第10話 未来の旦那様
その日から、男爵令嬢レイチェル関連のトラブルは聞こえてこなくなった。
第一王子にも、他の男子生徒とも、必要以上に接触することがなくなり、学園は穏やかな雰囲気を取り戻した。
(ああ、なんて平和なのかしら……)
中庭のベンチで日向ぼっこをしながら、ヴィオレッタは平和を噛みしめる。
その隣にはレイチェルが目をキラキラと輝かせて座っていた。
――男子生徒と過ごさなくなったレイチェルは、ヴィオレッタの方によく懐いていた。
ほとんど毎日昼食を食べるほどに。
「ヴィオ、今日のお弁当はなに?」
「今日はライスバーガーです」
ヴィオレッタはランチボックスを開ける。そこには三つのライスバーガーが並んでいた。
炊いた米にジャガイモを混ぜて焼いたものでバンズをつくり、味付け濃いめの焼いた牛肉と、サラダ菜、そしてマヨネーズを挟んだものだ。
マヨネーズもヴィオレッタが前世記憶を頼りに開発したものである。
米の普及のため、いろいろとメニューを試しているところなのだ。
「すごい! ヴィオって本当天才! いただきます! ――おいしーっ!」
レイチェルの瞳は輝きを増し、一口目で満面の笑みを浮かべた。
「ヴィオ、これ売ったら絶対に大ヒットするよ!」
その言葉に、ヴィオレッタは一瞬考え込んだ。
レイチェルのような反応を見ると、その可能性を感じられなくもない。
「それはいいアイデアかもしれませんね。もっと多くの人に食べてもらいたいです」
ヴィオレッタも食べる。
ご飯の甘みとジャガイモのほんのりとした風味、そして焼き牛肉のスパイシーな味わい、サラダ菜のシャキシャキ感に、まったりとしたマヨネーズの調和が見事に取れていた。
本当に売れそうな気がしてくる。
(新しくお店を出してみようかしら。小麦のバンズのハンバーガーと、ライスバーガーで、両方一緒に売れば、そのうちライスバーガーを試してくれる人も増えるだろうし)
カフェ・ド・ミエル・ヴィオレは高級志向だが、バーガー店はもう少し庶民向けにして、路面店や屋台で販売して――
(いっしょにポテトフライも提供しようかしら。ああ、アイデアが次から次へと湧いてくる……!)
新しい友人と、新しい可能性に、胸がわくわくする。
家に帰ったら早速計画を立ててみよう。
(それにしても――)
ヴィオレッタは隣のレイチェルの顔を眺める。
本当においしそうに食べている。
――レイチェルの雰囲気は本当に変わった。以前は天真爛漫さの中に攻撃的なところがあったが、いまは本当にかわいい。
「それにしても、レイチェル。わたくしとばかりいてもいいのですか?」
レイチェルは男子の友人が多い。
今日も昼休みに男子生徒に誘われていたのに、あっさりと断ってヴィオレッタの方へ来た。
「だって、お金持ちと結婚しなくてもお米が食べられるようになったし」
「――お米のために色んな男性に声をかけていたんですか?」
「そうよ? だって普通じゃ手に入らないもの。宝石よりも高価だし、買い方もわからないし。本当、ヴィオに会えてよかったあ」
レイチェルは幸せそうに笑う。
(お米はやっぱりすごいわ)
ヴィオレッタは感嘆しながらライスバーガーを見つめる。
この小さな粒ひとつひとつに、無限の可能性が詰まっている。
「あたしが毎年ちゃんと買うから、安心して作ってね」
安定した販売ルートが確保できるのは、ヴィオレッタにとってもいいことだ。
いままで消費の問題があって、あまり量が作れなかった。この世界の人々には、米の良さがまだ理解されていない。
もっと普及させるためにも、バーガー店を軌道に乗せたい。
「――あ。しまった」
食べ終わったレイチェルが、青ざめた顔で立ち上がる。
「どうしました?」
「カメリア女史に呼び出されていたんだった! ごめんヴィオ、お先!」
「はい。お気をつけて」
あっという間に走り去っていく。
ヴィオレッタはひとりになってしまったが、次の授業はカメリア女史のマナー講座だ。
すぐに会えるだろう。
昼休みはひとりでのんびり過ごすことにする。
(少し困ったわね。ライスバーガーがひとつ余ってしまったわ。夜に食べても大丈夫かしら)
悩んでいると、ふと足元でふわふわとしたあたたかい感触がした。
驚いて下を見ると、淡い毛色の子犬がいた。
(か、かわいい……)
学園内に子犬がいるなんて、めずらしい。
どこから迷い込んだのだろうか。
「どうしたの? お腹が空いているの? ……でも子犬さんには、これは味が濃いかしら……」
ヴィオレッタはランチボックスの中のライスバーガーを見つめる。
味が濃いものはよくない気がする。米の部分を少しだけなら大丈夫だろうか。
考え込んでいると、子犬は尻尾を振りながら奥の方に歩いていく。
まるで呼ばれているみたいだ。
レイブンズ家の能力は鳥類にしか及ばないが、動物が何を考えているかは少しだけわかる。
何かあるのだろうかと、ヴィオレッタは子犬の後ろをついていった。
春の陽光が木々を通してこぼれ落ちる場所で、誰かが横たわっていた。
銀髪が木漏れ日に照らされて輝き、目は静かに閉ざされ、ゆっくりと時間が流れていた。
(わたくし、この御方を知っているわ……)
男性的なのに冬の結晶のように繊細で、触れてはいけない冷たさを帯びた美しさ。
何回か遠目で見かけたことがある。そのたびに、周囲にいた女子生徒たちが騒いでいた。
(お名前は何だったかしら……いやだわ。『氷の貴公子様』としか覚えていないわ)
ヴィオレッタの兄オスカーと同い年で、「氷の貴公子」と呼ばれている男子生徒だ。
女子生徒たちの話の中でも、光輝の君オスカーといっしょに話が出てくる。なんでも並ぶ姿が金と銀、光と氷、動と静でとても絵になるのだとか。
その氷の貴公子が、芝生の上で眠っている。子犬に懐かれながら。
小さな身体がほんのりとすり寄る姿が、彼の冷たい印象を優しく溶かし、ヴィオレッタは思わず微笑んでしまった。
(……いけない、いけない。寝顔をじろじろ見るのは失礼よね)
そう思うのに、目が離せない。
(それにしても、なんだか……とても疲れているような……)
なんだかとても顔色が悪い。血色が悪いし、目の下に暗い隈が広がっている。
その顔色は、昔の母に似ていた。体調が悪くて寝込みがちだったころの母と。
あまり寝ていないのだろうか。
だからこんな場所で昼寝をしているのだろうか。
それとも、寝ているのではなく体調不良で倒れているのではないだろうか。
声をかけるべきかと迷っている間に、目が開く。
起き抜けの瞳が、強い警戒心と共にヴィオレッタに向けられた。
「あの、大丈夫ですか?」
身体を起こした氷の貴公子の顔には、戸惑いが浮かんでいた。
「差し出がましいですが、ちゃんと食べていらっしゃいますか? よろしければ、こちらをどうぞ」
ヴィオレッタはランチボックスに入ったライスバーガーを差し出す。
その瞬間、眼差しに更なる戸惑いと警戒が混じった。
当然の反応だ。貴族が、よく知らない相手から手渡された物を、すんなりと食べるわけがない。
「なんだこれは……」
「ライスバーガーです。パンの代わりに焼き固めたライスを使っています。お口に合わないかもしれませんが……」
その瞬間、子犬が手元に飛び上がり、ライスバーガーに興味津々で鼻を近づけた。
堅い表情が、一瞬だけ緩む。
彼は軽く目を閉じ、ライスバーガーを食べた。
(食べた――?)
自分で渡しておいて驚く。
彼はしっかりと、ゆっくりと、ライスバーガーを食べていく。ヴィオレッタは食い入るようにその姿を見つめていた。
途中でバンズの欠片を子犬に与えるところも。子犬が尻尾を振って嬉しそうにそれを食べている様子も。
(か、感想……感想を聞きたい……それにもっと、いっぱい食べさせてあげたい……)
そして、顔色が良くなってほしい。元気になってほしい――……
全部食べ終わってから、彼はヴィオレッタを見つめた。
「君はいったい――」
「わたくしは――」
その瞬間、遠くから鐘の音が響く。
――昼休みが終わる予鈴だ。次の授業は、カメリア女史のマナー講座。
絶対に遅れられない。
ヴィオレッタは急いでランチボックスを片付けて立ち上がる。
「ただの、通りすがりのものです! ――あっ、忙しいときでも、ちゃんと食べてくださいね!」
ヴィオレッタはそれだけ言って、走って教室に向かった。
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