無彩色のアンドロギュノス

柴石 貴初

1.

0.

 私にとって現とは幻と同義であり、世界そのものが偽りである。

 しかし、彼らにとって世界は真であり、幻は現とはならない。

 それゆえに私は常に偽りであり、幻である。

 だが、世界はそれを許容する。

 それは彼の者の意思か、それとも黄昏時にある一時の藍か。

 いずれにしても私はこう嘯く。我思う故に我有り。

 それがすべて偽りであれど、私は信じ続ける。


 私はただの一人の“人の子”なのだと



 


1.

 木漏れ日の射すのどかな森で一人の若者が身を横たえている。しかしそこは昼寝をするには少し身狭く、日当たりも悪い。当然野営をするにも不適当で、第一火を起こした様子も無ければ、旅に耐える荷物も無く、つまり客観的にみてその者は恐らく、行き倒れていた。わずかながらも呼吸に合わせて胸が上下に動いているところをみると、死んではなさそうで、よくみれば顔色もよく、どうやら本当にただ寝ているだけのようだった。

 それからしばらくしてその者は、あまりに静かだから岩か何かと勘違いして近寄ってきた小動物によって目を覚ました。目を覚ました若者は眠気によってぼんやりとする視界と脳に抗い、驚いて去っていく小動物を眺めながら、身を起こした。


 「今のはリス...?しかし、あんな角の生えたリスがいただろうか...」


 小動物に角が生えているのは一般的ではあったが、若者はとても浮かないような顔をして、その毛むくじゃらが消えていった草むらを見つめていた。

 しばらくそうした後、決心がついたようで、草むらから視線を外すと、勢いよく立ち上がった。立ち上がった拍子に横たえた状態では薄暗くて良く見えなかった容姿があらわとなった。

 

 驚いたことにその若者は、誰もが息をのむほどの絶世の“美人”だった。

 美人とはいっても、それは世間一般にいう美しい女性に対して使う意味ではなく、ただ美しい人としての意味である。

 その若者はただ美しかった。

 髪は長く、白銀で、木々から射す陽光を受けてきらきらと輝いており、毛の一本一本は櫛がかかることは無いと思われるほど繊細だった。胸元にはふくらみがあり、一見すると女性のように思われるが、女性にしては上背が高く、手足や骨格はしなやかでありつつも力強さを感じるつくりであり、見る角度によっては、不思議なことに男性のような印象も受けるのだった。顔立ちも中性的で、まるで神々をかたどった彫刻のように整っており、肌は、最上級のシルクのようにきめが細かくなめらかな、透き通るような白さを持っていて、まさにその美しさは性別をも超越した人類の最終到達点といっても過言ではなかった。しかし皮肉なことに、その完全の黄金比からなる顔だちを飾る双眸の二つの宝珠の色合いは世間一般が想像する白皮症(アルビノ)の赫色ではなく不純物の無い灰を積み上げたようなグレーであり、それがまたこの作品の完全性をより截然としたものに仕上げていたが、それと同時にこれ自体の実在性を失わせ、この生気を感じられない造り物の様な無機質な彩色は、この色とりどりの現実世界との融和を拒絶していた。


 ──彼(便宜上そう呼称させていただく)は森を見渡す。

 彼の存在はこののどかな森においてやはり異質だった。その感覚は彼の容姿から得られるものだったが、それは身体的特徴だけではなかった。彼の身に着けている衣服もまた異質だった。上は無地の白の半そでで肌着のような物だったが、縫製がかなり丁寧で、素材も動物の毛や植物の綿、そして絹とも違う質感の素材で、それ一枚であっても違和感がないように思えるものであり、下は厚手の紺色のズボンで、太い木綿から作られているように思われるが、これまた縫製や染色が丁寧であり、相当な耐久性があるようにみえるものだった。また、足元は見たところキャンバス生地の紺と白の紐靴であったが、上げ底の底面や外張りの先端に滑りにくく弾力のある未知の素材が使われており、全体的な造りの良さと相まって、かなり質のいいものに思われた。

 これだけ聞くとさぞ豪奢な召し物だと思うかもしれないが、、奇妙なことにそれほど上等なつくりをしている割には、造形は簡素で柄もなく、お世辞にも華美とは言えない品物で、それどころか庶民的な印象さえ受け、そんな出で立ちでありながら彼自身の容姿が人並外れたものであったため、そのちぐはぐさがまた、埃一つないまっさらで清廉な神殿に迷い込んだ野良犬のごとくの場違いさと、ある種の得も知れないわびしさを醸し出していた。

 彼は自らの白銀で枝毛もない艶やかな髪をつまんでそれを眺めながらため息を吐いた。

 彼はしばらくそうしてくすぶっていたが、気が済んだのだろうか、少し気の抜けた表情を元の無表情へと整えると、おもむろに足を踏み出し、まず彼は周辺の探索を行っていった。

 動物のフンや獣道などの生物の痕跡や植生、地面の状態……彼は時折屈んでそれらを確認しつつ、何か目的を持って周囲の探索を行っていった。彼はその手の研究者の如く熱心に探索していたが、ある程度目星がついたのか、半径20歩ほどの短い範囲をぐるりと一周したところで探索を取りやめ、今度はずんずんと足早に森を進んで行った。

 軽やかな足取りで森を進んで行く。彼の足取りは非常に軽快で、道中は舗装もされていない木の根ででこぼこな地面であるのに関わらず、平地とさほど変わらない速さで進んで行った。どうやら彼は容姿とは裏腹に森と深く馴染みがあるようだった。

 しばらく歩いて彼は岩の間から染み出る湧水によってつくられている、ささやかな沢に行き当たった。彼はその湧水の水源に近づいて行き、屈んでそれを両手で掬った。そのまま口をつけ、のどを潤すかと思いきや、しばし眺めた後それを手放してすくと立ち上がると、今度はその沢に沿って斜面を下って行った。

 ごつごつとした、苔むした岩場であっても彼は歩む速度を落とさず進んで行く。彼の履いていた靴は滑りにくく質の良いものであったが、それを差し引いたとしても進む速度は尋常ではなく、先ほどもせっかくの清水を見逃し、休息もとらなかったところから見て、いよいよただ者ではない雰囲気が醸し出されてきていた。

 そうこう歩いているうちに、沢はささやかながらも川と呼べるほどの水流と合流し、川幅もそれなりの太さになってきていた。引き続き彼は一心不乱に歩き続けていたが、ここにきて、少し歩幅を狭め、注意深く辺りを観察するようになった。どうやら目的の物が近くにあるようだった。

 歩幅を狭めつつもそれなりの速度で川辺を下っていく。またしばらく歩いて

ついに彼は目的の物を見つけた。

  

 かくして彼が見つけたのは、清流が滑り込むようにして落ちる、さほど大きくはない滝つぼであった。

 滝つぼにはささやかな川原があり、そこには起こした火によって黒くなった石や魚を罠にかけて捕えるための筒があった。

 明らかに人による痕跡である。

 さらに魚取り用の罠は仕掛けてからさほど時間がたっていないようであり、人が近辺で生活を営んでいる可能性があることも見受けられた。

 

 それを見た彼は心なしか安堵したような表情をつくると、滝つぼのほとりで探索を始めた。

 しばらく探索したのちに彼は滝つぼからそれなりの距離を確保しつつも、それを目視でき、逆に滝つぼからは見つかりづらいような場所を見つけ、そこを拠点とするため、道中拾った草や木の葉を敷き詰め始めた。どうやらその拠点で滝つぼを訪れる人間を監視しようとしているようだった。

 すでに太陽は昼下がりを過ぎており、もう日の入りまでそれほど時間が無いようだった。それを見ながら彼は拠点をさらに強化するため手早く草の葉や茎を集めていった。


 草の葉を敷き詰め、茎や葉を編んで即席の屋根とした簡易の寝床が出来るころにはもう日が暮れていた。

 彼は寝床を作りながらも、何者かが滝つぼを訪れないかと警戒していたがついに現れることはなかった。

 彼は暗闇の中瞬く星々を見ながら何かを思いめぐらすように目を空けていたが、しばらくして目を閉じ、浅い寝息を立てて眠りについた。

 食事も行わず、水も飲まなかった彼ではあるがどうやら睡眠は必要であるようだった。

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