第20話 絶対者との邂逅
ウトゥは薄暗い闇の中で、大きな河のほとりに一人ぽつんと立っているような気がしていた。「気がしていた」というのは、混濁した意識の中、これが夢か現実かわからないからだ。
目を凝らすと、蛍のように淡く青白く輝く人々が河に入っていくのが見える。みな向こう岸に渡ろうと懸命だ。だが向こう岸に渡りきる者は数少なく、ほとんどが水に飲みこまれ流されていく。渡し守に金を渡して小舟で河を渡ろうとしているものもいるが、小舟が岸を離れた直後、大量の人々が小舟に群がってそのままひっくり返って流されて沈んでいった。
ウトゥの魂は大ネズミ退治の時以来、再び生と死の狭間にあった。此岸と彼岸の境界で、訳も分からず、ただ立ち尽くしていた。
そこに、聞き覚えのある声が、ウトゥに語り掛けてきた。
「おまえはそこが余程気に入ったとみえるな」
「…あなたは、誰ですか。名前は…」
そうウトゥが尋ねると、声の主は
「わたしに名など無い。名を持つ必要がない。名を貰って喜んでいる輩など小物だ」
「…では、あなたは何ですか」
声の主はゆっくりと、ウトゥを諭す。
「…わたしは生にして死。光にして闇。天にして地。聖にして俗。
…わたしは
…わたしは、すべて。つまり、わたしは、おまえだ」
「おれにはわかりません」
「今のお前にわかるはずがなかろう。期待もしておらん。お前に限らずほとんどすべての人間は、自分の事すらわかっていない。自分の事すらわからぬくせにすぐに他人をわかったつもりになる。愚かなことだ」
「…おれはこれからどうしたらいいんですか」
「お前はどうしたいんだ?河を渡れば死んで楽になれる。元の世界に帰って苦しみつつ生きることもできる。大差は無い。わたしはどちらでもかまわん」
ウトゥは返事に窮した。元の世界に戻って大好きな人たちに会いたい。アンナとおしゃべりして笑い合いたい。…できれば彼女を抱きしめたい。
だが元の世界では散々嫌な思いもした。ほとんどの人たちは自分を蔑み、疎んじた。薄汚いと罵られた。戻る価値などあるのか。自分の故郷、スモークス・ピークスに…。
ウトゥの中で激しく交錯する、ウトゥに向けられた善意と悪意、そしてウトゥ自身が他者に抱いていた悪意と善意。
加えて思い浮かべたスモークス・ピークスのゴミ山の頂と、そこに降り注ぐ灼熱の陽光。二度の臨死体験と、アッドゥ子爵家での楽しい日々。それらが渾然一体となって、ウトゥの中でイメージが再構築されていく。
ウトゥはついに、なにかを悟った。
「おれは、戻ります。スモークス・ピークスに」
「そうか。…よろしい、蘇るがいい。せいぜい私を愉しませよ」
声の主がぼうっと発光している肉体を指し示した、気がした。
「あれは、おれだ!おれの抜け殻…なのか?」
戸惑いながらも、ウトゥの魂は、自らの肉体に還っていった。ぼんやりと発光していた肉体は、途端に燃えるように赤く、まばゆく輝き始めた。
ウトゥが目覚めると、焦燥し切った顔でウトゥを見つめるサラが目に飛び込んできた。サラはウトゥの意識が回復したことに気付くと、声をあげて泣き出した。ぐじゅぐじゅと鼻を鳴らすサラに、酷い顔してるね、とウトゥが話しかけると、サラは何も言わずに微笑んで額を小突いた。
ようやくアッドゥ家は平穏を取り戻した。
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