第9話
次の日の早朝、ウトゥは痛む体を引きずって、普段から懇意にしてもらっている数件の農家に、しばらく休む事を伝えて回った。中には体調を心配してくれる人もいて、ウトゥは少し気が楽になった。途中小川の洗い場で行水したのち、のんびり睡蓮亭へ向かう。
昼の開店準備中、店の女将さんに当分休養することを伝えようと、ウトゥは恐る恐る店内に入ったら、なぜかすでにアッドゥが女将さんとおしゃべりしていた。
「おう来たかウトゥ!早かったな!」
アッドゥは満面の笑みで出迎えてくれた。ただ開店準備に忙しい他の店員に申し訳なくなるほど声が大きい。
「話はアッドゥさんから聞いたよ。体は大丈夫なのかい?仕事の心配はいらないからね。きっちり体直すんだよ!」
次いで、女将さんが矢継ぎ早に声をかけてくる。普段口を利く機会のほとんどないひとなので先に声をかけてくれたのは助かった。
「ここじゃちょっとなんだから河岸を変えるか。ウトゥ、少し付き合え」
アッドゥは店の外に出ようとウトゥの腕を強引に引っ張った。女将さんに小さく会釈しつつ、凄まじい力に引き摺られながらウトゥは睡蓮亭を後にした。
睡蓮亭を出た二人は、アッドゥの馬にまたがってゆっくり下町を移動していた。
「しっかり俺の背中に掴まれよ!落ちたら痛ぇぞ!」
相変わらずの大声でアッドゥが叫ぶ。だが乗馬が初めてのウトゥは無邪気に大喜びしている。頬に当たる風、人々を見下ろす高い視点に軽快なリズム、すべてが心地よかった。だがしばらくして行き先の見当がついてくるとそんな気持ちは失せていく。馬は明らかに山の手、貴族エリアに向かっていた。
「アッドゥさん、どこに行くんですか?」
「ああ、午後の仕事の前に家に寄りたいんでな、すまんな」
不自然な口調でアッドゥが答えた。アッドゥは貴族なのかな。それはともかく、お金を受け取っていない以上、ついていくほかないが、よりによって山の手地区か…。平民地区でさえ蔑まれて見られる事が多いのに、貴族地区なんてそもそも入場できるのだろうか。馬鹿にされに行くだけなんじゃないか。考えれば考えるほど、ウトゥは憂鬱になった。
城塞都市ウルクには二つの城壁がある。ウルク公爵家が住むウルク城を中心にひろがる直径15キロ程度の円形の貴族エリア、山の手地区を囲む第一城壁と、その外側に広がる平民や貧民十数万人が暮らす下町地区を囲う第二城壁だ。どちらも最上位魔導士の土魔法と石工職人の技術が産み出した、偉大な建造物である。
しばらく経つとついに第一城壁の検問所に到着してしまった。身じろぎもせず立っている、二人の立派な門番。そのうちの一人が馬に寄ってきて一礼した。
「子爵様、お帰りなさいませ、そちらのお子様は?」
「知人の子供を預かることになってな。しばらく我が家に住まわせる」
アッドゥが応じると、門番は「左様でございますか。お気をつけて」と開門して二人を通した。
「別に何もなかったろ?心配なんかいらねぇんだよ!」
アッドゥは豪快に笑った後、そう言った。
自分の心を見透かされてたのかとウトゥは恥ずかしくなってしまったが、同時に頭にも来ていた。ただお金を受け取りたいだけなのに、と。
アッドゥは数分馬を走らせた後、瀟洒な邸宅の前で馬を停めた。
「さぁ着いたぞ!ここが俺の家だ!」
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