第3話 異国土産のドライフラワー
それからヴィオレッタは、ほとんど毎日母と一緒に庭と散歩をした。
雨の日は屋敷の中を探検した。
時にはルシアとも一緒に歩いた。
「おかあさま。わたしもー」
「はいはい」
母はヴィオレッタから手を自然と離して、幼いルシアの小さな手を、母は優しく握る。そしてゆっくりと歩いていく。
二人が並ぶ光景は、祝福されているかのようにきらきらと輝いている。
ヴィオレッタの妹のルシアは、母の生き写しだ。眩い金髪に、菫色の瞳。儚さと可愛らしさが溢れ、誰もが守ってあげたくなるような存在だった。
三兄妹の中で一番将来を期待されているのが長男オスカー。一番甘え上手で、溺愛されているのが末娘のルシアだ。二人とも金色の髪と、菫色の瞳で、並ぶととても美しい兄妹だ。
ヴィオレッタは二人を少し後ろから見つめながら、ついていった。
そんな生活を三か月続け、秋がやってきたころには、病弱で色白で痩せていた母も少しずつ元気になってきた。寝込む頻度も減り、肌の血色も、目の輝きもよくなってきた。
偏食はまだあったが、色んなものを少しずつ食べるようになってきた。
ヴィオレッタはひそかに達成感を覚えていた。
散歩と食事と家庭教師以外の時間は、ヴィオレッタは農法と米の研究に勤しんでいた。
父も母も読書が好きなので、屋敷の中には大きな図書室がある。暇があればそこであらゆる本を読んでいったが、米らしき記述は見つからなかった。
(やっぱりこの世界にお米はないのかしら……いいえ、諦めてはダメよ!)
図書室にあるのはこの世の一部の知識だけ。
この世はもっと広いはず。
また別の本を読んでいるとオスカーが入ってくる
「なんだ、またここにいたのか」
そう言うオスカーも、読み終わった本を抱えている。
「お兄様、コメって知っています?」
「コメ?」
「ライスと呼ばれているかもしれません」
オスカーは虫も植物も好きだ。
望み薄だろうが念のため聞いてみる。
「麦に似ていて、でも麦とは違って粒のまま炊いて食べるんです」
ヴィオレッタはそっと一枚の紙を差し出した。
おぼろげな記憶を頼りに描いた、豊かに実った稲穂の絵だ。
「ふーん。麦とは実の付き方が違うな」
さすが植物好き。目の付け所が違う。
「でもパンが一番うまいのに、なんでわざわざ粒のまま食べるようなのが食べたいんだ?」
パンは食の芸術品だ。
麦の硬い殻を取って、美味しい白い部分だけを粉にして、集めて焼き上げたものだ。
ふわふわで柔らかくて香りがいい。とてもいい。
だがそれではヴィオレッタの欲望は収まらないのだ。
ヴィオレッタは米の味を知っている。いくら美味しいものに囲まれていても、米を忘れることはできない。
「知らないならいいです」
絵を回収しようとしたら、オスカー側から引っ張られる。
「まあ待てって。これ預かっておいていいよな」
「いくらでも描けますからどうぞ」
オスカーがヴィオレッタの稲の絵を持って行って、一週間後。
「遠い南の地で似たようなものがあるかもしれない」
図書室にいたヴィオレッタの元へオスカーがやってきて、そう告げた。
「調べてくださったんですか?」
「暇だったし」
「でもどこで?」
ヴィオレッタではいくら調べてもヒントすら見つからなかった。
「城」
「お城ですか!?」
流石、次期伯爵。十三歳でもう城に出入りできるなんて。
ヴィオレッタはまだ城に行ったことはない。自分ではまだしばらく調べられそうにない。
「流石に現物はなかった。たまに南からの交易品で入ってくるらしいけれど、取り寄せるとしたら費用と時間が掛かるだろうな」
「――お兄様、ありがとうございます! では行ってきます」
「は? どこへ?」
「南の地へ」
「ばか!」
シンプルに怒られる。
「
「お兄様だってついこの間乗れたばかりじゃないですか。お兄様ができるなら、妹のわたくしにもできるはずです」
「ばか!」
オスカーはもう一度怒鳴ると、怒ったように図書室から出ていく。
――ともかく、この世界に米と似たようなものが存在するのはわかった。
あるのならいつか手に入れられる。
ヴィオレッタはこの時ほど貴族に生まれてよかったと思ったことはない。
(とりあえず、お金。そして商会とのコネが作れれば、いつかは……)
米が手に入るかもしれない。
可能性が見えたことで、ヴィオレッタはこの世界がますます光り輝いて見えてきた。
(種……種籾とか言ったかしら? それが手に入れば、作り放題で食べ放題よね)
気候が合うかの問題はあるが、合わなければ合う土地を探せばいいだけ。
「よーし、頑張るぞー!」
ヴィオレッタは俄然やる気になった。
(とにかくお金! お金稼ぎよ!!)
先立つものがなければ何もできない。
奮起して立ち上がった時、図書館に執事のジェームスが入ってくる。
「――ヴィオレッタお嬢様、当主様がお戻りになられました」
「お父様が? ずっと旅行に行っていたお父様が?!」
そういえばそろそろ帰ってくると言っていた気がする。
伯爵である父は、視察という名目でよく旅行に行く。趣味と仕事を兼ねているようで、世界中を回っている。
王都に帰ってくるなんて珍しい。
そして父が帰ってくるときには、いつも大量の異国土産ある。ほとんどがよくわからない民芸品で、屋敷の至るところにある怪しいものは、たいていが父の土産物だ。
今回はどんなものが増えるのか。
今度は呪いの人形とか紛れていないといいのだが、と思いながらヴィオレッタは執事のジェームスについていった。
居間に到着すると、父と母、兄オスカーと妹ルシアがすでに揃っていた。
そして部屋の中には所狭しと異国土産が並んでいた。
「おかえりなさいませ、お父様」
「おお我が天使、元気だったかい?」
「ええ、もちろんですわ」
父に抱きしめられ、頬にキスを受ける。
ヴィオレッタも父の頬にキスをする。
「ほら、お土産だ。好きなのを選びなさい」
鮮やかな色彩で顔が描かれた変なお面に、頭蓋骨のかたちをした水晶。波模様を描いた陶磁器。見たこともない色使いの絵画。柔らかな質感と鮮やかな色彩のタペストリー。異国語の本。大きな宝石。枯れた大きな花束。
選り取り見取りだ。
ちなみに選ばれなかった品は屋敷のあちこちに飾られる。
「わたし、これがいい。とってもかわいいの」
ルシアが選んだのは人形だった。
金髪に大きな眼で、繊細なドレスを着た人形をガラスケースから引っ張り出している。
「おお、さすがルシア。いい目をしている」
「うふふ」
ヴィオレッタの目に留まったのは、大きな花束だった。
ただの花束ではない。とにかく大きくて、やや色あせていている。ドライフラワーだ。
見たこともない花ばかりである。遠い異国の花たちなのだろう。遠い土地の香りがした。
その中に、ヴィオレッタはとてつもなく素晴らしいものを見つけた。
奥深い褐色と金色が混在した植物は、緩やかなカーブを描くシルエットをしていた。
美しい花たちの引き立て役であるその植物は、奥深い褐色と金色が混在し、緩やかなカーブを描いていた。
箒のような先端には、いくつもの粒がついていて垂れ下がっている。
(――これって、もしかして稲? ついているのはお米?)
――胸がドキドキして弾けそうだ。
この色、ざらっとした手触り、そしてどこか甘い香り――……
一粒だけ、取ってみる。
周囲のかたい殻を剥いて、口の中に入れて噛んでみる。
カリッと、口の中で砕けた。
その瞬間、ヴィオレッタは前世の記憶を思い出したときのような衝撃を受けた。
――これだ。この味だ。間違いない。
「……わたくし、これがいいです」
「ん? ああ、それは珍しい植物を集めてつくった花束だな。おもしろい風合いになったから持ってきたんだが……ヴィオ、本当にそれでいいのかい?」
「はい。わたくし、これがいいのです。これ以外いりません」
身体が震える。まさか、まさかまさか、こんなに早く出会えるなんて。
「そうかそうか。それはヴィオのものだ」
「お父様、ありがとうございます。大好き!」
ヴィオレッタは父に抱きつき、頬にキスをする。
「おお、我が天使!」
父にぎゅうっと抱きしめられる。
少し苦しいほどだったが、喜びに全身が満たされて全然気にならない。
ヴィオレッタはこれ以上ない幸福感に包まれていた。
「――わたしもそれがいい」
ルシアの声が静かに響いた。
小さな、だが強く響くその声が、幸福感を打ち消し緊張を走らせた。
「それがいい……それがいいのぉ……! うわあぁぁああん!」
大粒の涙をぽろぽろと零し、大きな声で泣き出す。
けっして人形からは手を離さないまま。
「まあ、かわいそうに。ヴィオちゃん、ルシアちゃんに譲ってあげなさい」
見かねた母がルシアの頭を撫で、ヴィオレッタに諭すように言う。
「えっ……」
ヴィオレッタは冷たい海に突き落とされたような気持ちになった。
「そうしてやりなさい。こんなに泣いて、可哀そうだよ。ヴィオはお姉さんだろう?」
ざあっ……と血の気が引いていく。
いままで何度、一番欲しいものをルシアに譲ってきただろうか。
ルシアはいつも悪気なく持っていく。皆の関心も、同情も、愛も。
だが、これだけは。
これだけは譲れない。
固まって動けなくなってしまったヴィオレッタの隣にやってきたのは、オスカーだった。
「ルシアは一番最初に人形を選んだんだから、二番目はヴィオに譲ってやれよ」
「えー、でも……」
「僕の順番を譲ってやるから。ルシア、ヴィオ、ルシア、僕――僕、ヴィオの順番で、全員ふたつずつ。あとは自由。それでいいだろ、お姫様」
ルシアは不機嫌そうな顔をして、頬を大きく膨らませていく。
涙はもう引っ込んでいた。
「別にいいもん。そんなお花、おねえさまにあげる」
ぷいっと顔を背けて、次の欲しいものを探しにいく。
そして大きな宝石に目を奪われたらしく、きらきらと目を輝かせながらそれを手にしていた。
もうすっかりヴィオレッタのドライフラワーなど忘れているようだ。
その姿を眺めながら、ヴィオレッタはオスカーにこっそり話しかけた。
「お兄様、ありがとうございます」
「どうしてもそれが欲しかったんだろ。絵そのまんまだしな」
「……はい」
俯くヴィオレッタの頭を、オスカーが軽く叩く。
「さて、僕は何を貰おうかな」
言いながら自分のものにする異国土産を探しにいく。
その背中を見つめながら、ヴィオレッタはもう一度心の中で礼を言った。
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