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 私の人生は数多くの人々を騙し、夥しい数の死体を築き上げ、その上に救いようのない罪とそれに付随するちっぽけな幸福を与えるようなものだった。ようなものだったというより実際その通りのことを行ったし、夥しい数の死体はどうしようもなく本物で、そうして得られた幸福は恐らくまやかしだった。それはこの先、私の手を離れたとしても続いていくだろうし、何度も繰り返すことによって積み上げられた罪と死体は消えぬ怨嗟となりさらにそれを養分としてさらに大きな山を築くだろう。

 一つ言い訳をさせていただくのなら、これらは人が人として生きていく上で無くてはならない要素であり、どうしようもない自然の選択と円環の結果として存在していて、私はそれを一部利用しただけに過ぎなかったということである。

 そもそも私はそう大層なことを行える人物ではなく、これらの事象はいろんな要素が積み重なって起きた事柄でありいわば“嚙み合った”だけのことである。

 しかしながら私は後世に救世主という名の大罪人として名を残すだろうし、このような地獄で幸福を求めた罰が自分のみならず全人類に降りかかるだろう。

 そういう意味では私が言いふらした原罪という嘘はあながち嘘ばかりというわけではないかもしれないがいずれにしても、新しく生まれてくる子に──冷静に論理的に、そして人の立場から考えれば──罪はこれっぽちも無いはずであってこれらの罰は私か、それとも、恐れ多くも、「神」と呼ばれる存在に与えられるべきである。



 私が彼に出会ったのは幼少期、ほんの10かそこらの歳のころだったと思う。

 私は彼を一目見たとき、ああこの人が神様なんだと本能的にそう思った。

 きらきらと輝く濡れた銀色の髪や中性的で精巧な顔の造形、白く透き通る肌。

 今なら彼が神などではないと心からそういえるが、その時は本当にそう思った。

 あまりの美しさと現実感の無さからあっけにとられ呆然としている私に彼は声をかけた。


「あの、あそこの滝つぼで水浴びをしていたら服を盗まれてしまったようなのです。もしよろしければ一着譲っていただけないでしょうか」


 頭の中に直接語り掛けてくるような、あまりにも透き通った声だった。

 私は依然ぼうとしていたが彼の言葉の意味を理解しようとするうちに段々と状況が飲み込めてきた。

 背景は木々が立ち並ぶ森、隣には幼馴染の少女のエレナ、手には罠で捕まえた魚を入れるための籠、そして少し離れた正面には腰に巻いた白い布以外は全裸の女性……

 彼女は片方の手を木にかけ、もう片方の手を乳房を隠すために使っていた。

 

 私は彼女の問いかけにたっぷりと時間を掛けて返答した。


「あのっ、俺、ごめんなさい! そういうつもりじゃなかったんです!」


 どういうつもりだったのかはわからないが、まず私は全裸の女性をじっと見つめていたことを謝罪し目線を外した。

 彼女は喋らなかった。


 大きな空白が開いた。じりじりと緊迫したどこか厳かな雰囲気に、同じく隣で呆然としていたエレナが痺れを切らしたのか助け舟を出す。


「そっそれは大変ですね!……わ、わたし服とってきます!」


 エレナは出した船はそのままに今来た村への道を駆け出して行った。

 現在の状況はそれほど現実感が無く異常だった。唐突に降臨した天使の如き容姿の人物を理解するのに各々しばしの時間を必要としていた。


 今冷静に考えてみると彼女、いや彼の言葉は嘘だったことがわかる。

 まず私が住んでいる村はとある事情により人が踏み入れないだろう秘境に位置していて旅人も寄り付かないだろうし、村人が盗ったにしてもどんなに高級な衣服だとしてもこの村に住んでいるのなら無用の長物だろう。そしてたとえ私たちの知らぬところで山賊がここらを根城にしていたとしても、彼らがこの美貌を持つ女性を前にしてただ服だけ盗んで去るとは考え難かった。


 エレナの足音が聞こえなくなると、再びこの場は静寂に包まれた。それは密教の麻薬を嗅いだ時のような空間がぐにゃりと歪むような感覚と視界に霧がかかったような不明瞭で現実感のない光景とともにあって、意識が朦朧とするような息が詰まる沈黙であった。

 私は事ここに至ってようやく彼女が危険な存在なのではないかという思考に辿り着いた。

 実際、彼女はこの上なく怪しい身分だったし、並外れた美貌から形成される異常な空間は恐らく魔力のようなものを纏っていた。

 ともすれば一人残された自分は命の危機に見舞われていることになる。

 少しパニック状態になりながらも生存本能が警鐘を鳴らし脳が体に命令を送る。

 私は後退りをして相手を正面に捉えた。


 その瞬間私は“なにか”を理解し、彼女を受け入れた。


 彼は奇特な人物である。

 彼は類まれなる美貌と近寄りがたい神秘性、そして明晰な頭脳を持ち合わせていて、彼に出会った人類は様々な印象を得、多種多様な反応をし、千差万別の行動を起こす。

 彼がこの世で最も美しい存在だということと、超常的な神秘性があることをまず最初に理解することは皆一様であるが、強すぎる輝きは人の多様性、本性、善性、欺瞞、そして闇を浮き彫りにする。

 あまりの神秘性に跪く者、逆に穢れ無き神聖に反発する者、その神聖さと美貌に欲情する者、奇特性を利用しようとする者、神秘を暴こうとする者、劣等感に苛まれる者、危機感を抱き反抗しようとする者、逃げ出す者、そして理解し心を交わそうとする者。

 私たち人類は恐らく上のすべての思考を経由していて様々な組み合わせと経験そして運や巡り会わせをもって一つを選択し、行動を起こしている。

 これは彼が特別だったからではなく人が人と関わりを持ち、世界に変化を生じさせるための必須のプロセスであり能力であって、ただ彼が持つ輝きが強すぎたためにその結果として大きな影が作られてしまっているだけである。

 私が最も平和的な選択を取れたのは持って生まれた人間性や比較的穢れを知らない幼い年齢だったからでもあるが、この選択肢は人として当たり前な行動でありまた一般的でありながらも人がこれを持ち合わせていることを誇るべき能力でもあった。


 しかし私は彼女の一体何を理解し手を差し伸べようとしたのか解らない。

 人間には黒目の動き、表情の筋肉の微細な変化から感情をある程度読み取る、あるいは伝える能力がある。

 しかし彼女の表情は精巧につくられた彫刻のように均一の造形であり、常に一定で生気がなく、少なくとも人には感情を読み取ることができないものだった。

 それでも当時の私には理解できてしまったのだ。

 彼女がなにか期待をもって私に話しかけてきたこと、私たちと同じように理解し心を交わそうとしていること、そして……孤独を恐れていること──

 

 どれくらいそうしていたのかわからない。一瞬のようにも感じたし一生を過ごして老い干からびて、また生まれ変わったような時間を感じもした。


 早めの駆けてくるような足音が聞こえてくる。

 エレナだった。

 手には両親のタンスから拝借してきたのだろう父のチュニックやズボン、そして狩猟用のフード付きの外套を持っていた。

 

 「これ、父の、ですけど、たぶん大丈夫だと思いますっ」


 急いで走って来たのだろう。息を切らせながらそう言って服を渡した。


 私はそれまでエレナは彼女に怖気づいて逃げたか、助けを呼びに行ったのだろうと思っていた。

 エレナもまた私と同じだったのだ。

 彼女の表情から何かを理解し、手を差し伸べた。

 私たちはこの頃から今までただの平々凡々な一般人だったが、この時だけは特別だった。


 「ありがとう、本当に助かりました。」


 彼女の顔に初めて、無表情以外の笑顔というには慎ましい微笑みの表情が刻まれた。


 それは私が生きてきた中で見た最も美しいものだった。

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