12.

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 サロアが村の郊外の森に住み着いてから二度ほど月の周期が巡った。

 俺の、弟子としての最初の仕事は彼女と一緒に家を建てる事だった。

 サロアは建築についても博識だった。彼女の精密な設計と、非常に効率的な作業計画で、気付けば森の中のほとんど孤立無援な作業環境にあっても着々と、村のどの家よりも立派な家屋が完成しようとしていた。 

 俺はある日疑問に思って、尋ねたことがあった。


 「サロアは魔法が使えるの?」


 それは、通常一人では切り倒すことも難しい程の大木が、次の朝尋ねてみると突然何処からか出てきて、無造作に転がっていたからである。


 「まあ、見方によっては使えると言えますし、使えないとも言えます」


 彼女は何の答えにもならない解答をして、俺を煙に巻いたが、この尋常でない建築ペースは何らかの超常的な力が無いと不可能なものに思えた。まあ、今更彼女が魔法かそれに近い技術を持ち合わせていても驚きはしないが、俺が知る限りでは彼女がそういった力を使っている場面を見たことがなく、たとえ本当にそんな力があったとしても、俺の前でもそういった力を使わないということは、やはりそれは秘匿されるべきもので、彼女の力の一端を知っている身としては、さわらぬ神に祟りなし、それ以上の追及は避けるべきだろう、お互いの為に。

 そんな摩訶不思議な作業現場にあっても、他に秘匿されていない超常現象があった。エレナである。

 時折、彼女は村を抜け出して、こうして俺たちを手伝いに来るが、彼女の働きぶりはまさに超常現象といってもいいくらいのものだった。

 俺は、以前から薄々感づいていたのだが、彼女は力が強い。そして持久力もある。さすがにサロアほどの大力は持ってないし、動きも素早いわけではないが、そのやる気と与えられた仕事を忠実にてきぱきとこなす働きぶりは、俺の働きを遥かに凌駕し、彼女の働きぶりに気圧された俺は窓際へと追いやられて、半ば現場のお荷物と化していた。


 「いいんだよ。ロビンは休んでて。後は私がやっておくから」


 そういって額の汗を拭うエレナの顔は満面の笑みだった。エレナは俺を徹底的に甘やかした。彼女の魂胆は分かっている。彼女は俺を出し抜いて、サロアの弟子の立場を奪おうとしているのだ。


 「でもサロア大変だね。ロビンは体が弱いから、ちゃんと手加減しないと修行について来られずに怪我しちゃうかもしれないね」


 エレナの攻めは的確だった。決して俺の体も弱くはないと自分では思っているが、彼女たちに比べれば貧弱も良い所だった。その言葉はサロアと俺両方に現状に不安を抱かせる言葉で、あまりに陰湿で性格が悪く、そしてたぶん最も効率的ではあった。


 「そうですね。でもこれはロビンのお父さんとそしてロビン自身が望み、私が引き受けたことです。私には一度決めた決めごとを全うする責任があります」


 しかし、サロアと俺の“師弟関係”は単に、才能の有無だとか、体の頑丈さだとかではなく、家の生まれや性別、村の情勢といった本人にはどうしようもない決まり事で成り立っていた。

 

 「うーん、そうだけど……でも……」


 もちろんエレナもそれぐらいのことは分かってるはずで、だから俺を蹴落とすという最終手段に出ているのだが、やっぱり少し無理があるようだった。

 エレナの目下の課題は彼女の父であるトマスだった。彼はエレナがサロアに近づくのをあまり良しとしてはいなかった。

 正直なところ俺は彼の気持ちが良くわかる。

 エレナのサロアに対しての情熱は長年彼女を見てきた身からしても、少し度を越しているような気がする。

 嫌な予感がする。それは俺も同じだった。親として、彼女を大切に思うのなら、そういう態度になるのも決して間違いではなく、むしろ当然の処置ではあった。


 「でも私……寂しいよ。ロビンも最近じゃ村にほとんどいないし、私、なんか急に一人になっちゃったみたい」


 そう、彼女は村では常に独りぼっちだった。それは、彼女が俺以外の人と積極的に関わろうとしなかったこともあるが、俺自身にも彼女に付きっ切りになって、それを助長してしまった責任があった。


 「ごめんね、エレナ。でももう一人で畑の手伝いも川の仕掛けも出来るじゃないか。もっと自分に自信を持って。そうすれば村の皆も受け入れてくれる。エレナは大丈夫だよ」

 

 だけど俺はあえて突き放す様にして、彼女に励ましの言葉を掛けた。

 これは彼女の両親と、そして彼女自身の問題だった。エレナがこの森の丸太小屋での日々を強く望んでいることは間違いないし、俺自身も、未来の虚像として共にエレナの姿があることを望んでいた。その為に俺はサロアを説得して、この森での居場所を手に入れた。

 でも、今は彼女の姿はこの日々の中にはなかった。エレナが実際にその日々を手にするためには、俺だけの力だけでなく、彼女自身の力と意志が必要だった。

 確かに今まで通り、俺が彼女の日常に介入して、あれやこれやと手を回せば、ある程度の目的は達成できるのかもしれない。でも、俺は今回ばかりはそうすることは出来なかった。

エレナの両親のトマスとカレンは共に、少しがさつで大雑把なところがあるものの、カレンの洞察力は目を見張るものがあるし、トマスの内面に秘めた心優しい、愛にあふれた包容力は十分信頼に足るもので、共にエレナの将来を案じ、愛を持ってこの現状を選択していることは、傍から見ていても、間違いないことだった。その中に家の外から部外者である俺が立ち入る事は出来ないと思うし、するべきではないと思った。

 エレナはその愛を知るべきだろう。そしてそれを知ってなお、エレナがこの丸太小屋で共に過ごす未来を望むのであれば、その意思をエレナ自身が両親に伝え、強く説得しなければならない。しかし今のエレナはそれを理解しているようには見えないし、そのための力も恐らくなかった。でも――


 「そういうことじゃないよ……!なんでわかんないのロビン!……もう怒った。ロビン、今度私と勝負して!剣でも弓でもどっちでもいいよ。私それまでに全部完璧にして見せるから」


 彼女の成長はもっと先の事かもしれなかった。それでは何の解決にもならない、彼女自身も分かっているはずなのに、日頃の鬱憤が彼女の心を逸らせているのかも知れなかった。

 彼女の必死の嘆願を聞いたサロアは、そんな彼女を尻目に、サロアはいつもと変わらぬ涼しげな表情をしながら、かわいらしくあごに人差し指を当てて、思案する仕草をした。そんな風に思案している振りをしても、答えなんてわかりきってる。でもエレナには悪いけど、俺はサロアがどう彼女の思いを、できるだけ穏便に振り切るか少し興味があった。

 

 「――うーん、そうですね……」


 サロアはその濁った瞳を視線だけちらりとこちらに向けた。


 「ふふ、いいでしょう……三週間後、たぶんそれくらいでしょう。この丸太小屋が完成したとき、それを記念して二人で模擬戦をしてもらうことにしましょう。木製の剣を使って一対一。制限時間内に有効打をより多く与えた方が勝ちです。そして勝者にはもちろん私の弟子としての権利を贈呈しましょう」


 しかしサロアは驚いたことにそのエレナの提案に乗って、弟子の座を掛けた決闘の開催を承諾してしまった。


 「ちょっと、サロア……!そんなの駄目だよ!だって――」


 「エレナに勝てないかもしれないじゃないか、ですか?」


 「ちが……!サロアだってわかってるだろう?」


 彼女のいつもの涼やかで端正な口元が少し緩んでいる。最近気づいたことだが、彼女は良く笑う。彼女が常に冷静で感情の起伏が乏しいように見えていたのは、彼女の顔が完成されすぎていて、こうして良く観察しないと、その神秘的な美貌の前に人間らしい微かな感情が消え去ってしまうからだった。


 「かっこ悪いよ、ロビン。サロアがそれでいいって言うんだから、覚悟決めて私と正々堂々勝負してよ!」


 ――――ぐ……エレナにかっこ悪いといわれるのは想像以上に心に来るものがある。腰に手を当てて、眉間にしわを寄せるエレナにそれ以上の言葉を返すことが出来なかった。


 「それでは決まりですね」


 彼女はぱんと両手を合わせて、なおも渋る表情の俺を振り切るようにそういうと、今度はエレナの方を向いて

 

 「でもエレナ、申し訳ありませんが、今あなたに剣術を教えることは出来ません。それでは決闘の意味がありませんからね。なので今回はカレンさんに剣を習うのが良いでしょう」

 

 といった。


 「えー……そうしたいのは山々なんだけど……」


 さっきまで、来るべき決戦に顔を輝かせていた彼女の表情が一瞬にして曇った。

 

 「気持ちは分かりますがこれも修行です。どれだけあなたに才能が有ってもロビンは私の弟子ですからね、あなた一人ではロビンに万に一つの勝ち目もありませんよ」


 「そんなこと――」


 サロアと対面するエレナがこちらに一瞬物凄い形相で視線を投げかけた。


 「分かったよ、サロア。私、頑張るからね……!」


 でも一瞬で表情を戻して、かわいい顔をつくると、両方の拳を胸の前に持ってきて、むんっと気合を入れた。


 「期待してますよ――さあ、もう今日は帰る時間ですね」


 サロアは大分下がった日に視線を投げかけるとそう言って、


 「エレナは先に帰っていてください。私はロビンに少し話がありますので」


 とエレナに先に家路につくよう指示した。


 「……?うん、わかったよ。二人とも絶対だからね」


 エレナは頭に疑問符を浮かべながらも、今回の結果に十分満足いっているのか、俺たちにそうやって念を押すと、サロアの声に従って、一人ですたすたと帰路について木々の合間に消えていった。


 「ああ、エレナ……昔のかわいいエレナに戻っておくれ……」


 「ロビン、そんな呆けた顔をしていると本当にエレナに負けちゃいますよ?」


 「む……元はと言えばサロアが悪いんじゃないか、どうしてあんな無茶な申し出を受けたのさ、もしエレナが勝ってしまったら、重大な契約違反だよ。サロアもこの村に居られなくなるかもしれない」


 「もし、じゃなくてこのままだと本当にそうなるでしょうね」


 「だったらどうして……!――ていうか、サロアも俺よりエレナの方が強いって思うんだ」


 「まあそうでしょうね。あの娘の才能は普通より頭一つ、いや二つも三つも抜けてるでしょうね。普通にやったらあなたに万に一つの勝ち目もありません」


 サロアは笑顔で先ほどエレナに告げた台詞を俺にもう一度繰り返した。


 「でも、じゃあなんでこんな事……!」


 「あなたも分かっているでしょう?エレナが未だ自立できていない事、彼女が本当の彼女でいられていない事――」


 「――――……」


 「彼女にはあなた以外の場所が必要なんです。そして彼女が本当に求めるあなたの場所にいくには、彼女はもっと他に自分の場所を作って力を付けなくてはいけない」


 「――だから、エレナにカレンおばさんに剣を習うように言ったんだね」


 エレナが本当に居たい場所は俺の隣じゃない。その言葉を俺は口に出すことが出来なかった。


 「ええ、そうです。私の見立てが合っていたらですけど……」


 サロアはそういって、エレナが去っていった村の方角に視線を向けて目を細めた。

 恐ろしい千里眼だった。サロアはあの日狩猟小屋での一日とその後の数少ないカレンとの接触で、彼女たちが本当の意味での対話が出来ていないことを見抜いていた。


 「でも、それじゃあ俺がエレナに勝つのはもっと難しくなる。俺だってエレナとずっと一緒に居たからわかるよ。彼女は底が知れない。身体能力だっておばさん譲りでとても高いことはなんとなくわかる。もしエレナが上手くやっておばさんに修行をつけてもらったなら、それこそ俺に万に一つの勝ち目も無くなるよ」


 サロアは俺が言っていることが分かっているんだろうか


 「ええ、そうです。だから――」


 サロアには秘策があった。サロアが告げた作戦は作戦というのも憚られるほど浅はかな作戦だった。


 「……そんなんで勝てるわけないでしょ」


 俺の若干の失望と、今後降りかかる自らの苦労への絶望を滲ませた声にサロアは


 「信じてください、あなたなら必ず勝てます」


 とだけ言って、その大きな手のひらを俺の頭に乗せた。――そうされると、できるような気がしてしまう……

 俺は少し火照った頬を隠す様に俯きながら、彼女はもしかしたら魔法使いではなくて、詐欺師なのかもしれないと思った。

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