第35話 天空神と天使と悪魔と
ウトゥは空しい気持ちを引きずったまま、重い足どりで夕闇の下町地区を彷徨っていた。
死屍喰いというジョブのせいで、今すぐ睡蓮亭に向かってアンナを見舞いたい、という願いさえ憚られる。ただでさえアンナの看病で大変な叔父夫婦の重荷になるのは明らかだし、アンナの死体を喰いに来たのか、縁起でもない、と嫌われ遠ざけられても文句は言えない。
ただ、気絶しているアンナの横顔をちらっと見た時、昨日までは一切感じられなかった魔力、それも自分以上の強大な魔力をアンナから感じた。もしそうなら自分が経験した魔力暴走以上に苦しかったはずだ。会えなくても構わない、少しでもアンナの近くにいたいという気持ちだけで、ウトゥは睡蓮亭に向かった。
睡蓮亭のある区画に到着した時、ウトゥの眼に異様な光景が飛び込んできた。
リリスの顕現の噂を聞きつけた数千名の熱心な信者達が、休業中であるのにも関わらず、輝く魔石で煌々と照らされた睡蓮亭の周囲をぐるりと取り囲んで祈りを捧げている。ある者は跪き、ある者は地面に額を擦り付け、またある者達は並んで奇怪なダンスを踊っている。
ウトゥには彼らの考えは理解できなかったが、はっきり感じたのは、そこにアンナの容態を心配しているものは誰一人いないこと。そしてこの人々の信仰心のせいで、ウトゥの、睡蓮亭でアンナとともに働くというちっぽけな、本当にちっぽけな夢はあっけなく消え失せたということだ。
ほんの数時間前に抱いた幸福な夢。そして望みもしないちからを得てしまったが故の絶望。やるせなさと徒労感で押しつぶされそうになる気持ちに耐えながら、それでもウトゥは魔法で数百メートル先にいるアンナの病状の解析を試みた。
睡蓮亭に併設されたアンナの家。そこから凄まじい量の魔力が垂れ流されている。行き場のない魔力が周囲の魔石に流れ込み、辺りを照らす光となって消費されているようだ。まだ大人になり始めたばかりのアンナの体では、あの魔力には耐えられまい。何者かがコントロールしているようだが、それにも限界があろう。
ウトゥにはこの状況を変え得る心当たりがあった。植物の成長を促進させる、あの古代魔法だ。種から、青のひまわりを数日で花開かせたあの魔法を用いれば、アンナは一気に大人の女性の体を手に入れ、魔力を安定させ得る。
だが本当にできるのか?植物では成功したが、動物では試したことすらない。しかも人間、それも一番大事な思い人だ。失敗したら物言わぬ肉の塊になるかもしれない。間近で様子を確認できるわけでもない。
ためらうウトゥ。思案しながら何気なく胸のペンダントに触れると、強い思念がウトゥの脳に直接流れ込んできた。
「ウトゥ、おねがい、たすけて」
アンナだ!思わずぺンダントを強く握って問い返すが返事はない。代わりに別の何物かの思念が返ってきた。
「
「誰だ、あんた。おれが話をしたいのはアンナだ」
「私は精霊リリス。大聖女アンナさまを守護する者です。アンナさまは天空神の再来であるあなた様に助けていただいて、大聖女から大地母神に生まれ変わられる運命なのです」
「天空神だの何だの能書きが五月蝿い。そんな事より、おれを手伝って欲しい」
「もちろんです。
「⋯そんなものになった覚えはない。おれはウトゥだ」
しかしながら、とそれでも食い下がるリリスに続けた。
「天使風情がわしに命ずるな!」
それまでのウトゥの声とは全く異なる、威厳ある老人のような重厚な響きの声がウトゥの口から発声された。
「…あなたは!!」
精霊リリスはそれ以降天空神の話をしなかった。
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