第8話 貴族学園




 翌年、ヴィオレッタは十五歳になり、王立貴族学園に入学することになった。


 この国の十三歳以上の貴族は、男性は六年、女性は三年、学園に在籍することになっている。

 通う年数は、それより長くてもいいし、やむを得ない理由があれば早期の卒業が認められることもある。


「農業に集中したいので、一年で卒業したいのですが」

「ばか。認められるわけないだろ」


 入学から一か月。

 学園に向かう馬車の中で、ヴィオレッタは正面の席に座る兄オスカーに相談してみる。

 オスカーとはこれから二年間毎日一緒に通うことになる。


「どうすれば卒業を認められるんですか?」

「急に爵位を継ぐことになったり、女性なら異国に嫁ぐことになったりとかだな。婚約もしていないお前は絶対無理」

「むう……」

「いいから友達作りと、結婚相手探しを頑張ってこい。学園はコネ作りの場だぞ」

「友達なら……います」


 ――友達と呼んでいいものかわからないが。

 彼女たちの興味は、兄のオスカーに注がれているのだから。


 ――入学して一か月。ヴィオレッタは同級生や上級生からよく話しかけられ、昼食や放課後もよく誘いを受けるようになった。


 そして、女子生徒たちの会話から知った。兄が学園で女子生徒たちにこっそりと「光輝の君」と呼ばれていることを。


 兄に憧れる女子生徒たちは、その瞳の色と、金髪の光沢。美しい顔立ちと明るい笑顔と、紳士的なふるまい。そして時折見せる、どこか愁いを帯びた表情に、心を奪われているのだ。


 ――それを知ったとき、ヴィオレッタは戦慄した。


 皆、知らないのだ。この兄がどれだけ意地悪で、口が悪くて、自己中心的な暴君なのか。

 憂いを帯びた表情の正体は、ただ腹が減っているだけだということを。


(外見がいいって得だわ)


 ヴィオレッタは兄ほどの華やかさはない。

 勉強も特別優秀ではなく、美しいわけでもない。平凡そのものだ。

 友達と言っても、彼女たちが見ているのは兄オスカー――巨大な猫をかぶった貴公子なのだ。


(将を射んとせば先ず馬を射よ――これも、日本の言葉だったかしら?)


 ヴィオレッタは馬である。彼女たちの狙いはオスカー。

 そうと知っているのかいないのか、オスカーが身を乗り出す。


「へえ。もう友達ができたか。家に呼んだらどうだ?」

「もう少し仲良くなったら考えます。お兄様こそ、結婚相手は見つかりそうですか?」

「何だ、いきなり。僕は慎重派なんだよ」


 ――それはよいことだ、とヴィオレッタは思った。

 たくさんガールフレンドをつくられたら、なんだか微妙な気持ちになるだろうから。


「お前こそ、王子殿下はどうだ?」

「お兄様ったら、ご冗談を」


 この国の第一王子は、兄と同い年だ。もちろん学園にも在籍していている。


 貴族たちは第一王子と自分の子どもたちを同時期に学園に通わせ、友人、あるいは結婚相手にしたいと思っていたので、同年代の貴族の子は多い。


 そしてどの親も王子が在籍している期間を狙って入学させようとしていたので、定員オーバーになって入学タイミングがずれてしまった令息令嬢も多い。


 かくいうヴィオレッタも、本来はもっと早く入学する予定だった。


「王子殿下にはとっても美しい婚約者の方がいらっしゃいますもの。わたくしなど、とてもとても」


 ――第一王子の婚約者である公爵令嬢アイリーゼは、気品があり、誰にでも優しく、頭もいい。

 そして抜群に美しい。


「お前がアイリーゼ令嬢に逆立ちしても敵わないのはわかってる」


 オスカーも本気で言っているわけではない。

 身の程を弁えておけ、とヴィオレッタに注意喚起をしているのだろう。


「クラスでいい感じのやつはいないのか?」

「いまはカメリア女史の指導を受けないようにするのが精一杯でして」

「なんだ。女史にさっそく目を付けられてるのか」


 カメリア女史は教師の一人だ。礼儀作法に厳しく、レディとはかくあるべきものとの指導に余念がない。


「目立つ兄がいるものでして。お兄様が女史を色々と困らせたのではないですか?」


 オスカーは心当たりがあるのか、口を閉ざして馬車の外の景色に視線を向ける。

 ようやく静かになったところで、ヴィオレッタは領地に思いを馳せる。


 長期休暇に入れば領地に行って思う存分に農作業をしよう。

 今年の稲もきっといい出来上がりになる。



◆◆◆



 歴史学の授業が終わり、昼休みが訪れる。

 ヴィオレッタが教室を出て中庭に行こうとしたところ、背後から声を掛けられる。


「ヴィオレッタくん、これ落としたよ」


 振り返った先にいたのは同級生の子爵子息、フェリクス・シャドウメアだった。


 夜のような黒髪と黒瞳が印象的で、物腰が柔らかな彼とは、歴史学の授業で隣の席なこともあり、少し親しくなっていた。

 その手に持たれていたのは、ヴィオレッタのハンカチーフだった。


「――フェリクス様、ありがとうございます」


 ヴィオレッタは礼を言って受け取るが、フェリクスは去る素振りを見せず、何か言いたげなようだった。


「ところでヴィオレッタくん、チーズケーキは好きかな」

「はい、大好きです」

「ミエル・ヴィオレって知っているかい? いい席が取れたんだけど、次の休みに一緒にどうかな」


 もちろん知っている。

 ミエル・ヴィオレは、ヴィオレッタがハニーチーズケーキを販売しているカフェだ。


 店内は高級志向だが、市民もちょっと気合いを入れたら入店できるような店だ。そして、VIPルーム――貴族向けの完全予約制の個室も作ってある。


 もちろんヴィオレッタがカフェの経営に関わっていることは、家族と一部の使用人ぐらいしかしらない。なので、ヴィオレッタが客としていっても気づかれることはほぼないだろう。


 客として行ってみるのも、いい市場調査になるかもしれない。


 だが、どうせなら、別の繁盛店の偵察をしてみたいし、クロと一緒に遊ぶのも大切なことだし、庭の植物たちの世話するのも、まとまった資料を読むのも大切なことだ。


「お誘いありがとうございます。わたくしは最近少し忙しいので、別の御方とどうぞ。行かれたら、また感想を聞かせてくださいね」


 ぜひ同級生の感想も聞いてみたい。

 どんな感想を持つのか楽しみにしながら、ヴィオレッタは中庭に向かった。






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