※スピンオフ・おまけ④ シロの独白


「やばい、もうこんな時間!」


 最近覚えた髪のセットに手こずっているうちに、時刻は午前九時を回っていた。私の相棒、烏丸真一は慌ただしく部屋の中を歩き回っている。


「いや、この服だともう寒いか? でも、これより暖かい服って、ハルカさんに選んでもらったやつじゃないし......。どうしよう、シロ」


 それでいいから早く行け、と私は吠える。人間の恋愛事情のことなど全く分からん私に、どうして真一は相談するのか。階段を降りれば、恋愛の果てを経験している母親がいるではないか。私にはさっぱり理解できない。


 何百年かの時を過ごして、様々な場所で、様々な人間を観察してきた。

 ダンジョンと呼ばれる特殊な空間の中では、人間の本性が現れる。喧嘩や欺瞞といった悪しき部分から、信頼や自己犠牲といった善なる部分まで、人のありとあらゆる部分を見てきたが、それでも人間という存在について、理解することはできなかった。


「......よし、これでいいや! それじゃシロ、留守番できるか?」


 私は了解、と伝える。私の言葉が真一にわからなくても、真一とは何となく意思疎通ができる。それがスキルと呼ばれる異能によるものなのか、私たちの関係性によるものなのかは知らない。だが、真一から離れると起きる無性にむず痒い感覚が、最近は随分と減ってきているのは、我々がスキルの枠を超えている証ではあるだろうと思う。


 私の相棒は、今日は映画館という場所に行くらしい。映画ならば私も、この家のテレビで見たことがあるが、映画館のスクリーンはその何倍も大きく、迫力ある音響が楽しめるという。真一のカプセルは、一度入ると意識が途切れ、中で何かを感じ取ることはできない。私もいつかは映画館とやらに行ってみたいものだが、なかなか難しそうで残念である。


「じゃ、行ってきます!」


 結局、おかしな上着を着て飛び出していった相棒をため息とともに見送って、私は彼のいない部屋に戻る。

 私の一日の始まりである。





「あら、あんた残ったの」


 真一の母親は、最初は私のことをずいぶん怖がっていた。でも今は、私のことを家族の一員として接してくれている。


「言うこと聞いてくれるのがいいわね。夜中とか、全然吠えないし」


 ということらしい。声を抑えた甲斐があるというものだ。

 今朝は真一がばたばたしていて朝食をもらえなかったので、彼女にもらわなければならないのだが、彼女に自分の意思を伝えるのは、真一と違って難しい。


「ん? 何?」


 冷蔵庫を指さしてみたり、食卓の前に座ってみたり。色々な手を試してみるのだが、どうやらそもそも彼女は勘が鈍いようだ。

 衛生的によくないだろうからあまりやりたくはないが、食卓の上に前脚を乗せて、何かを食べる真似をしてみる。


「......あぁ! お腹空いたのね」


 ようやく気付いてもらえたらしく、皿に乗った生肉が出てくる。

 ダンジョン内ではずっとモンスターの肉を喰らっていた。真一は私をカプセルに入れるのを憚るようになってからずっと私の餌に苦慮していたが、やがて肉食だということを突き止めたらしく、スーパーで肉を買ってくる。


 私は床を汚さないよう慎重に、脂身の多い肉を食べる。真一は浮かれてしまって、やけに高級な肉を買ってくるものだから、私は辟易してしまう。配信で稼いだ金があるとはいえ、もっと自分のために使えばいいのに、と思わないでもない。


 朝食を食べると、私は眠りにつく。生まれた時から、眠気を感じない瞬間が訪れたことは一秒たりともない。

 起きたら昼食をいただき、また眠る。真一が帰ってきたら少し一緒に過ごして、また眠る。そういえば、真一は今晩は夕食を食べてくるのだろうか。

 もっと長く真一と過ごしたい気持ちはある。こうして暮らしていくうちに、長い時間起きていられるようになるだろうか。難しそうではあるが、無理だと諦めると、真一に怒られそうである。




 夢を見た。

 昔の夢、私が産まれてすぐのころの夢である。


「......うーん。なんか、しっくり来ないなぁ」


 目が覚めて最初に見たのは、何やら思案する少年の顔だった。見た目や話し方は子供のそれではあるが、その表情は老人のそれよりも成熟を感じられ、どこか投げやりでもあった。


「もう少し体毛を白く......それから、何かキャラ付けしたいな......」


 しばらく考えた後、少年は私の身体にそっと触れた。

 その瞬間、重く鈍い感覚とともに、強烈な眠気が私にのしかかってきた。私の身体は、彼に握られている。本能的にそう感じた。


「よし。じゃあ、君は白無垢フェンリル。頼んだよ」


 何を頼まれたかさっぱり分からなかったが、とりあえず頷いた。少年はそれに満足した様子で、私の頭を撫でると、すぐに背中を向いてその場を後にする。


「......いつまで、こんなこと」


 去り際に、少年がぼそっと呟いたのを、私の鋭い聴覚は敏感に察知した。




 玄関を乱暴に開ける音で目が覚めた。時計を見る。時刻は午後三時。帰るには早すぎる。まさか喧嘩でもしたのだろうかと、私は狼狽した。


「シロ、いるか!?」


 階段を駆け上がって、相棒が部屋に足を踏み入れる。

 彼は何かを後悔したり落ち込んでいるというより、焦っている様子だった。私は、何k氏らの緊急事態が起きたことを察する。




「桐山が、いなくなったって、上谷さんから!」


 私はまだ眠いのを堪えて、ゆっくりと起き上がった。

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