第5話 一人前の証






 残った種籾はガラス瓶に入れて、ヴィオレッタの部屋で保管した。

 机の上に置いたガラス瓶を、ヴィオレッタはうっとりと微笑みながら眺める。


「なんて美しいのかしら……光り輝いているわ……ああ、早くこの稲が一面で揺れている景色が見たいわ」


 せっかく種籾を増やせたのだから、もっと広いスペースで栽培をしたい。

 だが、屋敷の庭もそんなに広いわけではないし、ヴィオレッタの自由にできるスペースは限られている。


 それにどうせなら、バケツで栽培するのでなくて、田んぼで作りたい。


 庭に田んぼを――浅い池を作りたい、と言ったところで許してもらえるだろうか。

 許してもらえたとしても、成功すれば来年はもっと広い土地で栽培したくなるに違いない。


(ならやっぱり、領地の方で好きにやりたいわ)


 領地の広さと比べれば、王都の屋敷の庭は狭い。

 広大な土地なら、ヴィオレッタの田んぼをつくるスペースは充分にある。


(おばあ様ならわたくしのしたいことも応援してくださるでしょうし)


 母の体調が悪かったため、レイブンズ家は王都で過ごし、領地のことは祖母と執事に任せている。


 多くの貴族は夏の盛りから冬にかけては領地で過ごし、春先から初夏にかけての社交シーズンは王都に住む。だがレイブンズ家は、母の体調が悪かったこともあり、通年王都で過ごして領地のことは隠居していた祖父に任せている。


(十五歳になったら貴族学園に入学することになるから、それまでに領地の方で栽培を進めておきたいわ)


 王都とレイブンズ家の領地は馬車で移動すれば三日かかるが、黒鋼鴉ナイトレイブンを使えば空を飛んで八時間ほどでいける。


 よく訓練された黒鋼鴉なら、騎手がぼんやり過ごしていても目的地まで運んでくれる。

 せっかくレイブンズ家に生まれたのだ。使わない手はない。


(そのためには、アレが必要なのよね……)


 ――黒鋼鴉に乗るためには、とても恐ろしい試練を乗り越えなければならない。


 とても、とても恐ろしい試練だ。

 できれば関わりたくない。逃げだしたい。

 だが、目的のためには――……


 ヴィオレッタは決意して、農作業用のドレスに着替えて、口と鼻を隠すようにスカーフを巻いて、庭の片隅に向かった。


 庭の角にある物置の横には、黒い土が積まれた場所がある。

 それは植物のための肥料であると同時に、土虫の養殖所でもあった。


 大きなスコップを入れて土を崩すと、例の細長い虫がうにょうにょと現れる。


(いやああああああ!!)


 心の中でひとしきり叫び、心を殺して、土虫をバケツ一杯に集めていく。

 自分がこんな恐ろしいことをしているなんて信じられなかった。


 だがこれも、夢のため。

 白米をお腹いっぱい食べるという野望のため。

 そのためならどんな試練も乗り越えてみせる。


 ヴィオレッタは意を決して、黒鋼鴉の厩舎へ向かった。





 ――黒鋼鴉。


 成体であれば人間が乗ることができるほど大きいカラス。

 身体は黒く、瞳は深い黒で、黄色い嘴が印象的だ。その嘴は鋭利で、鋼のように硬い。

 足も強力で、この嘴と足で敵と戦うらしい。


 ヴィオレッタはブリキバケツを手に、厩舎の中の一番若い成体の元へ向かう。


「――クロ、わたくしと仲良くしてほしいの」


 名前を呼ぶと、一羽の黒鋼鴉が吸い込まれそうな大きな瞳でヴィオレッタを見つめた。


 クロはヴィオレッタのための黒鋼鴉だ。

 もともとレイブンズ家には鳥を使役する力があり、黒鋼鴉に乗れて一人前と認められる。


 ヴィオレッタはバケツ一杯の土虫を差し出す。

 黒鋼鴉――クロは嬉しそうにバケツに顔を突っ込んで、それを食べ始めた。


 ヴィオレッタは完全に及び腰になりながらも、にっこりと笑いながらその光景を見つめていた。



◆◆◆



 ――本格的な冬が訪れる前に、ヴィオレッタは父のいる書斎に向かう。

 書斎には、父と、仕事の手伝いをしているオスカーがいた。

 ヴィオレッタは父に向かい、真剣な表情で言った。


「お父様、わたくし、領地で農業をしたのです。黒鋼鴉で領地と王都を行き来することを認めてください」

「ダメだ」


 あっさりと却下される。


「お願いです、お父様。わたくし、領地をもっと豊かにしたいのです。色々試してみたいのです」

「志は立派だが、お前はまだ黒鋼鴉を乗りこなせないだろう」

「では、乗りこなせれば問題ないのですね?」

「ん?」

「テストしてください。無事に乗りこなせれば、一人前と認めてください」


 父はあからさまに困った顔をする。


「父上、ヴィオは言っても聞きませんよ。実際に自分の実力を思い知れば、諦めるでしょう」

「う、ううむ……だが……」

「僕が横で見ていますから」


 オスカーの菫色の瞳が、ヴィオレッタを見る。

 にやりと笑うオスカーに向けて、ヴィオレッタも微笑んだ。


「ううむ……黒鋼鴉を自在に乗りこなせるオスカーが見ているなら、そう危険もないか……」

「そもそも、黒鋼鴉と心を通わせていなければ飛ぶどころか、鞍に乗ることすらできません」

「……よし、ヴィオ。いまのお前を、父に見せてみなさい」

「ありがとうございます!」


 書斎から飛び出したヴィオレッタは、心躍らせながら騎乗服に着替えて、黒鋼鴉の厩舎へと駆ける。


 厩舎に入ると、黒鋼鴉の力強い姿が目に飛び込んでくる。光沢のある黒い羽、鋭く澄んだ目つき、そして気高い風格。


「さあ、クロ。わたくしたちの挑戦の時間よ」


 ヴィオレッタは優しくクロに声をかけ、頬を撫でる。

 その目が力強くヴィオレッタを見て、ヴィオレッタは成功を確信した。


 クロを連れて厩舎から外へ出て、鞍をつける。

 準備を整え、その背に乗る。


 黒鋼鴉はとても頭がいい。人間以上かもしれないと言われている。

 恐れは見透かされる。だが、信頼も伝わる。

 友人となって、すべてを預けることが大切なのだ。


「さあ、クロ! 行きましょう!」


 父と兄が見守る中、ヴィオレッタが乗るクロが力強く走り出す。

 わずかな助走の後、力強く蹴り出し、羽ばたき、地面との繋がりを断つ。


 一瞬、時が止まるような感覚が駆け抜ける。

 身体が浮き、空に浮き――ヴィオレッタは風となる。


 冬の冷たい風が顔に当たる。それすらも快感に変わるほど、空と一体となる感覚は何にも代えがたいものだった。

 そのまま高く、もっと高くと昇っていく。


 ――ヴィオレッタは完全に自由となった。

 王都が遠くなり、小さくなる。外には見渡す限りの大地と空が広がっている。


 ヴィオレッタの斜め後方には、オスカーの乗る黒鋼鴉が飛んでいた。

 オスカーの先導に従って、王都周りを一飛びして、また屋敷に戻る。


 短い飛行を終えて着地し、鞍から下りると、父は肩を震わせて泣いていた。


「まだまだ子どもだと思っていたが……ヴィオはもう一人前だったんだな……よし、お前のやりたいようにやりなさい」

「ありがとうございます、お父様!」


 これで領地を自由に行き来できる。


「色々とありがとうございます、お兄様」


 ヴィオレッタは改めてオスカーに礼を言った。


「僕が教えたんだから当然だな。やるからには、責任をもってやれよ」

「はい、もちろん」


 ヴィオレッタはオスカーに黒鋼鴉の乗り方の猛特訓を受けていた。何度も鞍から落ち、何度も身体を打ったので、まだあちこち痛い。

 父にテストを頼んだ時も、オスカーがいるタイミングを狙っていった。兄ならきっと、うまくアシストしてくれると思って。


 そうしてヴィオレッタは、領地と王都を自由に行き来する許可を得た。





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