第37話 アンナとの別れ

「お前が支払う代償…、まあ大したことじゃない」


 不安顔のウトゥにさそりが言う。


「お前は死ぬまでもう二度とこの娘に逢えない、ただそれだけだ」


「アサグ、あなた何言い出すのよ!」


 黙り込むウトゥに代わって、怒気を孕んだ声で蠍に食って掛かるリリス。蠍が答える。


「お前は黙ってろ!命を差し出せ、魂を食わせろ、じゃないだけましだろうが!この娘と逢わせない。近づくのはもちろん、思念を通わせることさえ許さない。その禁を破った時はこの娘とお前、二人とも八つ裂きにしてくれる。その条件を受け入れるなら、この娘を救ってやろう」


 その条件を受け入れなければアンナは魔力暴走で苦しみぬいて死ぬだけだろう。選択肢などない。ウトゥは黙って頷いた。


「いいんだな、ほんとうに」


「…いいよ、アンナが助かるのなら」


 ウトゥの意思を確認した蠍は、アンナの頭から離れると、低い声で歌うように呪文を諳んじ始めた。

 すると横たわるアンナの真上に、何層もの輝く魔法陣が現れた。その精緻な美しさに思わず感嘆の声を上げ、見とれるウトゥ。

 それを横目に、蠍は先程とは明らかに別の言語の呪文を唱えると、アンナから放たれていた光が逆流しアンナの肉体に戻り始めた。それに伴って紅く発光するアンナの肉体。心臓の脈動とともに、ゆっくりと、ゆっくりと体が成長していくのがわかる。骨格も、筋肉も、両の乳房も。

 

 ウトゥはその魔法に息を呑み、気圧けおされるばかりだった。アンナの生命がかかっていることも忘れ、荘厳な宗教儀式に立ち会うかのように事の成行きを見守っていた。

 まばゆく、紅く輝く裸体のアンナは、極めて尊い存在のように感じられる。ただただ、ひたすらに美しかった。おれなんかが関わっていい存在じゃなくなったんだな、とウトゥは思った。


 しばらくすると、蠍が、


「もうそろそろ、良かろう。この娘の心臓も限界に近い」


 用心深く魔法を解いてゆく。溢れ出ていた魔力はアンナの体内で完全に環流している。

 魔法を解呪後、再び蠍がアンナの額に飛び乗って診察を開始した。


「脳、心臓、肝臓、生殖器…、異常はないな。成功だ」


「ありがとう、アサグ、本当にありがとう」


 感激の涙を流すリリスには目もくれず、蠍の悪魔はウトゥに言った。


「さあ、お前の望みは叶えたぞ。今生の別れだ。最後の言葉くらいは言わせてやる」


 ウトゥは静かに寝息を立てているアンナに顔を近づけ、何も言わずに己の額をアンナの額に押し当てた。掛ける言葉などない。ただ溢れ出す万感の思いを抱いて佇んでいた。


「…もう、済んだか?戻るぞ、己が体の元に」


 後ろ髪を引かれつつウトゥは立ち上がる。アンナの頭を撫でていた手を見ると、自分の指先が輝いているのに気付いた。その指先で何とはなしに、アンナの左のまぶたに軽く触れたのち、蠍に言った。


「別れは済んだよ、帰ろう」


 蠍の悪魔はウトゥに飛び乗ると、リリスに別れを告げたのち、光の塊になってウトゥと共にそのまま消えた。


 魔石の灯も消え、月明かりが差し込む静寂の中、リリスは眠るアンナに語り掛ける。


「お互い、面倒な男に惚れたものね⋯」

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