6.3

 私の意識はしばらくどこかこの世ではないところに行ってしまっていたようだった。理性は相変わらずこの目の前のモノを危険だと判断し、村人に避難指示を送るように頭に命令を送っている。私はなぜだかその理性が下した判断を実行に移すことが出来ないでいた。

 窓際に立つトマスに助けを乞うように目線を投げかける。私と同じく意識は戻っているようだが、カレンに救援を送る素振りは見せない。

 また長い沈黙があった気がする。時間間隔が完全に狂ってしまっていた。

 そうしていると今度は旅人が口を開いた。


 「申し訳ありません。私はこういう体質なんです。いわゆる白皮症(アルビノ)というものです」


 旅人は自らの頬を撫でながらそう言った。

 確かに人や動物の中ではアルビノという生まれつき肌や髪が極端に白くなるといった現象が非常に稀ながら発生し、その事実は一部の界隈では周知の事であった。そして……


 「故に私には帰るべき場所がありません。多くは語れませんが、その前にまずあなた方のご子息を利用するような真似をしたことを深く謝罪させていただきたいと思います」


 そう、彼女のように明らかに人とは違うような特徴を持った人間というものは得てして共同体の結束と均衡を保つために、社会的には排除される傾向にあった。奇形や知的障碍者などはその見かけ上の異質さから疎まれ、逆にエレナや目の前の旅人などの常軌を逸した頭脳や美貌は、共同体の均衡を破壊するとして、徹底的な迫害もしくは、その能力を利用するだけ利用した後、それらが台頭しない様にあらゆる権利を剝奪したのちに、悲惨な最期を迎える場合が多い。そうして人類は圧倒的多数である“普通の人”同士の結束を高め共同体を拡大し、繁栄を極めてきた。特にアルビノというわかりやすく異質でありながらも、魔力を感じさせる風貌はそれらの格好の的だった。ほとんどの共同体でその白は特別な意味を持ち、差別が行われ、酷い所ではアルビノの肉を食らえば特別な力を得られるという虚言が横行し、その結果奴隷商人や盗賊に目を付けられ、幼いうちから全ての自由を奪われ、短命に終わることもよくある話だった。

 

 「……ええ、安心してください。私たちの村では肌の色で差別することはありません。戒律によりそれらは禁止され、それに反した者は重い罰を課されたのちに村を追放されます」


 何とか放心状態から立ち直った私は、かつての記憶を呼び覚ましながら無理やり舌を動かして、その定型文を読み終わった。今の私には彼女の発言が真実であるか、その意図は何なのかを反芻できる冷静さを持ち合わせていなかった。


 「また子供たちの件についてもあの子たちが勝手にやったことです、あなたが責任を感じる必要はありません」


 口を動かしながら機能が停止してしまった頭を働かせる。私は頭の中に響く自分の声を聞きながら、徐々に冷静さを取り戻しつつあるのを実感していた。窓際のトマスを見る。彼は身動き一つせず、窓の外を振り返る素振りも見せなかった。彼もまた森に潜むカレンに、まだ合図を送る時ではないことを理解しているようだった。

 旅人は私の言葉を聞くと、少し顔を俯かせ、ありがとうございますと礼を告げると、またあの複雑な色彩の双眸をこちらに向けてきた。私の脳内にはまたあの不可解な感情と幻覚が沸き起こって来たものの、今では最低限の思考を働かせられるぐらいには冷静さを取り戻していた。


 「しかし、申し訳ありませんが私共はあなたをこの小屋に永続的に住まわせることは出来ず、村の中に入れることも出来ません。これは前者が、我々が秋にはこの狩猟小屋を使用するため、後者が我々の村では戒律で浄化の儀式を経ていないものを入れてはならないとされているからです。残念ながら現在、儀式を行う祭司が諸事情につき空席であり、また儀式も行うことが出来ませんので、秋ごろにはにはここを退居していただく必要があります」


 私は旅人を刺激しないよう彼女のあらゆる矛盾点を指摘せず且つ、ある程度旅人に不都合があるような情報を並びたて、反応を伺うことにした。これまでの彼女の行動を見るに、あれだけ強力で奇怪な妖術を使いつつも子供たちや私たちに──自分や子供たちが妖術にあてられてもうすでに正気でない可能性を除くのならば──直接的な被害はこちらにはなく、あくまでも表面的には友好に接していることからも、彼女が我々を今すぐにどうこうしようという気は無いと、確かではないものの推測できる。

 そして先ほどの私の発言は、前者が本当の事で、後者は大体のところが嘘だったが──現在ではこの村に旅人が往来することは物理的に不可能であり、それらの戒律はほとんど忘れ去られてしまっているが、当時でもそこまで厳格ではなく、確かに一部地域ではそのような制限が課されてはいたが、基本的には大きな制約もなく旅人や商人の往来や一時的な滞在は許可されていた──、彼女にとってはそれらの制約は長期的な滞在を拒否され、村に直接取り入ることが出来なくなるわけである。そのため旅人の目的が何にせよそれに対しての何らかの反応はあってしかるべきではあった。


 「ええ、それで構いません。数々のご厚意感謝いたします」


 しかるべきではあったのだが、私の予想に反して旅人は高貴な令嬢を思わせる楚々とした所作を持って礼を言い、我々の要求を受け入れた。

 私は困惑していた。彼女がもし魔術師で、今すぐ害をなすつもりもなければ、村に取り入るつもりもないとなれば、なぜ私たちの前に現れる必要があったのか。もし何かを警戒して不意を討とうとするならば、陰から見つからない様に潜伏するのが良いのではないか。

 そして何よりあの容姿。あまりにも美しく、あまりにも神々しい。それ故にあまりのにも不気味だった。

 もしかしたら、本当に魔術師では無い可能性も頭をもたげたが先ほどの妖術やアルビノといえど常軌を逸した容姿、それらは魔術によるものである可能性が非常に高い。私の知るところにおいて、それら不可思議な力は帝国の魔術師以外において聞いたことが無かった。

 旅人の濁った双眸が私の眼光を貫く。

 ──私は正気なのだろうか。トマスは?ロビンは?エレナは?

 わからなかった。先ほど脳裏に焼き付いた幻覚が消えてくれない。今すぐトマスに村のみんなに避難するように伝えるべきかもしれない。私はこの後何をすればいい?少し間を開けすぎたかもしれない。私は口を開いた。

 

 「それでは──」


 「────────」


 外から人に似た、いや、人の、女の子の悲鳴が聞こえた。カレンじゃない。でもよく似た──


 「エレナッッ!!??」


 トマスが焦りと困惑に満ちた叫び声をあげた。そうだこれはエレナの悲鳴だ。

 ダンと音が響いたと思った瞬間には旅人は外套を翻して狩猟小屋の扉に手を掛けていた。

 

 「おい、待てっ!」


 私の静止が届くころには小屋の扉は開け放たれ白い影は消えていた。トマスが間髪入れずそれを追って小屋を出る。私も当然それを追って出ていこうとしたが、思いとどまって、椅子の脇に置いた自らの鉈と壁に掛けてあった斧を拾いに行ってから二人の後を追って小屋を出た。

 小屋を出た瞬間遠くの草の陰で潜伏していたカレンと目が合う。状況がつかめず困惑しているようだ。先ほど聞こえた娘の悲鳴と小屋を飛び出していった銀色の陰、その中で自らの任務と娘の安否、どちらを優先すべきか逡巡しているようだった。私は一瞬迷った後にカレンにこちらを追うようハンドサインで指示を出した。遠くでカレンが走り出す素振りが見える、私はそれを最後まで見届けず、走り去った旅人とトマスの背中を追って走り出した。旅人の姿は見えずトマスの背中だけが見える。トマスも間髪入れず飛び出していったはずなのに、旅人とトマスの間には相当距離が出来ているようだ。

 私も必死でその後を追った。悲鳴の聞こえた方角的にそう遠くではないはずだ。


 「お前何やってんだ!!」


 トマスの声が響く。木々に遮られて状況がよくわからなかったが、相当切羽詰まった状況であるようだった。木々を越え視界が晴れる。予期せぬ光景が目に飛び込んできた。

 あれは大きな巨大な茶色の塊、人の体格を優に二回りも三回りも越える体躯に、凶悪な面相には鋭い牙、巨木の幹ほどある腕には鋭く長い爪。巨大な大熊だった。そしてその近くで寝そべっている、大熊と比べると幾分と小さい影。エレナだ。そして疾風の如く駆け抜ける銀色の閃光──

 小さな少女を捉えようと振りかざした大熊の爪は間に割り込んできた銀色に遮られる。ぐちゃっと何かがつぶれる音とごきっと固いものが砕ける音。

 ──旅人の胴体は大熊の鋭い爪によって貫かれていた。


 「い、いやああぁぁ!!」


 エレナの悲痛な叫び声が聞こえる。私はようやくトマスの背中に追いついた。絶望的かつ衝撃的な状況にさしものトマスも二の足を踏んでいるようだ。


 「トマス!!」


 ようやく現場に到着した私は持ってきた斧をトマスに渡して大熊に向かって駆け出した。大熊は突き刺した旅人がなかなか抜けず手間取っているようだった。私はその隙に大熊の首筋めがけて振りかぶった鉈を振り下ろした。がきっと音がして刃がはじかれる。どうやら渾身の力で振りぬいた鉈もあまり大きな手傷にはなっていないようだ。

 大熊はうごうという低い呻き声をあげて、旅人が突き刺さっていない方の腕で、私を後ろ手に払いのけた。視界が暗転し天地がさかさまになる。吹き飛ばされ、地面に投げ出された痛みで視界が明滅し、肺にたまった空気が吐き出される。

 それを見届けたトマスも雄たけびを上げながらが大熊に吶喊していく。咆哮を上げる大熊に構わずトマスは先ほど私が傷つけた首筋を狙って両手に持った斧を振り下ろした。またしても骨と刃が当たる音を立てて、今度は斧が大熊の首筋に突き刺さった。

 ぐおうと苦悶の叫びをあげた大熊の首筋から鮮血が舞う。熊がたたらを踏んだ拍子に爪から旅人がぽてりと落ちた。さしもの大熊も相当な手傷だったようで少しひるんでいたが、すぐさま身軽になった腕で地面に四つ足を踏むと今日一番の咆哮を上げた後、斧から手を放し後退していたトマスめがけ突っ込んできた。

 万事休すか。確かな手ごたえを感じていただけにトマスは反応が遅れてしまった。地面を蹴り上げ側面に身を投げ出し、回避を試みるが大熊の常軌を逸した体躯と速度はそれを許さないだろう。トマスはこれから訪れるだろう痛みと衝撃とそして死に、身を委ね目を閉じた──

 その時ひゅんと風を切る音が聞こえた。トマスがさっきまで立っていた場所を何かが通り抜け、それはそのまま大熊の顔面に吸い込まれていく。森の木々の合間から放たれた矢は見事に大熊の左目に突き刺さった。眼球を矢じりの鉄がえぐる音と、それに伴って襲い来る痛みと衝撃に苦しむ大熊の慟哭が森を揺らす。大熊は矢の威力と左目の痛みによりトマスに激突する前にバランスを崩して軌道を変え、周りの枝や草をなぎ倒しながら転倒した。それた軌道は有り余った勢いのままなおも砂埃や枝葉を巻き上げながら猛進し、そのまま軌道上にあった大木に激突してやっとその勢いを止めた。激突の衝撃に当てられた大木がその身を揺らして、自らが纏った葉や種子を大熊に降らせる。

 冥府の入り口から寸でのところで引き戻されたトマスは、その命の恩人がいるだろう場所に感謝の視線を送った。しかしどうやら決着がついたと思っていたのはトマスだけだったようだ。気配を感じて振り返ると、大木に激突した大熊はすぐさま立ち上がり、左目と首筋から流れる血液をまき散らしながら体を振るわせ、降りかかった枝葉や砂を取り払っていた。どうやら突き刺さった斧もそれまでの衝撃でどこかに投げ捨てられてしまったようだった。

 ものの数秒で再び臨戦態勢となった大熊は、トマスと同じく新たな脅威となりうる者がいるだろう場所に向かって残った右目で視線を送る。

 しかしながら狩人はもう一つ上手だった。体勢を立て直した大熊の出鼻をくじくように、再び矢が狩人が居るべきだろう方角とは違う角度から、もう片方の眼球を狙い、飛来した。大熊は今度は寸でのところで身を躱したが避けきれず、矢は口元に突き刺さり、またしても大熊は苦悶の叫びをを上げることとなった。

 更に間髪を入れず更に二の矢、三の矢が残った右目を狙って飛来する。今度は先ほどと同じ角度からの攻撃であったため右腕を上げてかばうことに成功したものの、かばった右腕にそれらの矢は深々と突き刺さった。

 矢の攻撃が止む。勝敗は決したようだった。何とか立ち直った大熊は警戒して鼻を鳴らしつつ襲撃者の位置と次の攻撃を特定しようとしていたが、途中で不利を悟ったか、身を翻して森の中へ消えていった。

 数秒の沈黙が流れた。一先ず私たちは危機を脱したようだ。

 先ほど矢が飛んできた場所からカレンが出てきて、自らの娘に駆け寄る姿が見える。トマスも立ち上がって娘の元へ向かっていった。。エレナは無事だろうか。

 そして私はその近くで転がっている、舞い散った鮮血によってどす黒く染められた銀色の影に視線を移す。これからしなくてはならない事、考えなくてはならないことがあまりにも多かった。

 まず私がやるべきことは──

 しかし不思議なことに立ち上がろうと力を込めた手足には全く力が入らず、立ち上がることはおろか、体を動かすことすらままならない。

 ああ、そうか──

 頬に伝わる冷たい土の感触と刺すような頭部の痛み。私は事ここに至ってようやく、自らの状況を理解した。視界が明滅する。

 窓辺で見た妻の横顔、膝にすり寄る子牛の感触、そして全てを埋め尽くす銀──

 脳内に在りし日のサギュリティアと妻の笑顔が浮かぶ。私の意識は記憶と幻覚と共に深い奈落へと落ちていった。

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