第6話 四輪作計画






 春の雪解けを待って、ヴィオレッタはひとりで領地へ飛んだ。

 地図もあるし、知っている道だ。目印となる連峰もよく見える。


 ヴィオレッタは透き通った清々しい空を飛び、領地を空から見た。広大な土地は春の息吹が広がっていた。新緑の葉に、芽吹く花々。そして、麦を蒔く畑を耕す牛と領民たちの姿。


 子どもたちが黒鋼鴉を見つけて手を振っている。ヴィオレッタは手を振り返しながら、領主館へ向かう。


 領主館の庭に無事に到着し、クロの足が庭に降り立つと、屋敷の中から祖母や使用人たちがいそいそと出てくる。

 ヴィオレッタはクロに礼を言ってから鞍から降り、祖母の元へと駆け寄った。


「おばあさま! お久しぶりです!」


 何度も手紙を交わしていたとはいえ、顔を合わせるのは久しぶりだ。

 広げられた腕の中に飛び込んで、ぎゅっと祖母を抱きしめる。温かくて、安心する香りだった。


「ああ、よく来たわねぇ、ヴィオちゃん。菫の妖精ちゃんは、どんな楽しいことをするの?」

「農業の勉強と、米作りですわ!」

「そうなのねぇ。わたくしも応援しますからね」


 そうしてヴィオレッタのレイブンズ領での生活が始まった。

 父母が心配するので、約一週間ごとに王都と領地を行き来する約束だ。


 ヴィオレッタは祖母と執政補佐官から、領地経営を学ぶことになっている。

 その勉強の合間、最初にしたことは稲を育てるための水田をつくることだった。


 流石にひとりでは大変だったので、領地を守る兵たちにも手伝ってもらう。土地を耕して、耕して、耕して。水路を伸ばしてきて。何日もかけて浅池状態にして、育てた苗を植えた。


 立派な水田ができあがり、ヴィオレッタは満足してずっとその場所を眺めた。


 ――ただ、これはあくまでも趣味なのだ。


 稲作を本格的にやるためには、水路を整備しなければならないし、小麦畑を田んぼに変えていかなければならない。いまの時点でそれは現実的ではない。


 この国では長年小麦が作られてきた。

 国民は小麦に馴染んでいる。


 米を流通させようとしても、おそらく広まらないだろう。


(だからこれは、あくまで趣味なのよね)


 趣味だからこそ採算度外視で楽しめる。


 だが、ヴィオレッタは貴族だ。領地を豊かにし、領民を飢えさせない義務がある。国を栄えさえる義務がある。


 それにヴィオレッタはこの土地を愛している。

 すべての景色を。すべての人々を。

 この地に住む人々を守りたいし、幸せにしたい。美味しいものをたくさん食べさせたい。


(稲作は趣味で続けるとして、小麦は大事よね。わたくしもパンやパスタは大好きだし)


 ヴィオレッタは領主館に戻って騎乗服に着替え、クロに乗って上空から領地を視察しにいく。

 しばらく飛んだ後、ヴィオレッタは川の近くに一度下りる。休憩だ。

 クロに川の水を飲ませながら、青々とした麦畑を眺める。


「なんとかして収量を増やせないかしら」


 レイブンズ家の領地は温暖な気候だ。収穫量を増やそうと思えば、きっともっと増やしていける。


 収穫量が増えればいいことづくめだ。

 蓄えができて凶作に備えることができ、蓄えを超えた分は周りに売ることができる。

 もし大凶作が起きたときに、周辺に普通の値段で売ることができたら、あるいは援助として無償提供が出来たら、レイブンズ家の名声も上がる。


(どうすればもっと収穫量が増えるかしら……できれば簡単に)


 考えながら歩いていると、道端に咲く白い花に気づく。


「クローバーだわ」


 とても懐かしい気持ちになりながら、クローバーの前にしゃがみ込む。たくさん茂った葉と丸い花が、夏の光を受けてキラキラと輝いていた。


「四つ葉のクローバーとかあるかしら……まあ、あったわ!」


 幸運を呼ぶと言われる四つ葉に触れ、摘んだ刹那――


 脳裏に絵が描き出される。

 青い空、白い雲。田んぼに咲くクローバーの花。茂る緑の葉。


 ――前世で見た光景が。


(……そうだわ。たしか……休ませている田んぼでは、クローバーやレンゲを植えていたわ)


 ヴィオレッタはクローバーを見つめながら、立ち上がる。

 顔を上げると、青空の下に広がる小麦畑と牧草地が見える。

 風を受けて淡く揺れ、ヴィオレッタに何かを語りかけているかのようだった。


「…………」


 この地では、農地を二つに分けて、片方で小麦をつくり、片方を牧草地にして放牧し、翌年はそれを逆にしている。

 つまり二分の一は休ませているのだ。


 何故そんなことをするかというと、同じものを作り続けていると、大地に力がなくなってしまい、小麦がうまく育たなくなる。だから大地の力を補充するために、家畜を放牧する。


(もっと効率的に大地の力を回復できれば――)


 もっと生産性が上がるのではないだろうか。

 ヴィオレッタは摘んだクローバーを握りしめ、急いで屋敷に戻った。


 自分用の部屋に戻り、騎乗服のまま机に紙を広げてヴィオレッタは考える。

 紙の上に四つ葉のクローバーを置いたまま。


(同じものを同じ土地で作り続けると、連作障害が出る)


 これは前世の知識か。ヴィオレッタとして見聞きした知識か。

 どちらにしろ、自分の知識であることは間違いない。


(だから……農地を三つ……いえ、四つに分けて……)


 長方形を描き、線を引いて四つに分ける。


(小麦は二か所必要よね。いま休ませている土地にはクローバーを植えて、もう半分にはもっと別の作物を……冬の間の人間と家畜の食料にもなるような)


 頭を抱えながら考える。


(うーん……ダイコンとか、カブとか? ダイコンはこの世界にあったっけ? カブは似たのがあったはずだわ)


 ――そうやってヴィオレッタはひとつの計画をつくった。


 農地を四つ――ABCDに分ける。

 A農地には小麦を植える。

 B農地にはクローバーを。

 C農地にも小麦を植える。

 D農地はカブかジャガイモを育てる。


 収穫から次の種まきまで期間が開くようなら、とにかくクローバーを蒔く。

 二年目以降は、これらをひとつずつずらすことで、休ませる土地をなくす。


「これは完璧な四輪作よ!」


 ヴィオレッタは達成感に包まれながら、自分の完璧な計画書を眺める。見れば見るほど完璧だ。あとは実践しながら、現状に合わせて修正していく。


(それにしても、この世界は驚くほど日本に似ているわ)


 クローバーがクローバーという名前で、ジャガイモがジャガイモという名前で存在している。そのことに気づいたときは驚いた。


(わたくしの前にも転生者がいて、その人たちが名前を付けたのかしら)


 ヴィオレッタがそうなのだから、他に転生者がいても全然おかしくない。


 偉大な先人たちに感謝しながら、ヴィオレッタは計画表を手に祖母の元へ向かった。






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