第32話 聖女という名のマリオネット(2)

 失神したまま、ゆっくりと半身を起こすアンナ。その背中には、薄ぼんやりと放射状の後光が射す。微弱な輝きが、まるでアンナを操る糸のようにも見える。

 アンナ本人の様子はといえば、その顔色はいまだ青白く、石膏の彫像のようにも、白磁の人形のようにも映るが、元々可愛らしく整ったアンナの容姿のせいか、不思議と不気味さは感じられない。

 

 様子がおかしいとはいえ、反応を見せたアンナの姿に喜ぶ両親とはうらはらに、周囲の人々はぎょっとして、ただアンナを見つめている。だが、一見すると悪魔憑きの伝承とそっくりなのに怯えている者はいなかった。たった一人を除いては。


 アンナは両目を閉じたまま立ち上がると、そのまま司教を指差した。そして、普段の明るい鈴の音のような愛らしい声とは全く異質の、低く荘厳な鐘の音を想起させる声で、司教に向かって言い放った。


「私は精霊リリス。大聖女アンナの守護者である。愚か者よ、跪け!」


 その声とともに、司教の体は強大な圧力で床に押し付けられた。その力に抗えるはずもなく、司教は膝を屈した。戸惑い、恐怖する司教。


「邪なる者よ。大聖女を利用しようなどという貴様に、地母神様の慈悲を受ける資格などない!」


 司教は慌てて釈明を試みる。


「恐れながら申し上げます。何を根拠に…」


 そんな発言など聞こうともせず、司教に向けた指先が幽かに光る。次の瞬間、司教の右耳が吹き飛んだ。噴き出す血しぶき。アンナの両親を拘束していた聖騎士たちが慌てて駆け寄る。子供のように大声で泣きわめく司教にリリスは冷たく言い放った。


「ふん、貴様如きの腹の内を読めぬとでも思ったか!…大聖女の誕生というめでたい日ゆえ、その程度で堪忍してやる。大聖女の成長のため、身を粉にして働け。全身全霊をもって、大聖女に尽くせ!」


 跪いたまま恐怖に打ち震える司教は、その言葉に何度も大きく頷いている。


 翻って、リリスはアンナの両親に向き直ると、穏やかに優しく語りかけた。


「アンナさまのご容態は今のところ落ち着いていますが、大量の魔力の急激な流入は、どうしてもお身体に負担がかかります。しばらくご自宅で静養なさって頂きたいのですが、お願いできますか?」


 もちろんアンナの健康が最優先だ。一も二も無く同意する両親に、

 

「それでは教会の者どもに馬車の用意をさせましょう」


 そのリリスの提案を、アンナの父親は拒絶した。


「私も妻も地母神教の信徒であり、リリス様のお心遣いには大変感謝いたしますが、はっきり言ってこの教会の方々にはアンナに近付いて欲しくありません。

 それから、今だからこそあえて申し上げますが、アンナが聖女のジョブを賜ったからといって、将来教会で聖職に就くかどうかはあくまで本人が決める事で、教会側で勝手に決めつけないでいただきたく存じます」


 リリスは父親の言葉を聞き、大きく頷きながら答えた。


「至極当然の御発言かと。ご尊父様の仰せの通りにいたします。アンナさまが聖女のジョブを選ばれないのなら、現在の教会組織、いや地母神教自体その程度のものだという事です。滅びてしまってかまわない」


 神父や聖騎士がどよめく中、リリスは続けて、


「ただ、私もアンナさまの守護を運命づけられたものとして、アンナさまがどのような人生を歩まれようと、御伴させていただく事だけはお許しください」


 もちろんですとも、と答えた父親は母親を促し、アンナを背負って礼拝堂を出る。   

 すっかり疲れた父親は、娘をおんぶして歩くのはいつ以来だろう、そしてこれが最後だろうな、などとぼんやり考えながら家路に就く。


 教会の玄関の扉が開くと、未だ続く行列の後尾、強い西日の当たる陽だまりで、眩しそうにこちらを見ているウトゥの姿があった。アンナのことが心配でたまらない、いかにもそんな表情を浮かべていた。

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