第42話 売人イェレと悪魔ウトゥ(1)
「貴族を殺す?この国を潰す?」
「…そういえば、お前神宝式行ったんだろ?どうだったんだ?」
ウトゥの問いには答えず、イェレは話をはぐらかす。ウトゥも問いには答えず、じっと眼前の、危うげな親友を真っ直ぐに見つめている。両者の間に重い沈黙が流れた。
そんな時、ウトゥの頭の中で一部始終を見ていたアサグがケラケラと笑いだした。
(ウトゥよ、おまえよりこの小僧の方がよっぽど悪魔っぽいのう)
そうウトゥに話しかけると、アサグは蠍の姿で現れた。
「おい、イェレとかいったな。小僧っ子よ」
突然姿の見えぬ何者かに話掛けられ戸惑うイェレは、ウトゥの肩に乗る大きな蠍に気が付くと、目を丸くした。
「わしはアサグ。悪魔だ。今からウトゥの秘密を教えてやるから、お前もウトゥの問いに答えてやれ、いいな」
いきなり現れて、両腕のはさみを大きく振りながら話し出したアサグ。慌てるウトゥとは対照的に、イェレは目を輝かせた。
「悪魔!すげえ初めて見た!ウトゥ、こいつどうしたんだ?」
しどろもどろになるウトゥを遮って、アサグが答えた。
「わしの名はアサグ。悪魔大公で先代の悪魔長だ。下級悪魔ウトゥの魔法の師でもある…。そう、お前の知るウトゥは今や人間ではない。悪魔ウトゥだ」
「悪魔…。ウトゥが悪魔…!凄え!すっげえ!スッゲー!かっけー!」
暗い顔をしてうつむいていたイェレは、満面の笑みではしゃぎ出した。
「どうして悪魔に?魔法使える?悪魔ってどんな感じなの?」
ウトゥが事の顛末をかいつまんで話す。イェレはそれを楽しそうに聞いていたが、神宝式での神父とのやりとりを話すと、イェレの顔はみるみる赤くなった。
「地母神教会ってのも腐りきってるんだな。俺には関係ないと思ってたけど、奴らもやはり敵だ、叩き潰さねえとな」
「敵ってどういう…。そうだ、さあ今度はイェレの番だよ」
「そうだね、そういう約束だったね。楽しい事などない、嫌な話だぜ」
ウトゥに促されて、イェレも覚悟を決めて話し始めた。
「ウトゥは俺が、昔、貴族に買われていたのは知ってるよな」
「奴隷みたいに安いお金でこき使われてたんだよね」
「…やはりお前は何も知らないんだな」
イェレは苦虫を嚙み潰したような顔をして、重い口調で辛い記憶を語り始めた。
イェレは七歳の時に、人買いに騙されて異常性欲者の貴族の元に連れていかれ辱めを受ける。心と体に深い傷を負った代償に得たのは、銀貨一枚とひとかけらの生アヘンだけだった。
イェレの心に、貴族と人買いに対する復讐の灯がともったのはその時だ。
その後、イェレは生活のため、弟ラウムのため、そして報復のため、その人買いに児童買春の客を斡旋してもらった。客はすべてクズばかりだった。貴族、軍人、商人。強烈な復讐心だけでは、その幼い覚悟を支えきれるものではない。
挫けて、心が壊れそうな時、偶然ウトゥを見かけた。
「朝方の帰り道、
「よせやい。…けどイェレにだけは、汚い、臭いと言われたことが無かったね。それが嬉しかったんだ、おれは」
地獄の日々の中、最初の転機は、客の錬金術師にアヘンの加工法を教わったことだった。精製したアヘンに燃える水を混ぜると、効果と中毒性が増すというのだ。生アヘンなら簡単に手に入る。早速調合して、客の貴族を実験台にすると、客はすぐに眠りこけて、その日は仕事をせずに済んだ。しかもそれ以降その客は薬をせがむようになった。
元来、貴族など地位のある者にとって、アヘンは汚らわしく唾棄すべき物とされていた。ポーションがあるのに、あえて庶民の薬を使う必要などない。無様な中毒患者を産むアヘンなどもってのほかだ。
だがあの邪悪な快感は、ポーションでは決して得られない。イェレの薬の評判は、静かに、しかし急速に広がっていった。
次の転機は、それから数年後、イェレが天然痘にかかった時だった。幸い命は取り留めたが顔と体に醜いあばたが残った。もはや男娼としての価値はない。商品価値のない少年を口汚く罵り、アヘンの売上げを取り上げようとした人買いをイェレは山刀で切りつけた。
初めて人を殺した。恐怖も、後悔も何もない。イェレの心の中にあるのは空虚だけだった。
かくして、イェレは麻薬としてのアヘンの売人として生きていく決心をしたのだった。
「病気に感謝なんて変だけど、天然痘のおかげで男娼を辞められた。だから俺はこの顔、いくら不気味がられても、嫌いじゃないんだ」
「そうだね、言いたいヤツには言わせておけばいい。おれもずっとそんな感じさ」
ウトゥとイェレは、顔を見合わせ、手を取り合って、笑った。
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