私は振りぬいた刃をそのまま逆袈裟に振り返し、対応が遅れたエレナの木剣を強く叩きつけて、体勢が崩れたところに軽く一太刀を浴びせた。

 

 「――――ぐっ……」


 またしてもエレナは痛みに呻き声をあげて、今度は膝から崩れ落ちた。


 「…………」


 ――目の良さ、それがエレナに才を感じる最も大きな要因だった。それも尋常ではない。先ほどの打ち合いは、ある程度剣に覚えがある者でも、初見では刃を合わせる事すら難しい取り組みだったはずである。それを、彼女は全ての攻撃に反応して剣を合わせてきた。

 

 「今日は終わりにしましょう、前半にやったトレーニングは覚えてるわね?それは私との特訓が無くても毎日やりなさい」


 私は膝を付き、肩で息をしているエレナに手を伸ばしながらそういった。

 

 「……うん」


 エレナはそういって差し伸ばされた手を掴んだ。

 引き起こす。エレナには間違いなく才能がある。

 エレナの服に付いた土や葉っぱをはたいて落とす。はたいた拍子に今日の傷に触れたのかエレナの口から苦悶の呻き声が漏れ出た。


 「……帰ったらお父さんに痛い所、診てもらいなさい。――はあ、お父さんになんて説明しようかしら」


 「……ごめんなさい」


 「いいのよ、これをやったのは私なんだから……さっ、帰るわよ、今日はエレナの好きなグラタンにしようかしらね」


 私は気まずさから逃げる様に背を向けて家路につく。

 あの目……あの才能の因るところはたぶん例の――


 「お母さん……!私、私ね……!」


 唐突に背中に浴びせられた、娘の力のこもった声に、私は思わずびくりと肩を震わせた。


 「嘘ついた……本当はね、私もロビンみたいにサロアの弟子になりたくて……!だから強くなりたかったの!」


 意外だった。娘は私のことなんて見てないと思ってた。でも、背中から聞こえる娘の声は震えているけど強くて、そしてきちんと私の方に向いていた。


 「……知ってるわよ。でもあんたが強くなったところで、サロアさんの弟子にはなれないわよ」


 だけどその言葉は私が最も恐れていた言葉だった。この世の中はそんな単純なものじゃない。一度剣を合わせて通じ合ったからこそ、嘘はつけない。逆の立場になってようやく過去の言葉の意味と想いを知った。


 「うん、だからね、私、ロビンに勝負をしてもらう約束をしたの。勝ったらロビンの代わりに私がサロアの弟子になるの」


 知った……知ったはずだったんだけど……あれ?

 私は驚いて振り向いた。


 「待って、それ本当?」


 「うん、サロアもいいって言ってくれた」


 「…………」


 これは思ったよりも大事になっているような気がした。サロアさんはいったい何を考えているんだろう。彼女も私たちがエレナに制限を掛けていることは察しているだろうし、何より代わりということはロビンがサロアの弟子ではなくなるということだ。そうなってしまえば、あの狩猟小屋での契約は破棄となって、自らの立場が危うくなることはサロアさんだって分かっているはずだ。


 ――それともサロアさんは自分の弟子が負けるわけないと思っている……?負けるわけが無いから何を言ってもいいと思っている……?


 彼女はもしかして知らないのだろうか、私の娘の実力を。エレナとロビンが戦ったら十中八九エレナが勝つ。今日までは私も娘の才能に気付いていなかった。でも今日、エレナと特訓して確信した。私の娘は強い。


 「なめられたものね……」


 「お母さん……?」


 「ああ、ごめんごめん、でもそれだとロビンとエレナの立場が入れ替わるだけでロビンとは一緒に居られないわよ?」


 少し冷静になって、彼らの争いを止める糸口を探す。


 「えっ、あっ……それもそっか……でもロビンも悪いんだよ、私は一人の方が良いみたいな事言うから……」


 「…………」


 ロビンもね……頭は良いんだけどね……そういうところが父親に似てるのよねえ……


 「……お母さん……?」


 「あーもう(よくわからなかったけど)わかったわ!このままなめられたままじゃ癪だし、ロビンとの勝負、絶対勝つわよ!」


 そう、力こそ全て。全ては勝ってから考えればいい。何故なら勝者にこそ全ての決定権があるのだから。


 「…………?うん!私、絶対勝つ!!その為なら何だってするからね!」


 「そう!その意気よ!あなたなら絶対勝てるわ!なんてったって私の娘なんだからね!」

 

 今日この日、私は初めてエレナの心に触れて通じ合うことが出来た。どんなに娘が不可思議な能力を持っていたって、所詮は人間。私の血を継いだ娘――


 「あと、あのね、今まで言えなかったことなんだけどね」


 「もちろん、なんでも言いなさい!」


 「私……グラタンそんなに好きじゃない……むしろ苦手」


 「えっ……?」


 でも今までの時間を取り戻すにはもうちょっと時間が掛かるみたい。

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