第36話 蠍の悪魔アサグ

 ウトゥは急いで古代魔法の術式を再構築し始めた。懐からちびた鉛筆と紙切れを取り出し魔法陣と呪文を再確認する。

 極めて高度な知識と経験が要求される魔法だ。加えてアンナの状態はリリスから送られる思念から類推するしかない。いかにウトゥが魔法の才能に恵まれていようとも、女性の裸身を見た事さえない、付け焼刃とすら言えない浅薄な医学知識と魔法の経験で乗り越えられる壁ではない。


 やはりおれじゃ無理か、そんな諦観が頭をかすめた時、


「その魔法陣じゃ、一年後にあの娘は老衰で死ぬぞ?」


 背後から何者かに突然囁かれハッとするウトゥ。確かに成長を止める術の一部がすっぽり抜け落ちている。


「いやその前に、その呪文じゃ命はないか、ハハハッ!」

 

「誰だ!…いや誰でもいい、アンナを助けて下さい!」


 そう言いながら、後ろを振り返るウトゥ。が、誰もいない。一羽の真っ黒なカラスがこちらを見ているだけだ。


「どこにいるんですか?お願いですから、アンナを…」


 泣きべそをかくウトゥ。カラスが笑いながらウトゥに向かって飛び上がり、手のひらほどもある巨大な黒いさそりに姿を変えてウトゥの肩に飛び乗った。

 蠍がウトゥに話し掛ける。両手のはさみが不気味に輝く。


「わしがその魔法を作った張本人の悪魔よ」


「悪魔…。いや悪魔でも構いません。アンナを…」

 

「悪魔に聖女の命乞いとはな…フフフッ」


 蠍はウトゥを小馬鹿にして笑い、言った。


「数万の命、幾億の魂を生贄にしてその魔法術理は完成した。数千もの新たな病を生み出した末にな。その結果わしは堕天して悪魔となった…。今更小娘一人の命など知った事かよ」


「それでも、それでも…」


「悪魔との契約には代償が伴う。知っているな?」


 うなずくウトゥ。蠍は、


「うむ。娘の容体次第だが、代償は必ず支払ってもらう。お前の魂であれ、肉体であれ、地獄の底まで追いかけて必ず取り立てる。取りはぐれたことなどない。それで良いなら契約しよう。どうせ事のついでだ」


 続けて、わしに身を委ねよとウトゥに命じると、蠍はウトゥの肩から頭に移動して、聞いたことも無い響きの言葉で呪文を唱えた。

 するとウトゥの肉体から、ぬるりと魂だけが抜け出した。真上から自分の体を見つめるウトゥ。不思議と怖れの感情は湧かないのは蠍に掴まっているからだろうか。


「そら、しっかりわしに掴まってろよ。娘の元に行くぞ」


 目を閉じ、蠍の尻尾を掴み直した瞬間、アンナの部屋に移動していた。


「ほら、着いたぞ。魂だけなら光の速さで飛べるからな。一瞬よ」


 初めて入ったアンナの部屋。ベッドに横たわるアンナを天使リリスが看病している。


「アサグ!来てくれたのね…よかった」


 リリスが顔を紅潮させながら駆け寄ってきて、蠍に話しかける。


「リルか、久しいな。後先考えずにつまらん安請合いなんぞするから苦労するんだぞ、それはともかく」


 気安い様子で天使に応じたアサグと呼ばれた悪魔の蠍は、さっそく溢れる魔力で輝くアンナに近寄るとそのままアンナのおでこに移動し、両の手のはさみをアンナの頭に突き入れた。驚くウトゥと悲鳴をあげる天使に、


「診断せずに治療なんかできるか、黙っとれ!」


 一喝し、診断、鑑定に集中する蠍。その様子を見守るウトゥと天使。ウトゥがアンナの放つ魔力に苦痛を感じ始めた頃、蠍が言った。


「術式は整った。そしてお前が支払うべき代償も決めたぞ、ウトゥよ」


 


 

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