10.4

 狩猟小屋の扉は自分が想像していたよりずっと大きくみえた。

 カレンの背中越しに見える扉は、俺とエレナが横に並んでくぐったとしても、まだゆとりがある造りだった。

 たぶん捕まえた獲物を中に入れる際に手間取らない様にそう作られているのだろうが、通常のものよりいくらか大きく、飾り気のないその扉に、なぜだか俺は得も言われぬ威圧感を感じて、恐れを抱いた。

 この中にサロアがいる。

 ――この世のものとは思えない色彩、容姿、病気の子牛を一晩で完治させる薬、森の中の蠢く触手、不死身の身体

 彼女はいったい何者なのだろうか。

 彼女に関すること、その全てが深淵にあって、それを知ろうとすればするほどその深みは増していた。

 隣を見ると、今まで見たことが無い程険しい表情をしたエレナの横顔が映った。彼女の素朴で柔らかみのある、たれ気味の目じりは、今では吊り上げられた眉と険しく寄った眉間によって、不安や恐れといった負の感情を強調する要素となっていた。

 そのことに気づいた俺ははっとして、彼女に声を掛けて、安心させようとしたが出来なかった。俺には掛ける言葉が思いつかなかった。

 もしかしたら今この瞬間が彼女にとっての分岐点かもしれない、根拠はないけど、なぜだかそう思って、声を掛けられなかった。

 同じような表情をしたカレンが前に一歩踏み出した。

 彼女もその表情からエレナ程ではないが、何か覚悟のようなものを感じさせていた。彼女も娘と同様その心の内は深淵にあったが、エレナとは違ってその覚悟は人類皆共通でありつつも、今の自分では思い至ることの出来ない類のものであることだけはなんとなくわかった。

 そのままの表情でカレンは拳を振り上げ扉を叩いた。

 どこかで野鳥が羽ばたく羽音が聞こえた。しかし、扉の奥からは生き物の息遣い一つ聞こえない。

 カレンの固く握りしめられた拳から上げられた、重く鈍いが、やけに耳朶に響く音が、辺りを物言わぬ表情で取り囲む木々の間に溶け込んで、しばらく経った。

 しびれを切らしたカレンが、もう一度その拳を叩きつけようと、一歩前に踏み出そうとした時、その扉は開かれた。


 ――――――

 

 世界が静止した。

 辺りを取り囲む年老いた木々達も、流れゆく雲や風、鳥たちの羽ばたきさえも、何もかもが時間を止めてしまったようだった。

 この静止した世界の中で動けるのは彼女だけだった。彼女の継ぎ接ぎだらけの服の上の、作り物の様な首がゆっくりと回る。

 ポケットの中の布片が蠢いた気がした。

 彼女の濁った灰色の瞳が俺を貫いた。息が出来ない。

 俺とサロアの間を何かが遮った。


 「ごめん、ごめんね……サロア……私が、私のせいで――」


 「――いいんですよ、ほら、私は生きています」


 サロアは抱き着いてきたエレナをその大きな腕でふんわりと包み込んだ。

 森が、世界が息を吹き返した。頬に当たった風がそのまま流れて、前髪を撫でた。俺は久しぶりに息を吸い込むことが出来た。

 サロアは腕の中で泣くエレナの背中を撫でた。世界は息をすることを思い出したが、依然として世界は二人のものだった。


  「ええ、そうです、あなたのせいではありません」


 彼女は全てを包み込む聖母のように、全てを見通す神のように、エレナに言葉を与えて、その腕で包み込んだ。

 長い時間そうして、やがて、エレナが泣き止んだ。流れゆく雲が晴れ間の太陽を遮って、束の間の陰をつくった。

 

 「――あなたがサロアさん……?」


 ようやく体の自由を取り戻したカレンがそう聞いた。その声は若干上ずってかすれていた。

 

 「ええ、あなたは……エレナのお姉さんですか」


 「……いえ、母です」


 「そうですか、ごめんなさい。お若いのでてっきり」


 「…………」


 状況に見合わぬ、あまりに普通の世辞に誰もが先ほどと違った意味で、言葉を失った。

 しばらく沈黙が流れた後、サロアの腕の中でくぐもった笑い声が聞こえた。


 「ふふふ……あはは……お母さんと私が姉妹な訳ないよ」


 エレナはそういって、サロアから離れて困惑した表情の自らの母の隣に立って並んだ。


 「ほらね」


 「いえ……その、本当に姉妹のようにしか見えませんよ……?」


 また何とも言えない空気が流れた。

 先ほどの沈黙で何かを間違えたことを悟ったらしいサロアも、少し動揺した声音になっていた。もしかしたらこれは好機かもしれない。

 

 「エレナ、サロアをあまり問い詰めないであげて。これは所謂お世辞というものだよ。本当に姉妹だと思ってるわけないじゃないか」


 「ちょっと!ロビン!それどういう意味よ!――あ……その、違うの。別にお世辞でも良いのよ……って、そうじゃなくて……その、突然大きな声を出してごめんなさい」


 俺の言葉に狙い通りカレンは反射的に声を荒げてしまって、その後ばつが悪そうにサロアに謝罪した。


 「いえお世辞なんかじゃありません。私は本当にそう思ってますよ……ふふ」


 サロアはしっかりとした口調で「本当」を強調すると、ふんわりとした笑顔を浮かべて笑った。

 お互いの緊張が少し取れて、場に弛緩した空気が流れた。たぶんこれでサロアにもカレンがどういう人間なのかがわかっただろう。彼女には交渉事は向いていない。


 「えーと……ありがとうございます……?」


 カレンは未だぎこちない表情でその言葉を受け取った。

 また少し沈黙が流れた。どうやらカレンはこの少しおかしな空気の中、どう次の言葉を繋げていけばいいのか迷いがあるようだった。すると、


 「あなたはあなたの言葉で話してください。私は大丈夫ですから」


 とサロアはそんなカレンの心の内を見透かすようにそう言った。


 「――――!?……」


 その言葉を聞いたカレンは何かに驚いたように言葉を詰まらせて、目を丸くしていたが、隣にいる俺たちにしか聞こえない程の声で小さく「確かにちょっと似てるわね」とつぶやくと


 「そうね……確かに今更私が取り繕ったところでどうにかなる問題でもないわね――サロアさん、改めてお礼を言わせて。私はカレン、この娘の母親。そしてこの娘を、私の娘を助けてくれてありがとう」


 といって、深く頭を下げた。それは村の損得や、相手の所属や出自がどうとか政治的な駆け引き以前に人が人と関わる上で、一番重要な事だった。たぶんカレンもそう思ったのだろうし、それをするために彼女はここで頭を下げていた。


 「――いえ、こちらこそ、私に出来ることはそれぐらいでしたから」


 とサロアも一瞬意表を突かれたような顔をしたが、すぐさま笑顔をつくってサロアはその謝礼を受け取った。


 「さあ、こんなところで立ち話もなんですし、中に入りましょう。私もあなたたちの誠意ある謝辞に報いたいですし、それ以前に元々この家はあなたたちの家です」


 そして続けて彼女はそういうと、背中を向けて狩猟小屋の大きな口の中へと消えていった。


 「わあ、じゃあお邪魔します」


 エレナが嬉しそうにその背中について行った。エレナは今まで見たことが無い程上機嫌だった。


 「…………」


 俺は二人が入っていった、その大きくぽっかり開いた狩猟小屋の入り口をじっと見つめた。エレナは気付かなかったのだろうか、彼女が背中を向ける前に見せた一瞬の陰りを。

 目線を感じて隣を向くと、カレンが俺を見つめていた。

 カレンは何か言いたげにしていたが、俺が目線を外して一歩踏み出すとカレンは何も言わず、同じように小屋の中へと足を進めた。カレンもサロアのあの表情に気付いたのだろうか――よくわからない。

 狩猟小屋の中の玄関と隣接している広いリビングは予想に反して、さわやかな風が吹き抜ける、風通しの良い、広くて清潔な部屋だった。壁に掛けられている狩猟用具は用途に合わせて種類分けされて、それ以外のこまごました物はきちんと整頓され、壁に備え付けられたラックや引き出しの中にまるでインテリアのように綺麗に配置されていた。


 「わあ……すっごい綺麗になってる」


 カレンが目を丸くして呟いた。やはり、サロアがここに来るまではここまで清潔ではなかったのだろう。さわやかな風というのは比喩表現でもあるが、実際に部屋を流れる心地の良い空気の流れの中には、ハーブのような、さわやかで気持ちの落ち着くような香りが混じっていた。

 

 「少し待っていてください。今お茶を入れてきますから」


 奥の大きな机に人数分の椅子を用意していたサロアがこちらに向かってそう声を掛けた。

 

 「サロア、手伝うよ!」


 一足先に部屋の中に入っていたエレナがサロアと同じように部屋の奥から椅子を持ち出して来て残りの椅子を並べた。


 「ありがとうございます」


 「どういたしまして!」


 二人はそういって顔を突き合わせると互いに笑みを浮かべた。

 俺はエレナがこんなにも無邪気に笑みを浮かべる姿を見たことが無かった。隣を見ると、カレンも困惑と衝撃が入り混じった表情をしていて、きっと自分もカレンと同じような顔をしているに違いなかった。


 「今からお茶を入れてきますが、もし良かったら手伝ってくださいませんか?」


 「えっ?いいの?もちろんだよ!」


 サロアがそうエレナに声を掛けると、エレナも溌溂とした笑顔で頷いて、二人は奥の台所があると思わしき扉の中へ消えていった。

 部屋に静寂が訪れた。窓から流れる涼やかで心地の良い風が、爽やかなハーブの香りを乗せて部屋を駆け抜けた。


 「ねえ、ロビン、私エレナがあんな風にはしゃぐ姿今まで見たことないわ……少し悔しいわ、私母親なのに……ロビンあなたはどう思う――って聞こえてないか……」


 俺は心の中の複雑な感情を処理できずにいた。この光景を俺は望んでいた。それなのに胸の奥底にあるごちゃごちゃとしたわだかまりは、どんどん量産されて沈み込んでいき、この部屋を流れる爽やかな風であっても吹き飛ばすことは出来なさそうだった。

 二人が消えていった扉をじっと見つめていると、扉が開いて人数分のカップを乗せたトレーを持ったエレナが現れた。奥には片手にティーポットを持ちながら扉を押さえているサロアが見える。


 「俺も――俺も手伝うよ」


 俺は心の中のわだかまりから目をそらす様に、そう言葉をかけてサロアに変わって扉を押さえた。


 「ありがとうございます」


 サロアはこちらを向いて笑顔をつくった。それは直接日の光を見た時と同じだった。目の裏に残像が焼き付いて、心の中の吹き溜まりが、わっと舞い上がった。

 エレナとサロアはそのまま扉を通って、長机にティーポットとカップを並べていった。

 目の裏の残像が薄まっていって、舞い上がった吹き溜まりはまた心の底に雪のように降り積もっていく。

 俺は自分が扉を押さえたままの姿でぼうとしていたことに気付いて、慌てて長机に向かった。カレンが訝し気な目でこちらを見ていた気がしたが俺は無視をした。

 サロアが華麗な手つきで縁の欠けが目立つカップに茶を入れていく。ティーポットを少し傾けては戻し、次のカップへ、それを何週もしてカップに茶が満たされていく。何故それぞれのカップに少しづつ入れていくのか良く分からなかったが、なんとなくその手つきが綺麗で、この場にいる誰もが息を止めてそれに見惚れていた。


 「さあ、どうぞ座って」


 やがてそれは終わって、全てのカップが茶で満たされた。皆なぜか厳かな気分になって息を潜めていたが、サロアの声に我に帰ってそれぞれ一番近くの席へと着席していった。

 机を挟んでカレンの正面にサロア、俺の正面にエレナ。茶から漂うハーブのような香りはここに来た時からずっとあったものだったとやっと気づいた。


 「飲んでいい?」


 エレナがサロアに聞いた。


 「もちろん」


 サロアは薄く笑みを浮かべて、頷いた。


 「じゃあいただきます」


 エレナは俺たちが止める間もなくカップに口をつけて茶をすすった。隣でカレンが小さく息を飲んだ。でもここまで来たら止められるものではないだろう。


 「俺もいただきます」


 俺もそういうとカップに口をつけてすすった。

 味は……よくわからなかった。舌に残る微かな苦みと、爽やかにすっと抜ける爽やかな香りの中に、甘くふんわりと香る蜜のような香りがどこか懐かしい気持ちにさせたが、それ以外の事はあまりよくわからず、確かに美味だったという感覚だけが自らの中に残った。まあ、つまり、平たく言うと、よくわからんが美味かった。


 「……美味しい……カモミールを中心としたブレンドね。他にはスペアミントにニワトコ、リンデンそしてこれは――」


 意外なことに一番初めに感想を述べたのはカレンだった。確かに言われてみれば味わったことがある風味だし、それらの茶葉は村でも頻繁に飲まれていた。


 「でもいつも飲んでるのと全然違うよ。なんていうか、こう――特別って感じ」


 俺が思っていたことをエレナは臆面もなく口に出した。


 「ええ、そうね。きっとサロアさんの淹れ方が上手なのね」


 カレンはもう一口茶をすすって、カップの中の水面を見つめながらそういった。


 「ありがとうございます。茶の淹れ方については、少しだけ心得がありますので」


 そういってサロアは自らもカップに口をつけて、茶をすすった。

 俺もそれを見てもう一度茶をすする。うん、よくわからんが美味い。やはり何かおかしなものが入っている可能性は低そうだ。


 「うん、美味しい。俺もこんなに美味しいお茶を飲んだのは初めてだよ」

 

 「ふふ、ありがとうございます」


 俺の少し大げさな感想にサロアは素直な礼を言ってこちらに笑みを向けた。

 その笑みに俺は胸の内がわっと高鳴ったのを感じた。どうやら少しおかしいのはエレナだけではなかったのかもしれない。


 「――さて」


 それぞれがお茶を嗜み、場が一段落したところで、まだ中身が残ったままのカップをでこぼこの粗悪な長机にことりと置いたカレンが切り出した。


 「今日伺ったのは、先日の件についての謝礼の意味もありますが、折り入って他に一つお願いがあって伺いました。まずはこちらの」カレンは脇に置いた背負い鞄から一つの丸められた羊皮紙を取り出した「書巻をお納めください」


 カレンは席を立ってその丸められた羊皮紙をサロアに手渡し、


 「そして、こちらも我々からの心ばかりの品でございます」


 と更に背負い鞄から一抱えほどもある少々大きな、布に包まれた荷物を長机の上に置いて差し出した。

 カレンの唐突な口調と雰囲気の変化を、サロアは敏感に察して居住まいを正し、表情を元のあの作り物の様な人には推し量れぬ表情へと戻した。

 サロアは無言で手渡された書巻を紐解くと、長い時間を掛けてその中身を眺めた。


 「――――……」


 その“長い時間”は本当に長い時間だった。時間で引き延ばされた、のっぺりとした空気が顔に張り付いて、息が詰まるような感覚だった。しかし、その書巻を手渡したカレンはもっと長く感じたかもしれない。何故なら、そこに書かれている文章はサロアにとって――恐らくカレンにとっても――思わしいものではないはずだからである。

 長い沈黙の末にようやく読み終えたらしいサロアは書巻を脇に置くと、カレンを正面に捉えて「こちらの書の文法にはあまり明るくないのですが」と頭に付けて切り出した。


 「私の解釈が間違っていなければ、そちらのお子さんを」サロアはその灰色の瞳をちらりとこちらに向けた「私に差し出すということで間違いはございませんか」


 「――ええ、間違いないわ」


 答えたカレンは目を伏せながらいかにも「私は不満です」といった表情でそう吐き捨てた。やっぱりカレンには交渉官は向いていない。

 カレンのその答えを聞いたサロアは、その端正で冷徹とも言える整いすぎた無表情の中で一瞬失望の色を見せた――見せた気がしたが、そう見えたのはもしかしたら俺がそう思っていて欲しいと望んでいたからかもしれない。サロアの表情はもう元の冷たくも美しい、人には触れられざる神秘を取り戻していた。


 「なるほど、理解しました。しかし、そちらのお子さんを私に差し出して、どうするつもりでしょう?それがあなたたちのやり方かもしれませんが、私ではもしかしたら、あなたたちの期待には応えることが出来ないかもしれません」


 そういってカレンを見つめる灰色の双眸はひたすらに冷たくみえた。


 「ええ、私もそう思うわ。今日初めてあなたと話して、根拠は何もないけど、あなたはそういう人じゃないってなんとなくだけどそう思った。でも違うのよ、あなたは……私達とは違う……ねえ、あなた私よりも強いでしょ?たぶん私が想像するよりずっと――私たちには傷があるの。少しの衝撃で死に至ってしまうような傷が……だからみんなあなたが怖いの。その怖さから逃れるために代償を払って、助かった気になりたいの」


 カレンはサロアの冷たく、生気を感じさせない視線の圧から逃れる様に、目を伏せて絞り出す様に、そう言葉を紡いだ。カレンの言葉は抽象的で要領を得ていなかったが、逆にそれが胡乱でふわふわした恐怖心や不安を抱えた、蛞蝓が地べたを這うように生きている俺たちの村の姿を正確に表現していた。


 「ええ、そうでしょう……ごめんなさい。私はあなたを責めるつもりは無いし、あなた方の村の人々を軽蔑することもありません。人が人として生き、生きるために利益や安寧を求めて代償を払う。それはいつの時代の、いつの為政者も行ってきたことで、例えもっと未来の個々の多様性や人権の重要性を声高に叫び、それらが尊ばれる時代になっても完全には無くならないでしょう。だからあなたたちの行いは正しくはありませんが、間違いでもありません。でも個人の視点では間違いでしかない時があります――あなたはどう思いますか、ロビン」


 サロアはあえて「ロビン」と名を呼んで俺に問いかけた。

 そう、俺は端的に言えば化け物に生け贄として出された一人の子供だった。そしてそれは様々な言葉や体裁で、どう取り繕った所で動かしがたい事実であることは間違いなかった。

 サロアの灰色の視線が俺の瞳孔を突き抜けて絡まり合う。サロアはそうして俺に問いかけてどんな言葉を期待しているのだろう。もしかしたら何の期待も無く、感情すらないのかもしれない。サロアの言葉には事実しかなかった。恐らくそれは正解で、彼女はすでに俺の答えを予想し、その答えも用意しているだろう。そして表面上では上手くまとまって、彼女の思うままになる。でもそれでいいのだろうか、俺が欲しい答えはそうじゃない。

 俺はしばらく考えに耽った後に、慎重に選ぶように言葉を紡いでいった。


 「サロア、俺は全てわかっているよ」

 

 相手の目を見てひとつずつ。


 「分かったうえで君の居場所をつくりたいと思ってるし、そうすることで居場所がつくれると思ったんだ。今回の場合大事なのは事実じゃない。未来の虚像だよ。虚像をもっと強くするのは、正しいか正しくないかじゃなくて、サロア、君の心だと思ってる」


 俺はサロアを――俺たちより高い所にいるサロアを引きずり下ろしたいと思った。そうするには彼女に直接問いかけることしか俺には思いつかなかった。そうまでして俺は彼女の心が知りたかった。そうしないと彼女の真実には一生たどり着けないような気がした。

 隣でカレンの息を飲む気配を感じた。サロアは表情を変えずに俺を見つめていた。彼女の中に俺の解答はあったのだろうか。


 「ええ――」


 彼女は大きく息を吸って、そして微笑んだ。


 「ええ、私も同じ気持ちですよ、ロビン。最初出会った時に言った言葉に嘘はありません。もちろん行く宛てが無いのも本当ですが、あなたたちと関わりを持ちたいと思っているのも本当ですよ」


 彼女は大きく吸った息を吐きながら、そう自分の気持ちを語った。


「――カレンさん」


 唐突に自分の名を呼ばれたカレンは一拍置いた後に少し上ずった声で「はい」と返事をした。


 「あなたたちの要求通り、ロビンさんを私の“弟子”として受け入れることを了承しましょう。その代わり、村にほど近い郊外に住居を建築する許可とそこに滞在する許可をいただけますか。いつまでもここに厄介になるわけにはいきませんし、それに彼は私の故郷の基準では未成年です。少なくとも彼が成人するまでは通いでの“修行”を許可しましょう」


 サロアはあえて建前に則った言い方で妥協点を提示した。

 カレンはその提案をしばらく吟味した後、目線を俺に同意を求める様に投げかけ、俺が頷いたのを確認すると


 「ええ、それで構わないわ。滞在場所についてはこちらで指定させてもらうけど構わないわね」


 「ええ、もちろんです」


 そう、言葉を交わして、少なくともこの場では村と彼女との契約は両者の合意を持って締結された。

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