3.

3.


 「ありがとう、本当に助かりました。」


 その言葉に私の心は舞い上がり、手足の先まで幸福感で満たされていくのを感じた。

 これがたぶん私の初恋だった。


 するすると彼が木陰で着替えている音が聞こえる。

 その衣擦れの音に私の胸はより一層高まった。

 彼はたぶん生物学上女性に分類されるはずだったけど、その時の私にはそんな些細な事は気にならなかった。それどころか──確かに胸元にふくらみを認めてはいたが──少し節くれだった手の指先、やや大き目な肩幅、うっすらと浮かぶ腹筋……先ほど間近で見た彼の身体すべてが男性性を訴えかけていて、恐らく女性であるはずなのに更に私の性的興奮は高まった。

 

 「ありがとう、本当に助かりました」


 そして私はもう一度彼の台詞、彼の貌を思い出す。

 端正で中性的でありむしろ男性的な雰囲気を全く感じさせないそれは、私の少ない人生で培った常識や価値観をぶち壊すのには十分で、彼の身体、声、顔、表情は人生観のみならず性的志向まで徹底的に破壊したようだった。

 

 まあ平たく言えば一目ぼれである。

 私は彼に遭遇して、逃げるように駆け出して、息を切らせながら両親のタンスを物色して、彼に服を渡すまで自分が一体何をやっているか理解していなかった。

 彼に服を渡し、礼を言われて初めて私は何のためにこんな行動を起こしたかを理解した。


 「エレナ……大丈夫か」


 相当だらしない顔をしていたのだろう。隣で私と同じく彼の着替えを見ないように同じ大樹を背にして座っていた幼馴染のロビンが少し心配そうな顔で尋ねてきた。

 

 「だ、大丈夫だよ。すこし走ったからちょっと疲れただけ」


 顔に血が上り、頬が熱くなっていくのを感じる。

 ロビンにあの人についての邪な感情を悟られるのがなにか気恥ずかしくて誤魔化す様に顔を俯けた。

 

「そうか、少しぼーっとしてたみたいだから心配になって……」

 

 顔を俯けていたからその表情は見えなかったけど、声色から本当に心配しているのだろうことが窺えた。

 どうやら本当にこの真面目で心優しい少年を心配させてしまったようだった。

 一気に心の中に罪悪感が広がっていった。

 

 ロビンは一つ歳が上の幼馴染だった。

 私たちの村は非常に少人数で同じ年頃の子供は私たち二人だけだった。

 内気でどんくさい私と違って、ロビンはやや真面目過ぎるきらいがあるものの、要領がよく、頭もよくて、年の割にはしっかりしていると村の大人たちに好かれていた。

 そんなしっかり者のロビンに私はくっつきむしのようにいつもついて回っていた。

 両親や村の大人たちには早く兄離れしなさいと再三言われていたし、私自身ももう年齢も二桁を数えるのに一人では何も出来ない自分に若干の焦りを感じてはいた。

 

 顔を上げ、心配そうに私の顔を覗き込むロビンに心配いらないよと即席で笑顔を作る。

 

 「本当に大丈夫だよ。ちょっと座ってたから元気出てきた」

 

 実際のところ元気は有り余っていた。


 「そうか、元気そうなら良かった」


 私の表情から何かを読み取ったのだろう。ロビンはまだ気掛かりがありそうな面持ちでありながら、大分表情を和らげた。

 私はロビンの思慮深くも包容力のある顔からふんわりと浮かび出た微笑みを見て、ああ私はまだ兄離れは出来ないなと感じた。彼の判断は大体において正確だった。


 少しの沈黙があった。

 お互いもっと他に話さなければならない話題があったが、あまりに強烈すぎる出会いとその後の森の静けさがハレーションを起こしていて、その原因となった事柄について話しだす切っ掛けをつかめないでいた。


 一足早くそのふわふわと明滅した空間に整理をつけたのは案の上ロビンの方だった。


 「あのさ、あの人のことどう思う」


 「えっ?あっ、ど、どう思うって……うーん、きれいな人だなあって思うよ……?」


 思いもよらぬ質問に私は動揺してしまった。


 「そうだよな……きれいすぎる……まるで同じ人間とは思えない」

 

 ロビンもロビンで他に何か気掛かりがあるのか私の動揺は気にならなかったようだ。字面だけ見れば私と同じ感想だが、ロビンの語調には張り詰めたような、緊張感のある音が含まれていた。

 

 「まず、こんな辺鄙な村に旅人がいるわけが無い」


 ロビンは私に言い聞かせるというよりは自分の頭の中を整理するために話しているようだった。


 「いたとしたらそいつは旅人なんかじゃなくてどこからか俺たちの村を聞きつけた略奪者の斥候だ。でもあれはきれいすぎた。あんな目立つ斥候はいない。それに全裸だった。状況を考えればあんな嘘すぐにばれるし、色仕掛けにしても少年と少女の二人組に話しかける道理がない」


 ロビンの言葉は途中から独り言になっていた。 私たちの村が何者かに追われていて、皆隠れ潜むように暮らしていたことは二人とも子供ながらにもなんとなくは察していた。

 私はそれを聞きながらああ、もしかしたらこの村を滅ぼすかもしれない敵の手助けをしてしまっていたのかもしれないなあと他人事のように思っていた。


 「だからたぶん違う。そうあれは……俺たちと同じだ。」


 ロビンは何かを思い出す様に目線を上に向けて言葉を続けた。


 「何かのっぴきならない事情があってこんな辺鄙な森まで逃げて来たんだ。嘘をついて子供を騙すような真似をして、何かに縋るように助けを求めたんだ」


 「その事情って?」


 「……君はまだ知らなくていい」


 そんな非常事態なら嘘なんか吐かずに素直に助けを求めればいいのに、私は絶対助けるのに、私はそんな風に思ったけど、ロビンの何やら深刻そうでこれ以上の議論を拒絶するような声色に私はその言葉を飲み込まざるを得なかった。


 「……父さんはあの人を村に入れると思うか」


 「えっ?どうだろ……入れないかも……あっでも他に人が泊まれる場所なんてないよ」


 ロビンの質問は唐突だったけど確かに一番直近に迫った問題だった。

 ロビンのお父さんは村長とは言われてはいないが村の指導者的な立ち位置にいた。彼は基本的には優しくロビンと同じく周りに気を配れる人であったが警戒心がとても強く、村の警備については厳格で特に村の出入りについては敏感だった。


 「一応あるにはある。ほらエレナも知ってるだろ?村のはずれにある狩猟小屋。あそこは今は春だから誰も使ってないはずだ」


 村では毎年秋になると冬を越す食料を得るため何人かの大人たちが一定期間村を離れ、村のはずれにある狩猟小屋に泊まり込んで狩りを行っていた。秋以外では長期的かつ持続的に狩りを行えるようにするため、狩猟小屋は使われていなかった。

 

 「え、ああ、うん。でも私それがどこにあるか知らないよ」


それはロビンも知らないはずだった。ここら一帯の生態系は比較的温厚な生物が多く、人が襲われることは多くはないが危険な野生生物や魔獣がいることは確かで、人里を離れるほど危険である。そのため狩りには熟練の猟師や腕に覚えのある大人たち数人で行う。当然、まだ半人前の私やロビンは同行したことはなかった。


 「俺もだ」


 「じゃあどうやって──」


 「お待たせしました」


 後ろから唐突に話しかけられた私たちはぎょっとして立ち上がった。

 木の陰から出て振り返ると、私が持ってきた衣服に着替えた“彼”が音もなく佇んでいた。

 どうやら話し込みすぎたらしい。思えば衣擦れの音が無くなってしばらくたっていた気がする。一体どこからどこまで聞かれていたのだろうか。


 「どうやら私は村には入れてはもらえないようですね」


 私たちの動揺を一通り見届けてから、そう確認した。


 「そうですね……残念ながら」


 一足早く立ち直ったロビンが歯切れ悪くそう答えた。

 確かにロビンの言う通りどれだけ私たちを騙し、懐柔しようとも所詮子供の言うことである。素性の知れない旅人の命と村の存亡を天秤に掛ければ当然後者に傾くだろう。少なくともロビンのお父さんはそういう人だった。


 「そうですか……実は私は旅人なのですが行く当てがないんです。こんな目にも合ってしまいましたし、そろそろ落ち着けるところがあればと思っていたのですが……」


 旅人というのはたぶん嘘だったし、少々白々しく聞こえる彼の台詞は社交辞令な感もあったが、もしかしたら彼が村に残ってくれるかもしれないというほんの少しの淡い希望に私の胸は高まらずにはいられなかった。


 「村に入るのは恐らく無理ですが数日でしたら、何とかなるかもしれません。ここからさほど離れていないところに今は使わていない狩猟小屋があるんです」


 ロビンは先ほど私たちが木陰で話していた話題を彼に切り出した。


 「なるほど、ではあなたたちの村に医者はいますか」


 「えっ?──いや、いませんけど──」

 

 「あのっもしかしてどこか体が悪いんですか?」


 思わず口を出してしまった。この時私の心を支配していたのは不安だった。彼の輝かしくも、燃え尽き、すぐにでも消えてなくなってしまいそうな雰囲気に、私はなぜか焦燥感に駆り立てられていた。


 「いえ、そうではありません──ごめんなさい誤解をさせてしまって」


 突然口を出してきた私に彼は微笑みながらそう答えた。


 「はい……」


 私は一転して無性に恥ずかしくなってしまった。そのまま頷くついでに顔をさげてしまう。

 彼は言葉を続けた。


 「私は医者ではありませんが多少なら薬学の知識があります。それが証明されれば村のはずれに滞在することぐらいの許可は出るかもしれません」


 私はロビンの顔を盗み見た。確かにそれなら何とかなるかもしれない。

 私たちの村には医者はいないが、経験則上効いているだろうと思われる痛み止めの薬やそういった類の民間医療的な薬をある程度作れる薬師や、子供を取り上げる産婆はいた。しかしながら閉鎖したこの村では知識や材料、人出も不足していて限界があり、そのため病気にかかった老人や子供は助からず、重篤な症状となってしまったり、最悪命を落としてしまうこともままあった。最近でも生まれたばかりの赤ん坊が母親の名前も呼ぶことなくその儚い命を天へと還してしまったばかりで、ただでさえ少人数な私たちの村ではこれらの問題は喫緊の課題となっていた。


 ──だけど


 「なるほど、それなら何とかなるかもしれません。でもそれをどうやって証明するんでしょう。こう言っては何ですが見ず知らずの旅人からもらった怪しい薬を飲む人はいませんよ。それに幸いなことにうちの村では今は病気に罹っている人はいないはずです」


 ロビンが複雑そうな顔でそういった。

 確かに病気に罹っている人がいないのは幸運なことだ。せっかくの提案だったが薬の効果を証明するために病気を望むのは言語道断であり、たとえそれがこの先多くの人の命を救う方法だったとしても人の行いとして何か決定的な間違いがある気がした。


 「では家畜……例えば子牛なんかが風邪に掛かってたりしないでしょうか」


 「ああ、そういえば農場の子牛がまた駄目になりそうで困ってるって言ってた気がする……」


 ロビンが独りごちりながら何か思い出す様に目線を上に向けた。

 私たちの村では牛を貴重な労働力として重宝していたが、この過酷な世界で産み落とされるのを神も哀れんだのだろうか、やはり人間と同じく子牛の命は儚いものだった。


 「私は人の方を良く診てましたが、人と共にある家畜、例えば牛や馬なんかもこの長い旅の中診てきました。なので少しは役に立てるかもしれません。ここに少量ですがその為の薬もあります。」


 彼は医者ではないと言っていたがこの口ぶりからはなかなか経験があるようだった。それにどこから取り出したのやら、手に柔らかい葉と蔓でくるんだちょうど薬が入っていそうな清潔な包みを持っていた。


 「そ、そうですか……本当にその薬で何とかなるならいいですけど……」


 ロビンは正直半信半疑のようだった。私も牛の風邪薬など初耳だし、さっきまで着る服もなかったのにそんな用途が限られるような薬を持っていることも謎だった。

 一旦は受け入れる覚悟であったロビンもここにきて迷いを抱いているようだった。薬についてもそうだが何よりこの村にとっては訪問者が有能であればあるほど警戒を強めなくてはいけない事情があった。薬について悩んでいる振りをして旅人の正体を見破ろうと目を眇めてちらちらと盗み見ている。


 私にしても確かにこの旅人からは異様な気配と底が知れない薄気味悪さのようなものを感じていた。そして彼を受け入れてしまったら、何か良くないことが起こってしまいそうな直観も働いていた。しかし私は思い出す、間近でみた彼の躰、手足、顔、そして無表情だけど精巧で美しくどこか儚げにもみえる表情──


 「その薬、効くかわかりませんけど、助けられるかもしれない命があるのならやってみた方がいいと思います……それに……それに私はあなたに村に残って欲しい……!と思っています……あの、その……行く宛てが無いのなら」

 

 前半は建前で後半は本心だった。本心はあまり言うつもりがなかったけど、口をついて出てしまっていた。私はあまり隠し事をするのが得意ではなかった。

 隣を見てみるとロビンが驚いたような焦ったような表情をしていた。

 普段私は自分の意見を言うことが滅多にない。特にこういった会議の様な場では、いつもロビンの言うことに首を縦に振ってうんと頷くだけで、一言も言葉を発した記憶がなかった。


 「ええ──そうですね。私も──あなたたちの様な心優しい人が居るところであれば是非とも留まりたいと思っています──」


 私の唐突な発言に彼も面食らったのか、若干言葉を詰まらせながら答えを返した。そしておもむろに先ほどの薬のつつみを手のひらに乗せて眺めながらこう続けた。


 「それにあなたの言う通り、この薬が効くかどうかは正直保証出来ません。なぜなら、実はこの薬は別に家畜用というわけではないからです──ごめんなさい。私の手持ちではこれしかなかったんです──でも一応理論上は効きはするはずです。風邪というのは人も家畜も自分の体の中の精霊が元気をなくして、外から入ってくる悪い精霊を追い払えずに起こってしまう病気なんです。これはその元気をなくしてしまった精霊に必要な栄養素を与えて元気になってもらうための物なんです。もちろん人と牛ではその栄養素は違いますが、人と牛は同じ哺乳類なのでまるっきり違うこともありませんし、この世界の魔力は柔軟性に富んだものなのである程度は体内で変換し、栄養素とすることができるはずです」 


 彼の説明は私にもわかるところとわからないところがあったけど、何はともあれ村に留まることに積極的になってくれたようなので、薬についてはあまり気にしないことにした。

 それを聞いたロビンが口を開く。


 「ええ、あなたの薬が効く可能性があることはなんとなくはわかりました」


 そうは言っているが言葉の様子から見て、どうやらロビンも彼の説明はよく理解できなかったようだ──幼馴染の私にはなんとなくわかることだった。


 「そしてあなたがなんとなく」ちらりとロビンは私の方を見た「悪い人では無いのだろうなということも」


 意外なことに先ほどまであんなに怪しんでたロビンも懐柔される気になったようだった。


 一拍間が開いた。


 「ふふ……あなたたちはお互いをとても信頼しているんですね」


 彼が完璧に整った顔を少し崩して、私たちに微笑みかけながらそういった。私はその言葉に少し気恥ずかしくなりながら、顔を俯け、控えめに頷いた。

 事実──ロビンが私のことをどう思っているかはともかく──私はロビンのことを全面的に信頼していた。もちろんロビンの言うことは基本的に正しくて、従っていれば悪いことは起こらないだろうなあという下心はあるものの、ロビンにだって失敗はあるし、それで上手くいかないことだってあった。でもその失敗をただ付いて行っている私が責める筋合いもないし、その気もなかった。ただ、ロビンの選択はなんとなくいつも正しいと思うし、たとえそれが正しくなくて、自分に災害が降りかかったとしても、私にはあまり後悔はなかった。どうしてそう思うのかは私にもよくわからない。


 「ええ、そうですねエレナは俺が最も信用する人です」


 ロビンは恥ずかしさをおくびにも出さずにそういった。──本当にそう思っているのだろうか。先ほどは信頼しているといったのに私にはロビンの本心はわからなかった。──いや信頼しているからこそ、私にはわからなかったのかもしれない。


 「なのであなたを信頼して、その薬を子牛に飲ませることを約束します。

そしてあなたのことをこの村の代表であり、私の父でもあるイオリア・レーヴェンに話し、村に滞在できるよう説得することも約束しましょう」なぜかロビンの口調は平淡で事務的だった「しかしこれがあなたの利益になるかどうかは保証できません。恐らく村にも入れないし、村のはずれにさえ滞在出来るかどうかもわかりません。それでもいいですか」


 「ええ、それで結構です」自称旅人が答えた。


 「ではあなたの名前を教えてください。ちなみに私の名前はロビン・レーヴェン」ロビンが私の方を向いた。


 「え、えと、エレナ・マーギュリスです」私はどもりながらも自分の名を伝えることに成功した。


 「──名前──名前ですか……」旅人は儚げな表情をしていた「私に──名前はありません。あなたたちがつけてくれませんか?」


 やはり名前は故あって言えないのだろうか。ただでさえ怪しまれて、身の上が危ういのに偽名さえ使おうとしないのは誠意の表れとみていいのだろうか。私は答えを乞うようにロビンをみた。


 「では私とエレナで仮の名前をつけましょう」


 ロビンは端から見る分には動揺したり、訝しんでいる素振りは見えなかった。


 「エレナ──何か案はあるか」ロビンが私の方を向いて言った。


 「え、──ええと……」私は彼の躰を思い出していた。「しろ……」

 

 「……それは人の名前につけるには失礼じゃないか」


 「わぁ!!ごめんなさい!違うんです!……そんなつもりじゃ──」


 確かにロビンの言う通りだった。口をついて出た言葉だったけど、これじゃあ山羊か羊の名前だ。


 「ふふ……いえ、いいんです」彼は控えめながらも今日一番の笑顔を見せていた「昔、同じような意味合いの言葉で呼ばれていた時期がありました」


 彼は在りし日を懐かしむようにそういった。声の調子からしてどうやら明るい記憶のようだった。


 「でも、一つだけ言わせてください。私を白と呼ぶのは間違っています。私はそんなに潔白ではない」その声色には若干の頑なさがあった。「それにほら、見てください」


 彼は少し屈んで自分の目元を指さした。


 「灰色でしょう?これが私なんです。白の中に濁った灰色。」


 彼は少し自虐的にそういった。私はその少女然とした動作にまたしても心を奪われかけたけど、その言葉の意味を考えて少し釈然としない気分になった。


 「でも私、その色全然綺麗だと思うけどなあ──」


 またしても口をついて言葉が出てしまった。

 ──しばしの空白。


 「ははっ、なんか今日のエレナおかしいぞ」

 

 ロビンがここにきてやっと少年らしい笑顔を見せた。


 「まあ俺もその目綺麗だと思います。とっても」ロビンが彼の目を正面からとらえてちょっと気障っぽくいった。「だからそれにしましょう。灰色の目」


 ロビンが近くにあった小枝を拾って。地面に彼の名を刻んでいく。もう日は傾き始めていた。


 「──サギュリティ・ロフヤ・アイン……左から“濁った”“白”“目”──私たちの民族に古くから伝わる言葉です。今は使われていません。──このままでは発音しづらいので頭文字をとって“サロア”なんてどうでしょう」


 「ええ──結構です」

 

 “サロア”自身もその名に異存はないようだった。


 「……サロア」


 私は感慨深げにその名を反芻した。これが私が初めて彼の名を呼んだ瞬間であり、その名が私の一番大事なところに刻み付けられた瞬間でもあった。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る