第9話 令嬢たちの昼休み
ヴィオレッタはひとり、昼休みの中庭で休める場所を探す。
貴族学園の庭園は手入れが行き届いていて、優雅な時間を過ごしている生徒たちが多くいる。楽しそうな笑い声が、あちこちから穏やかに響いていた。
ヴィオレッタは賑わいから少し離れた静かな木陰で、白いベンチに座った。
(今日はスペシャルなお弁当なのよね)
食堂で賑やかに食べる学食もいいが、今日はひとりで静かに楽しみたい。
ヴィオレッタが膝上に乗せたランチボックスを開こうとした刹那――
「なんですかぁ、こんなところに呼び出すなんて」
「――貴女にひとつ言っておきたいことがありますの」
挑発的な声と、威圧的な声。どちらも女子生徒のものと思われる。
言葉の端々に、緊張感と敵意が込められている。
ヴィオレッタはこっそりと木の陰に隠れながら、声のする方を覗いた。
そこにいたのは、第一王子の婚約者である公爵令嬢のアイリーゼと、男爵令嬢のレイチェルだった。
アイリーゼは、気品と優雅さに満ちた美しい女性で、端正な顔立ちに冷静さと高潔さが宿っていた。
レイチェルは一言でいえば天真爛漫な女性だった。可愛らしい顔立ちで、いつも元気いっぱいで目立つタイプだ。
その明るさはヴィオレッタから見てもとても魅力的で、レイチェルは入学直後から色んな男性を親しくなっている。
――特に、家柄が良くて将来爵位を継ぐことがほぼ決まっていて、顔が良く、華がある男子生徒たちと。
そのため女子生徒の中では少々浮いていて、カメリア女史にもよく注意されている。
そんなレイチェルと、完璧令嬢であるアイリーゼが、険悪な雰囲気で向き合っていた。
ただ事ではない緊張感が漂っている。まるで、戦場のような。
「レイチェルさんの、誰とでも仲良くする姿勢は結構なことですわ。ですが、婚約者のいる男性に、必要以上に接触するのは大問題です」
「わざわざ呼び出して、そんなお話ですか? それに、必要以上に接触って……具体的にはどういうことですかぁ?」
「長時間話し込んだり、触れたり、腕を組んだりすることです」
アイリーゼの話し方は落ち着いていたが、少し苛立ちが滲んでいた。
かなり怒っている。
「ええー? それくらいのことで?」
レイチェルの言葉には、明らかな挑発的な態度が感じられた。
(これは……修羅場!)
――平和主義のヴィオレッタとしては、できるだけ争いごとには関わりたくない。
だが、何かとんでもないことが起こりそうで目が離せない。
息を飲んでその場に釘付けになる。
「それくらいとはなんですか。貴女の行動のせいで、傷ついている女子生徒たちがいるんですよ。男性たちも迷惑しているのです」
「迷惑? ふふ、王子様は笑って許してくださっていますよぉ」
――何かがブチ切れる音がした。
「ああー! おふたりとも! 奇遇ですね!!」
ヴィオレッタが大きな声を上げながら木陰から出ると、手を振り上げていたアイリーゼの動きがぴたりと止まる。
「あ、あら、ヴィオレッタさん……どうなされたのですか?」
気まずそうにアイリーゼが静かに腕を下ろす。
「あっ、いえ、わたくしはただ、お弁当を食べる場所を探していたら、おふたりの姿が見えたので。お声かけさせていただきました」
――沈黙が。
気まずい沈黙が続く中、レイチェルの鼻がくんくんと動いた。
「このにおい、お米……?」
興奮を帯びた眼差しが、ヴィオレッタのランチボックスの方を向く。
「ねえそれ、もしかして、お米が入ってる?」
「まあ。お米を知っているのですか?」
ヴィオレッタは驚きながら尋ねた。
米の存在を知っているだなんて。
しかも存在を知っているだけではなく、匂いを知っているだなんて。レイチェルも食べたことがあるのだろうか。
ヴィオレッタはいそいそとランチボックスを開く。炊いた米のほんのりとした甘い香りが漂う。
ランチボックスの中には、形の良いおにぎり――炊いた米を塩を付けて握ったものと、彩り鮮やかなおかずが並んでいた。
レイチェルは、それを見るなりさらに興奮し始める。いまにも飛びかかってきそうな迫力だった。
「よろしければ、おひとつどうぞ」
レイチェルは震える手で、ランチボックスの中からおにぎりを一つ取り出す。
そして、おずおずとおにぎりを口に入れ、ゆっくりと食べる。
――ぶわっと、レイチェルの目から涙が溢れでた。
「お米……本物のお米だぁ……」
その様子はただ事ではなかった。
ずっと追い求めていた愛を見つけたかのような、感動と興奮に包まれていた。
「……ヴィオレッタさん、その穀物はいったい……?」
依存性の強い薬物でも混入させているのだろうか――とでも言いたげな表情で、アイリーゼがヴィオレッタを見る。
「普通の。普通の米です。我が家の領地で試験的に育てているんです」
「米……そんなに凄いものなのかしら」
アイリーゼが感心している間に、レイチェルがおにぎりを食べ終わる。
すぅ――っと深呼吸をし、ヴィオレッタを見つめる。
「――ヴィオレッタさん……いえ、ヴィオレッタ様」
「はいぃ?」
「お米をあたしに分けてください! なんでもするから!」
レイチェルの顔は真剣そのものだった。
ものすごく必死で、ものすごい切迫感だった。
――似ている。
転生者であることを思い出して、米が食べたくて仕方がなかった時のヴィオレッタと。
その気持ちは痛いほどわかる。
「え、ええと、それでは……わたくしとお友達になってくださいますか?」
「なる! なるなる! ヴィオレッタ様!」
「お友達なのですから、ヴィオと呼んでください」
「はい、ヴィオ!」
とても元気のいい返事が響く。
「お米は、自分用にしか栽培していないので、あまり量がないのですが……少しでしたらお分けできます。レイチェルさんの家に届けさせていただきますね」
「ありがとうございます!」
「それから――」
ヴィオレッタはアイリーゼを見る。
「アイリーゼ様も、わたくしの大切な友人です。アイリーゼ様とも仲良くしてくださいね」
「もちろん!」
再び元気のいい返事が響く。
これで、アイリーゼや他の女子生徒たちを傷つけるような行為はしないだろう。
(お互いに名前を知っているくらいなのに、アイリーゼ様をお友達と言ってしまったわ)
不快に感じていないだろうかとアイリーゼの方を見てみると、アイリーゼは柔らかな笑顔を浮かべていた。
「ヴィオレッタさんって、すごいのね」
――怒っていない。
なんという物腰の柔らかさと懐の広さ、そしてなんて素敵な笑顔だろうと、ヴィオレッタは思った。
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