8.2

 辿り着く。そこは小さな洞穴だった。そしてその近くには微かに煙と何かの香草のような臭いが漂っており、地面には明らかに火の始末をした形跡があった。土を被せて、ある程度は偽装されていたがそこまで念入りではなく、また煤の後からも放置されてからそこまで時がたっていない様に見える。

 これは当たりだった。十中八九サロアの残した痕跡に違いない。

 逸る気持ちで洞穴を覗く。中は薄暗く、見たところ案の上もぬけの空であったが、ついに見つけた手掛かりに先ほどの疲労も忘れるほどに気持ちが舞い上がっていた。

 かばんから松脂を染み込ませた布を取り出し、手頃にあった木の棒にそれを巻き付け松明にする。松脂を染み込ませた布やその他の道具を大規模な遠征の準備をしている村からくすねてくることは容易なことだった。

 松明に火をつけるため火打石と火打ち金を取り出す。ふと思い立って周辺の地面を探索する。案の上何かに削られたような形跡のある火打石を発見することが出来た。本来火打石は河原でよく見つかるもので、これを火おこしに使ったにしろ、その他刃物のような用途に使ったにしろ、ここに人がいたことは間違いないことに思えた。

 拾った火打石を火打ち金に打ち付けて火花を起こし、松明に火をつける。しみわたるように火が広がって、松脂が燃え盛り、焼かれた松脂のかぐわしい香りが鼻腔をくすぐる。ぼうと明かりが広がり、鬱蒼とした薄暗い森の木々を照らす。俺はそれを見て、日が頂点を優に過ぎ、もうそろそろ夕方に差し掛かろうとしていることに気付いた。

 喜んでばかり居られなかった。まだ日没までには大分間があるが、夕方になり日が落ち始めればたちまちこの薄暗い森では、この松明一本では歩くこともおぼつかない程の暗闇に襲われ、そうなってしまえば、たとえこの場所が村からさほど離れていない地点であったとしても、それを越えて村に辿り着くことはほぼ不可能となるだろう。

 そうならないためには、早く目的の物を見つけなければならない。ぱちぱちと燃える松明を洞穴にずいと押し込み、自らもあまり煙を吸い込みすぎない様に息を止めて、その後を追う。洞穴は子供である自分の背丈では特に問題はなかったが、背の高いサロアであるならば屈まないと入れないだろう程の高さしかなく、また奥行きもそれほどあるわけでもなかった。

 二三歩ほどそろそろと歩みを進めたのち、すぐにどん詰まりに行き当たった。一応周りを見渡す。横幅はそれなりにあったものの、子供にとっても息苦しさを感じるこの洞穴は、サロアほどの背丈があるものが横になれば、それだけでこの狭い空間は満たされてしまうだろう。

 どうやらサロアがこの空間を寝床以外に使うのはほぼ不可能そうだった。しかしどういうわけか、さまざまな生物たちのたまり場になるはずのこの洞穴には生物的な悪臭が存在せず、むしろ生き物の気配が一切途絶えていた。一からこの洞穴を掘るにはさすがに大きすぎるし、天然のものだとしても、自然の息遣いが一切感じられないこの空間は却って、人間の生存本能を刺激して落ち着かない気持ちにさせた。

 背筋に冷たいものを感じつつ、せっつかされるように地面に手をついて素早く目を走らせる。

 ――あった。

 思いのほかそれは早く見つかった。松明の柄の方で分かりやすようにばつ印に地面を抉ると、急いで息継ぎの為に洞穴を出た。

 外に出て新鮮な空気を吸い込む。空き巣をしている罪悪感と妙な洞穴の圧迫感によって思ったより息が上がっていた。

 息を整え、今度は外に松明を立てかけて、明かりなしで突入する。洞穴の形状的にそこまで時間を掛けなければ窒息死することは無いだろうが、念のため火は持ち込まない様にした。薄暗い洞穴の地面に手を付き、記憶と手の感触でばつ印を探る。

 程なくしてそれは見つかった。意外にも外から明かりが入ってきていて、目でも薄っすらとではあるが、そのばつ印を確認することが出来た。

 松明の柄で目印を付けたその場所は、何者かが土を掘り返し、他の場所とは色が変わった土がある場所だった。手で触ってみても他より土が柔らかいことがわかる。環境の変化の乏しい洞穴の中であったとしても、これは直近に掘り返されたものであることは間違いなかった。

 かばんの中を探り、農作具の中からくすねてきた手持ちの堀棒(シャベル)を取り出す。燃やせない証拠物なら、埋めるのが鉄則であるとした予想に間違いはなかったようだ。

 柔らかくなった地面に堀棒を突き刺し、土を掘り返していく。穴が手首くらいまでの深さにまで掘られたところで、堀棒の先端が何者かに遮られた。感触的に石や岩の硬度ではない。急いで周りを掘り進め、その物体が大方露出したところで、取っ掛かりを掴んで引き抜いた。

 ぱらぱらと土をこぼしながら引き上げられたそれは、丁寧に木の枝と草のつるで編まれた箱だった。大きさは今持っている肩掛けのかばんと同じか、それより少し小さいくらいで、縦横共に肘ほどまでの大きさに高さは手のひらほど。蓋があり、それはこれまた丁寧に作られていて、見たところ蓋と本体は分離するように一回り大きい籠で作られているが、若干の伸縮性があり、蓋を被せると、内容物の重さによって本体が膨らみ、しっかりと密閉されるような作りになっていた。

 箱を持ち上げ軽く土を払う。見れば見るほど精巧な出来だった。俺は一先ず、それをもっとよく見るために洞穴の外に持ち出すことにした。

 木々から漏れる日差しが眩しい。どうやら思ったよりは時間を使ってはいないようだった。

 蓋は意外にもするりと抜けた。蓋の内側にはは少し厚めの草の葉で嚙ませてあって、編んだつるとつるが引っ掛からない様になっていたからだ。サロアもやはり後々これらを回収するつもりだったのだろうか。それならば今ここを探し求めたのは間違いではなかったということだ。しかしそれは、今回の探索がサロアの秘密を知る最初で最後の機会となるだろうことも意味していた。

 緊張しながら持ち上げた蓋を少しづつずらしながら確認していく。

 見えてきたのは白い布だった

 それは今まで生きてきた中で見たこともない程白い“白”で、縫製から見ても恐らく村には他に一点と無い出来であることは間違いなく、相当上等な品物であることは知見の無い俺でも理解できた。

 汚れ一つないその布にこの土にまみれた手で触るのは少々気が引けたものの、俺はこれが何であるかを知らぬまま帰るわけにはいかなかった。申し訳程度に自らの服で土を拭って、それに触れる。幸運な事に目に見えるほど汚れが付着することはなく、布を掴むことが出来た。その布を両手で持って広げる。

 それは何というか、見たところ人が着用する衣服で、俺が見たことあるもので最も近いと思われる品物は肌着だった。というかそれは恐らく十中八九肌着だった。確かに素材自体は見たこともない繊維で作られているし、作りは頑丈でありつつも、手触りは手になじむようなさらさらとした質感をしており、上等な代物であることは間違いないのだが、これを見た者の十人中十人はただの肌着だと答えるだろう。

 俺は正直落胆していた。これもそこらには無い代物で確かに手掛かりになるはずではあったが、何かこう、“もっとすごいもの”が出てくると俺は思っていた。

 続けて箱の中を探る。そう、箱の大きさは肌着のみで埋まりきるものではなく。底の方に重要なものが眠っている可能性は十分にあった。

 続いて出てきたのはズボンだった。造形は少なくとも完全にそれで、これもまた未知の素材で作られており、色は紺。厚手でしっかりした造りでさっきの白い布とは一転してごわごわとした質感だった。しかしながらそれはズボンで、村の外に出たことが無い自分にとって、正直なところこれがどれだけ珍しく価値のあるものなのかいまいち判然としなかった。

 更に探る。出てきたのは靴とそれの下に履くのだろう靴下。恐らく今まで出てきたものの中で最も価値のある物はこの靴だろう。中敷きはクッション性の高いふわふわした謎の素材で、靴底も滑りづらそうな、謎の弾力性のある素材。そのすべてが精巧な職人の手で作られていて、一切のほつれや破れが無い。さぞ履き心地が良いに違いなく、思わず着用したくなったものの、サイズはサロアに合わせて作られているようで非常に大きく、恐らく自分が履いたとてその良さを実感することは叶わなかっただろう。

 俺は今よくわからない感情に囚われていた。確かにこれらはサイズ的にサロアが身に着けていたものに違いなく、これらはサロアの正体を探るのに有力な手掛かりになるだろうことは間違いなかったのだが、何というか……


 「似合わない」


 サロアには本当に申し訳ないのだが、俺にはサロアがこれらを着用している姿を想像することがあまり上手くできなかった。恐らくこれらは造りから見てとても価値のあるもので、サロア自身もやんごとなき出自であるだろうことは間違いないのだろうが、これを着て、豪奢な絵画や彫刻品が並べられているような部屋に鎮座している姿は想像がつかず、むしろ農作業をして土に汚れている姿の方がしっくりとくる、そんな衣服であった。たぶんこの村を飛び出して、最初にあった人物がこの衣服を着て農作業を行っていても、異国はこういった服を着るのかと思うだけで、とてもおかしいとは思わないだろう。

 俺は衣服であるならば豪華なフリルや刺繍の入ったドレスのような物を想像していた。実際にそういったものは見たことは無いが村の大人たちが話す上等な服というのはそういうものだ。そういったものならばあのサロアの美貌に釣り合うだろうし、何処かしらに家紋のようなものが入っていれば重要な手掛かりにもなる。しかしさっと見たところそんなものは無く、柄も無い。つまり分かりやすい手掛かりがなかった。ひょっとしたら外の世界ではこういった服装は当たり前にあって、サロアは偽装の為にそれらを調達して着ていたのかもしれないが、しかしならばなぜこの服を着て俺たちの前に現れず、こんなに厳重に隠したのか。

 俺はもう一度この白い肌着を持って子細に眺めながら、思案にふけっていた。何か手掛かりがあるはずだった。

 更にもう一度肌着を片手に箱を探る。次に出てきたのは紐のような物だった。色は白でレースや刺繍もあり比較的意匠が凝っていて、創りも頑丈だった。紐をつまんで持ち上げる、広がったその形状は何というか女性の一部分を思わせるような――


 「ッッ!!」


 俺は声にならない叫びをあげてその紐を手放した。顔が火照っているのを感じる。そうそれは恐らく女性の胸に装着するもの。たとえそうでなくても俺は彼女がそれを着けている姿を想像し、その艶めかしい姿に性的な興奮を覚えてしまっていた。

 立ち上がって、箱から距離を置いて首を振る。いけない。こんなふざけた想像で目的を失うわけにはいかない。まだ手に持っていた、肌着を広げて太陽に透かしながら手掛かりを探る。しかしながらさっきの想像が頭を離れない。この何の色気もない肌着でさえ、サロアが身に着けていたのを想像すると、羞恥心で顔に血液が上るのを感じる。


 ――――


 背面にパキッと枝が折れるような音が響いた。はっとして振り返る――誰もいない。恐らく野生生物か風のいたずらだろう。

 安堵して振り向くと、取り返しがつかないことをしてしまったことに気付いた。

 白い布の肌着がとがった木の枝によって裂かれてしまっていた。

 きっと先ほど勢いよく振り向いた拍子に近くの木の枝に引っかかってしまったのだろう。さっと顔の血の気が引いていく。確かにサロアの正体を探るべく彼女の持ち物や寝床を荒らしてはいたものの、損傷させたりするつもりは一切なかった。なぜならこの持ち物はサロアにとって掛け替えのない大切なものである可能性があったからだった。

 しかし、結果的にそうなってしまった。頭の中に言い訳の言葉や、何か誤魔化せないだろうかといったあくどい考えが浮かぶ。正直に話したら許してくれるだろうか、自分で編んで治せば、誤魔化せるんじゃないか、いや、作りが丁寧すぎて素人じゃどうしようもない。そもそもこの行為自体が――

 俺は今更ながら罪悪感や自らの醜い内なる下心を感じて、今すぐにでも彼女に謝りたい気分になっていた。

 日の当たり方でもうそろそろ日が夕方に差し掛かる時間になっていることに気付いた。どんどん薄暗くなっていく森の中で自分の気持ちがどんどん小さくなっていくのを感じていた。自らの短くそして多くの恐れがあった人生の中でも、これほど人に嫌われるのを恐れた日は無かったかもしれない。

 肌着についた傷跡を見る。損傷した個所は首元に当たる場所で胸部を分かつように裂かれた一本の線は、そのまま袂を分かつことを示唆している様に見えた。

 どろどろと胸のあたりにへばりつくような後悔に苛まれながらそれを見ていたが、しかしそれはとある発見によってすべて洗い流され、新たな恐れとなって埋め尽くすことになった。

 見間違いじゃない。何度見直してもそう見える。間違いない。この肌着は

 ――生きている。

 そう頭で認識した瞬間、俺は思わず肌着を投げ捨てていた。それほどまでにそれは生物的であり、グロテスクだった。

 しばらくありのままの現実を受け入れられずに、それを放置していたが、しかし時が経つにつれ、自らの中に得体の知れない衝動が湧き上がっていくのを感じていた。見てはいけないと思いつつもそれに惹かれる。見なくてはいけないとまで思う。

 投げ捨てた肌着に近づいて行って、それを観察する。

 それは蠢くという表現が最も適切だった。傷口の繊維は一本一本が蠢き何かを目指してその触手を伸ばしていた。傷の最も浅い場所の触手が対岸の触手とくっつき、それはそのまま絡み合い、元の繊維の姿へと戻っていく。それがしばらく続いて、しまいにはすべてが元通りになって、以前の上等な白い布へと戻って、肌着はすっかり元の姿を取り戻していた。

 俺はそれを見届けて、背中がぞくぞくとするようなおぞ気と、ある種の感動を覚えていた。俺はふと思い立ってかばんからナイフを取り出して、もう一度別の場所に傷をつけた。今度は裾のところだった。それはさきほど全く同じ経緯を辿って、元の姿に戻った。

 驚異的な力だった。それと共にこの力がこの世界の理に反していることをなんとなく直感で理解していた。

 俺はもう一度ナイフを取り出して傷をつけた。今度は胴体の部分を手のひらほどの大きさに四角く切り取って分離させた。二つを並べて地面に置く。親を肌着本体とするなら子は切り取られた方であるとした場合、親は先ほどとほとんど同じ経緯で触手を伸ばして傷口を完全に修復したが、子は切り取られた状態から何も変化が無かった。

 今度は子を分離しない様に傷をつけた。その傷は最初の傷と同じように修復されて子が傷がつく前の姿に戻った。

 次は子が分離するように傷をつけた。しかしそれはしばらく待っても何の変化もなく、今度は二つの子の傷口が互いに接触するように並べてみると、それらは親が傷を修復するときと同じ経緯で互いの断面に取り付いて修復し、少々の時間を経て、分離する前の子の姿に戻った。

 俺はそれらの実験を経て、ある程度の理解とそれがもたらす恐怖を得た。まだまだ“これ”を理解するためには、さらなる実験が必要だったが、恐怖が知識欲を上回った。“これ”の最も重大な力と問題点は親が常軌を逸した再生能力を持つことだった。つまり親が生きている限り無限に布が生まれていくということだった。何らかの制限があるかどうかはわからないが端から見たら無限増殖だ。あまりにも危険な存在であることは子供である俺でも理解が出来た。

 そこでふと、今日の朝見た子牛の元気そうな姿を思い出した。

 ――まさか

 サロアがそんなことするわけないと思いつつも、今目の前で繰り広げられた光景に断言はできなかった。

 胸中では先ほどとは違う種類のヘドロが纏わりついていた。気分が悪い。喉の奥から胃酸がせり上がって来ていて、舌の奥が酸っぱい。

 俺はこの異常事態に一体何をすれば正解なのか考えていた。このことを父に話すべきだろうか、いや、このことを話せばほぼ確実にサロアはこの村にはいられないだろう。そもそもサロアを本当に信頼しても良いのだろうか。“あの”エレナであっても間違えることはあるのだろうか。あのサロアの表情は嘘だったのだろうか。俺はサロアにどうあって欲しいんだろうか、サロアをどうしたいんだろうか――

 俺は迷った末に切り取った布片だけを残し、その他を箱の中に戻して、そっくり同じように埋めなおして、残った布片だけを持って村に帰ることにした。

 この布片を持って帰って具体的にどうするか自分の中で整理はついていなかったし、この布片だって安全とは言えないが、いずれにしても必要になりそうなことは直感していた。

 出来るだけ全てをもとに戻して、簡単にこの場所が見つからない様に申し訳程度に草木を使って偽装した。もしサロアがここに戻ってくれば何者かが立ち入ったことはすぐにばれてしまうだろう。それでも第三者にここが見つかるよりはましな気がした。

 すでに日は落ち込んで、まるっきり暗闇とは言えないが、歩くには少々心もとない程の明るさになっていた。ここに辿り着くまでの事を思えば、ちゃんと村に帰還できるかどうかは正直怪しかったが、この場所で一晩過ごすよりましだろうし、今日中に戻らなければ村では大事になって、ここが発見されるリスクが高くなるだろうから、何とかして村に帰還せねばならなかった。

 懐に入れた布片に触れる。この胸に渦巻く感情も俺はちっとも整理できていなかった。

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