※スピンオフ・おまけ⑧ 或る男の最期
船が港に着いたのは、夕方になった頃だった。
桐山は港を降りると、吸い込まれるように、天上山へと歩みを進める。今日は休日だからか、道路には無人の重機が停めてあるばかりで、人の姿はない。
それでも、桐山は何となく、彼がいるならこの場所だろうと思っていた。
彼が普通の空き家に身を潜める想像がつかなかった。桐山は彼の堕ちる前の姿しか知らない。だからかもしれないが、桐山の中では、彼はまだ、神様だった。
立ち入り禁止の札と、黄色と黒の仕切りを越えると、そこには深い洞窟が広がっている。
作業のため、洞窟の中には明かりがある。それでも、入っていくとひんやりした質感があった。
「......ここも、見つかったか」
少年は入り口からほど近いところに立っていた。
桐山がよく知る姿、髪を結って着物を着た姿のままで、こちらを振り返る。肌は白く、頬にはわずかな赤みがあった。
「最初に見つけたのは、君か。予想外だ」
「......殺すか? ここなら、お前にもできるだろ」
少年はゆるゆると首を振る。
この島に来るまでは、桐山は自分の命を落とす覚悟をしていた。けれど、この島の空気を吸って、少年がここに来た理由を想像して、そんな気持ちは次第に薄れていった。
「君を殺しても、もう逃げ場はないよ。ここもバレた。僕の正体がバレるのも、時間の問題だ」
「お前は、神様で、ダンジョンマスターなんだろ?」
「......違うよ。僕は、神なんかじゃない。そう思わないと、生きていられなかったんだ」
少年は自分の両手をじっと眺めて、呟いた。
「どうして僕に、こんな力が与えられたんだ。こんな力さえなければ、僕はこの島で、皆と普通に暮らしていけたのにって。考えるのが面倒になって、神様だって思い込むことにした。それだけなんだ」
「......僕の恩人が言ってたのを、君も聞いたんだろ? 全部、巡り合わせなんだ。きっと、君の力にも意味が」
「ないよ、そんなもの」
少年は桐山の言葉を冷たく遮る。
「......仮にあったとしても、僕にはそれが分からなかった。分かるようになるまで、長すぎるよ。僕にはそんなに長い期間、耐えるなんて無理だった」
「今まで、生きてきたんだろ」
桐山は、必死になっている自分に気づいた。
少年がこれから何をしようとしているのか、わかった。止める義理はない。必要もない。でも、ここで彼を止めることが、桐山がここにいる意味であるような気がした。
「何とか、生きてきたんだろ。まだ間に合う。お前の人生は長いんだ。ここからだって、絶対、やり直せる。俺たちと、一緒に行こう」
「......もう、無理だ」
「無理じゃない。俺だって......!」
少年の表情は、ぴくりとも変わらなかった。冷たい微笑を、ずっと浮かべている。
「ありがとう、桐山くん。でも、僕は君とは違う。もう、取り返しのつかないことを、たくさん、たくさんしてるんだ。僕のモンスターが殺した探索者たちに関しては、正直、あんまり実感がない。でも、僕が奪った命はそれだけじゃない」
少年の眼が一瞬、遠くの方に向く。
「神社に、ひとつ死体がある。後始末を任せたい」
「......!」
「三百年、ずっと神様として生きてきた。でもね、時々、自分がただの人間であることを思い知らされる時があるんだ。夢から現実に引き戻される、みたいな。その度に、あぁ、まただ、って思うんだよ。また、罪を重ねた、って」
少年が洞窟の奥に向かって歩き出す。
桐山は追いすがるが、ただ歩いているだけの彼と、全力で走っても差が一向に縮まらない。
「こういうことは、何回かあるんだ。だから、こうなったのは、君たちのせいじゃない。僕は......僕はもう、こんな気分になるのは嫌になったんだ」
洞窟には、出口があった。
こんなことは、今までで初めてだった。
潮風が吹き込んでくる。
出口からは、星空しか見えない。洞窟を下っていったはずなのに、ずいぶん高いところから見たみたいな景色だった。
「待て、駄目だ......! 駄目だよ、こんなの」
「これ以上、僕に意味なんて要らない。他の人と同じように、何の価値もない死を迎えることにするよ」
「やめろ......。やめてくれ」
少年はこちらを振り返った。
張り付いたような薄い笑みのまま、眼には涙を浮かべて、彼は両手を大きく広げた。
「あぁ......できることなら、織津栄治として死にたかった」
彼は最期にそう言い残して、海の中に倒れ込んだ。
「桐山!」
「桐山くん!」
しばらく立ち尽くしていると、皆がやって来た。烏丸と遥、上谷は来るだろうなと思っていたが、迷宮庁のおっさんまでついてくるのは予想外だった。
「あいつは!?」
桐山は黙って、海の中を指さす。皆が微妙な表情で沈黙した。
「......これで、よかったのかもな」
しばらくして、おっさんが口を開いた。
「あいつが生きてても、政治と軍事と外交のごたごたに巻き込まれるだけだ。戦争の火種にだってなったかもしれない。だったら、こうなった方が」
「やめてください」
桐山は、強い口調でそれを制した。
「......すみません。あいつを庇う気は、さらさらないけど......。でも、あいつは、自分の死をそういう風に語ってほしくないと思います」
おっさんが無言で目を閉じた。遅れて、皆も何となく、黙祷するように目を閉じる。
神を騙った傲慢な殺人鬼が、死んだ。それだけのことだった。
この話は、それだけで十分だった。
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