5.

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 大人たちが忙しなく通りを行きかい、何やら倉庫から食糧や狩猟道具、それに加えて季節外れの防寒具などを運び出したりしているのを、私とロビンは所在なさげに、広場──ギグスじいさんの守衛小屋がある搬入口前の広場を私たちは単に広場と呼んでいた──の片隅の休憩所の窓から眺めていた。


 「ねえロビン、みんなどこかに行くのかな。こんなのって今までなかったのに」


 「さあね、大人たちは俺たちが知らないことを知っているんだ。だから俺たちとは違う世界の見え方をしているんだ」


 言葉とは裏腹に何か知った風な物言いをして、窓から大人たちを眇めていた。

 どうやら何か他のことを考えて上の空になっているようだった。


 「やっぱりサロアの事かな。今まで村の外から人が来たことなんてなかったし」


 私は構わずに自らの疑問をロビンに投げかけた。

 通りを行きかう大人たちは皆険しく、殺気だっていたり、もしくは青ざめた顔で今にも倒れるのではないかと思われるような表情をしていて、私の心はそれにつられ、得体のしれない焦燥感に駆られていた。


 「よしっ、エレナはここで待ってて。俺は大人たちに何か手伝いが出来ないか聞いてくるから」


 「えっ、待ってよ。それなら私も一緒に行く」


 ロビンがすくと立ち上がって、足早に出ていこうとするのを私は寸でのところで止めた。


 「だめだ。エレナが一緒に行っても力仕事だろうし、却って邪魔になっちゃうよ」


 私は正直なところみんなが思うほど運動は苦手ではないし、力仕事だってロビンに負けないくらい出来る……と思う。でも、どういうわけか私は村のみんなからそういうことは苦手だと思われていた。


 「えっ、うーん……でも……」


 だけど私としてもそれを利用して、過酷な重労働から逃れてきた手前、今更それを打ち明けるわけにはいかないし、何よりこの暗澹とした空気を作り出している大人たちの間に混ざって働きたくはなかった。


 「まあ、村総出で何かやってるなら、おじさんとおばさんも参加してるだろうし、手伝って早く終わればまた話が出来るかもしれないからね」


 私たちはどちらとも、両親とはサロアのことについて具体的な話し合いが出来ないでいた。サロアのことを話した途端様子が様変わりし、深刻そうな顔をして自分たちの安否の確認をしたり、話をはぐらかされたりして、まともに話を聞いてはくれなかったからだ。私としてもある程度の反対は予想していたけど、この状況は予想以上だ。


 「うん、わかった……でも出来るだけ早く帰ってきてね」

 

 心の中では一人になる心細さや、何かやらなければならないのではないかという焦燥感から葛藤はあったものの、最終的にはロビンの言う通りにすることにした。


 「うん、もしかしたらカロルさんも帰ってくるかもしれないから、心配せずに待っててよ」


 カロルさんとは、私たちがこの休憩所に押し込められたときに一緒に押し込められた少年の事である。私達とは七つほど年が離れていて、この村に置いては私たちの次に若い。若いとは言っても私たちにとっては十分大人で、彼が他の大人たちと違って私たちと一緒に休憩所に押し込められたのも単に子守としての役割を割り当てられただけだろう。その証拠に私たちが大人しくしていたら、少し用事があるといって一人で出て行ってしまった。


 「じゃあ行ってくるよ」


 そうこうしているうちに、ロビンはカロルと同じく、さっさと休憩所から出て行ってしまった。正直なところ今日のカロルは神経が高ぶって少しピリピリしているようで、私としては二人きりになるのは避けたいところだったから、ロビンの言葉に少しまごついてしまっていた。

 休憩所の外から、足早に去っていくロビンの足音が聞こえる。

 一人になってしまった。

 天井に掛けられた休憩所の細い梁を見つめながら、木造の粗末な長椅子から浮いた足をぶらつかせる。

 手持無沙汰になってしまった私は、特に何か事を起こそうという気も起きず、引き続き天井を眺めながら、思考を巡らす。

 ──昨日の衝撃を思い出す。

 あれは私の知らないものだった。私の中の心も世界もすべてが変えられてしまったようなそんな感覚だった。

 すらりと長く伸びて、少し節くれだった指先。完璧に均整のとれた、少し伏し目がちな双眸から除く灰色の瞳。その手は今何を掴み、その目は今何を見ているのだろうか。

 途端にかたりと音がした後、またぱたんという音がして部屋の中が暗闇に包まれた。

 私ははっとして、先ほどまでしていた恥ずかしい妄想に頬を赤く染めつつ、状況を確認する。どうやら何かの拍子に、風で閉まらないようにしていた、つっかえ棒が取れて、窓が閉まってしまったようだ。慣れてくると昼間ということもあり、そんなに暗くなってないことに気付く。

 窓が風に揺られてぱたぱたと音を鳴らす。

 ロビンが出て行ってからどれほど時間がたったのだろうか。

 私は急に心細さを感じて、きゅっと胸の前で手を握った。外には大勢の気配を感じるし、暗闇だってそんなに深くは無いはずなのに、ロビンが出ていった時からさらに加速して、強く孤独を感じている。

 私は居てもたってもいられず、とりあえず窓のつっかえ棒を直そうと立ち上がった。

 窓際に近づいて行って、棒を立てて窓を直す。暗闇は薄くなったが、人恋しさはあまり薄くなっていないようだった。

 しばらく椅子に戻ってじっとしていたが、やはり限界だった。

 私は長椅子から飛び降りると、気乗りしないながらもロビンを探しに行くため、休憩所の戸に手を掛け、外に出た。

 薄暗い所から出たせいで、昼前の太陽でも少し目が眩む。通りでは相変わらず、陰気な顔で大人たちが忙しなく行きかっていた。しかし彼らは自分の仕事と他の何かに夢中なのだろうか、私が休憩所を出たのに気付いたものはいないようだ。

 私はなんとなく人目を避けながら物陰を辿って、皆が行きかう道をロビンが向かいそうな場所へ向かう。

 しばらく適当にふらふらしていると、牛の世話をしているギグスじいさんの小屋に行き会った。今朝ロビンと私は薬のことが気になって、ここを訪れていた。

 今朝私たちがこの守衛小屋を訪ねたとき、ギグスじいさんは戸を叩き自らの前に現れた私たち二人を見て何故か笑った。 

 私はギグスじいさんとはあまり話したことはないけど、別に悪い笑いじゃなかったような気がする。割と面識のあるロビンでさえ少し困惑していたが、構わず子牛の様子を見たい旨を伝えると、笑った理由は話さず、かといってこちらの事情を問いただしてくるわけでもなく、すんなりと鍵を渡して厩舎への道を開いた。

 私たち二人は少し拍子抜けしつつ、門をくぐって厩舎に辿り着いたが、子牛の様子を見て、そんな疑問は吹き飛んでしまった。

 前見た時よりも明らかに元気になっていたのだ。

 私はお父さんみたいに見ただけで牛の体調がわかるわけではないけど、前に見たときに比べて咳もしていないしぐったりと寝転んだりもしていない。

 やはりサロアの薬が効いたのだろう。数週間は同じ状況だったから自然に治ったとは考えにくかった。

 私たちを見つけると、とてとてとこちらに歩いてきて額を撫でるように頭を差し出してくる。どうやら元気になって機嫌も良いらしかった。

 ロビンは近づいてきた子牛の額を撫でつつ信じられない物を見たような顔をしていた。

 子牛がここまで元気になっていたのもそうだけど、それより昨日の両親の反応からまさか本当に薬をやっているとは思っていなかったのだろう。私も同じ気持ちだった。 

 守衛小屋の隣の開け放たれた大扉から牛を連れてギグスじいさんとがたいの良い、長身の男性が入ってきた。

 一瞬お父さんが入ってきたのだと思ったが、違った。


 「あ、おいエレナ嬢ちゃんじゃねえか」

 

 「テ、テオルさん」


 守衛小屋のすぐ近くでじっと見つめていたから流石に見つかってしまった。

 彼は私たちと一緒に主に農作業をしている、お父さんと同じかそれより下くらいの年齢の男性である。


 「だめじゃねえか。今日の作業は大人たちがやるから、休憩所で大人しくしてろって言われただろ?」


 案の上詰め寄られてしまった。

 しかし私としても見つかったのが彼でよかったかもしれない。

 テオルさんとはよく畑の手伝いで一緒になるし、少しお父さんと雰囲気が似ていて、彼からよく話しかけてきてくれるし、性格もおおらかだから、話くらいは聞いてくれそうである。


 「うん、でも……」


 「あっ、そういえばカロルはどうしたんだ。今日はあいつがついているはずだろ?」


 「どっか行っちゃった」


 「あいつめ。そんな予感がしてたんだよな……」


 テオルさんは頭に手をやって少しオーバーなリアクションをとった。

 

 「ていうかロビンも居ねえじゃねえか。ここで待ってろって言われたのか?」


 「ううん。……ロビンここに来てないんですか?」


 私は首を振って否定しつつ、あらかじめするはずだった質問をした。。嫌な予感がする。

 

 「えっ?ロビンもどっか行っちゃったのか?」私は首を縦に振って頷いた「……そりゃあ意外だな……憶えがねえ。じいさんは見たか?」


 「わしは見てないぞ」


 隣のギグスじいさんが答えた。


 「なんてこった……イオリアさんもトマスさんも今は村にいないし、どうすんだよこりゃあ」


 「……お父さん今いないんですか?」

 

 何かつながっていく気がする──


 「あっ、えっと今のは違うんだ──まあ安心しろすぐ帰ってくるし、なんも心配いらんっ」


 私は次やらなければならない事について必死で思考を巡らした


 「うん、ありがと。私休憩所に戻ってますね」


 私は踵を返して少し足早に来た道を戻る。


 「あっ、待て、休憩所まで送ってくぞ!」

 

 「テオルさーん。これどこ持ってけばいいですか」


 背中に私を呼び止める声と別の誰かの声がしていたが、私は振り向かずに歩を進めた。


──────────


 「これはあそこの第2倉庫前だな」


 「ありがとうございます」


 大きな木箱を持った若い男に指示を与えた後にテオルが少女の背中を追うとそこには誰もいなかった。


 「不味ったな……エレナまで行方不明になったら……」


 「まあ大丈夫じゃろ」


ギグスじいさんはあごの長く伸びた髭を触りながらのほほんと答えた


 「じいさんなあ、今どんな状況かわかってんのか」


 「ああ、わかっとるよ。でもカロルはともかくロビンは大丈夫だと思わんか。お前さんより遥かに頭がいいじゃろう?」


 「おいじいさん!……まあそうだろうが……まっ、あのロビンがエレナを置いて無茶するわけないか」

 

 テオルは少女が去っていった方向を遠目で見ながらそう自分に言い聞かせた。

 テオルも子供の前ではいつも通りに見えるようふるまっていたが、正直なところ自分のことで精一杯だった。大人でさえ明日の事も知れぬ状況で子供の行動を制限する必要はあるのだろうか。

 

 「そうじゃろ?念のためわしはこの扉をしっかりと見とくでの、お前さんは北の門番に誰も出さんように伝えておいてくれんかの」


 「ああ、お安い御用さ」


 そういって二人は牛に発破をかけて、今課されている仕事を片付けに掛かった。二人にとっては後のことを考えるより手を動かしていた方が楽だった。


──────────

 私は古い記憶をたどってようやく目的の場所に辿り着くことが出来た。

 そこは村の西端に位置する、いつも湿っぽくかび臭いすえた臭いのする、一軒の建屋だった。

 この建屋は倉庫が集まる広場にほど近くまた、北西の高台の住宅街に向かう道のちょうど中継地点ということで、少し道から外れるものの、生活の基点としてあれば便利だろうとして建てられた倉庫であったが、ちょうど窪地になっていることもあり、霜が降りて冷気が溜まりやすため、湿気やカビによって食料や備品がだめになってしまい、結果的に打ち捨てられることとなった、今ではほとんどの人が忘れ去った倉庫である。

 この場所を最初に発見したのは、カロルだった。

 私とロビンの年齢が今より半分もなく、カロルもまだ遊びたい盛りの少年だったころ、この村の警備はもっと厳重だった。私とロビンがさらに幼く、カロルはもっとやんちゃだったからかもしれない。

 私たちは当時村を自由に出入りすることは許されていなかった。もちろんそれは今もそうだけど、あの頃は常に大人の同伴が必要だった。

 それがあの時のカロルには不満だったのだろう。彼はあの手この手で村を抜け出す手段を講じそれを実行していた。

 そして彼が見つけ、最後まで大人たちを出し抜いた本命の手段がこの抜け穴である。

 それはこの倉庫の裏手。鬱蒼と草が生い茂って一見死角に見える場所に人一人入れるスペースがあって、その裏はこの村を囲む塀になっていた。

 さっき説明した通り、ここの地形は霜が降りやすく湿気が溜まりやすい。倉庫を建設し、風通しが悪くなってしまったせいで、倉庫の裏手にある木造の塀は、他の部分より大幅に劣化していた。

 そこに目を付けたカロルは大人たちにばれない様に細工してちょうど、人一人通れるくらいの抜け穴をつくった。

 当時のカロルの力では村を取り囲む太い木の塀を誰にも知られずに穴をあけることは出来なくとも、朽ちた木材をこっそり削り取ることは容易だっただろう。

 カロルには同年代の子供がおらず、私達しか遊び相手がいないこともあって、本当に時々ではあるが──カロルはこの抜け穴の存在を貴重だと思っていて、大人たちにばれない様に慎重を期していた──一緒に村を抜け出して村の外を冒険していた。

 倉庫の裏手に回り、草をかき分けて倉庫と塀の間にできた狭い隙間に体を潜り込ませる。

 草の生きている臭いと、湿気が集まってじめじめとした、耐え難いかび臭さが鼻をつく。

 成長した私たちは程なくして、単独で外に出る許可が与えられた。カロルは年齢の積み重ねと共に、私とロビンは主にロビンの信頼と実績と共にそれが与えられた。しかし、試したことはないけど私一人では外出の許可はたぶん下りないだろう。

 狭さと臭いで息苦しい思いをしながら歩みを進め、ついにそれを発見する。

 それは記憶よりだいぶ狭い穴だった。

 膝をついて地面を調べる。

 予想通り、何者かが同じように膝をついてくぐった形跡がある。

 私もそれに倣って、四つん這いのまま歩を進め、抜け穴をくぐる。

 この抜け穴の存在は私たちに許可が出るまで、大人たちにはばれなかったから、ここの存在を知っているのは私の他にはロビンとカロルだけだ。

 抜け穴を進み突き当りの外の光が漏れ出ている壁をこんこんと叩く。するとぱたんと音がして外の新鮮な空気が頬を撫でた。

 さらに進んで抜け穴を這い出る。立ち上がって大きく息をつくと劣悪な環境から解放されて、生き返ったような気分になった。

 振り向いて、出てきた穴を見る。

 視認性の悪い内側の穴と違って外側は見つかる恐れがあったため、抜け穴に薄い木の板をはめ込むことによって、見つかりづらくしていたが、当然この仕掛けを施したのは随分前の事なので、木の板は朽ちてぼろぼろになっていて、果たしてその役割を全うできているのか怪しい所だったけど、つい最近ここを使った者も昔と同じように律儀にその仕掛けを施していたので、私もそれに倣ってしゃがんで木の板を手に取り、もう一度はめておく。

 もう一度立ち上がり、辺りを見回す。

 足元には鬱蒼と草が生い茂っていて、すぐ目の前には木が立ち並ぶ森が広がっていた。この抜け穴が見つからなかったのは仕掛けのおかげではなくこの環境のおかげだろう。

 さらに足元に目を凝らして、あるべきものを探す。

 どうやらこの痕跡を見る限り、今日の先人は二人いて、二人とも違う方向に向かっているようだ。一つは北の方向そしてもう一つは少し左にずれて北西の方向。

 正直なところ足跡は複数あって、少し入り乱れているし、大きさも大体同じでどちらがどちらなのかよくわからない。

 ここにきていつもの弱気が出てきて尻込みしてしまう。

 ロビンはともかくカロルはよくわからなかった。カロルはなんの目的でこの抜け穴を使ったのか。

 もう一度足跡を見る。

 私はロビンを信頼している。カロルが悪いとかじゃなくて、ロビンが特別なのだ。

 ロビンなら昨日の一晩のうちにサロアの事を解決するための方策を建てて実行に移すはず。

 先ほどテオルさんが独り言ちるようにこぼした言葉を思い出す。

 ロビンのお父さんと私のお父さんも村にいないのならその行先はたぶんサロアのところだ。

 お父さんたちはサロアをどうするつもりなのだろう──

 ロビンは多分自分で何とかしようとして村を抜け出したはずだ。そして、サロアの元へ向かう……はず。

 ロビンはお父さんたちの行先を知っているのだろうか。

 ──ロビンに会いたい。

 ──サロアに会いたい。


 私は左の北西の方向を目指した足跡を選んだ。

 私の中にぽっかりと空いた穴。それが何なのかわからなかったけど、それが埋まらなくて今は胸が苦しい。

 急がなくては。

 何かに導かれるように歩を進める。気付けばその足は駆け足になっていた。

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