※番外編・おまけ 山田真奈の後悔

 私の両親は、共働きだ。

 父は医者で、母は商社で働くバリバリのキャリアウーマン。こんな二人がどうして出会って、どうして子供を作ろうだなんて思ったのか、私は知らない。

 とにかく、おかげで私は食べるものや着るもの、遊ぶものに困ることはなかった。スマホも、小学生のうちから一番高いやつを持っていた。

 その代わり、私に両親からの愛情は、これっぽっちも与えられなかった。


 それまでは公園で遊んでいられたのが、ある時から男子がボールを使ってスポーツをするようになり、公園を占領してしまった。それで、友達は買い物に出かけたり、誰かの家に集まってボードゲームなんかをするようになった。でも、私の家は友達を入れてはいけない決まりになっていたし、皆が欲しいと思うものは、私はとっくの昔に持っていた。

 はっきりと言われたわけではないのだけれど、それで何となく、私は仲間外れにされていた。

 桐山弓......キリと出会ったのは、そんな小学三年の夏だった。


 その日、私は公園で、男子がサッカーをするのをぼんやり眺めていた。部屋に一人でいたくなかったけれど、大人がたくさんいる場所に行くのも怖かった。

 そんな時、ふと横を見ると、同じようにぼんやりしている、虚ろな目をした少年がいた。


「......何してるの?」


 私が話しかけると、彼はびくっと跳ねて、私から一歩距離を置いた。そんな風に露骨に避けられると、ちょっとむっとする。


「あ......いや、なんにも」


 少年は私の不機嫌に気付いたのか、とても申し訳なさそうに答えた。あんまり気落ちした様子でいるものだから、ちょっと胸が痛んだ。だから、彼と話してみる気になったんだと思う。


「なんにも?」

「......そう、なんにも。やりたいこと、ないし」

「宿題は?」

「もう済んでる」


 私も特にやりたいことなんてなかったけど、宿題はまだやっていなかった。何だか気恥ずかしくなって、目を逸らす。

 彼は私が次に何か言うのを、じっと待っていた。自分から話す気はさらさらないみたいだった。仕方なく、私は別の話題を振る。


「お名前、何ていうの? 同じ小学校かな」

「たぶん、そうだよ。見たことある気がする」


 桐山弓、と彼は名乗った。その名前に聞き覚えはなかった。私が自分の名前を言うと、彼の方も首を傾げた。私の小学校は3クラスあって、キリは私の隣のクラスだったから、知らなくても無理はなかった。


「サッカーは、しないの?」

「......山田さんは、しないの」

「私? 私は、女の子だし」

「関係ないよ。したいんだったら、したいって言えばいいのに」


 言われてみれば、その通りだった。

 でも、サッカーをする気にはならなかった。


「私、サッカーは嫌いみたい」

「俺も、そう。だから、やらないんだ」


 男子はみんなサッカーが好きだと思っていたから、驚いた。

 でも、これまた、言われてみたらその通りだった。トランプが好きな子もいれば、オセロが好きな子もいる。テレビゲームを熱心にやっている女の子も知っている。男子も、サッカーが好きな子もいれば、嫌いな子もいるはずだ。


 いつの間にか、キリの目に光が戻っていた。そっけない態度を取ってはいるけれど、彼は話しかけてもらえて嬉しいんだと、直感でわかった。それがわかると、何だかこっちまで嬉しくなってきた。


「ね、二人で、何かしようよ」

「何かって、何さ」

「わからないけど。何か、楽しいこと」


 楽しいこと。キリは繰り返して、初めて嬉しそうににんまり笑った。笑い方はとても気持ち悪かったけど、それが面白くて、私はげらげら笑った。


 それからも、私たちはよく一緒にいた。結局、「楽しいこと」なんて何にもしなかった。学校であったこととか、クラスメイトや先生の悪口とか、最近ハマっているものとか。そんなくだらない話を、ずっとしていた。




 私たちは同じ中学校に進んだ。

 けれど、二人の関係は、小学校のころとは微妙に違った。


 女子の立場の判断基準が、おしゃれかどうか、それに空気を読むのがうまいかどうか、に移り変わったことで、私はクラスで上位グループでいられた。お金ならあったし、他人の感情を読み取るのは、昔から得意だった。


 一方でキリは、クラスから孤立して、変な趣味に傾倒し始めた。ロボットの話とか、ライトノベルの話とか、彼が熱心に話すのを聞いていてもさっぱりわからなくて、何だか私は彼が遠くへ行ってしまったような気持ちになった。


 それでも、私たちは疎遠になったわけではなかった。教室でどんなに騒いでも、学校帰りにカラオケに行っても、夕飯の時間になるとみんな帰ってしまうから。一人でご飯を食べるのが嫌で、私はキリを家に入れた。友達を家に入れちゃいけない、というルールはまだあったけれど、中学生の私は、バレなきゃルールなんてないのと同じ、ということに気づいていた。


 キリは私の部屋に入るたびに緊張していたけれど、一切何もしてこなかったし、いやらしい目で見ることもなかった。彼がそういう目で私を見てきたらすごく気持ち悪かっただろうから、助かった。

 でも、それは同時に、一抹の不安を私に与えた。すなわち、私には魅力がないのでは、という。


 そんなときに出会ったのが、大輝だった。

 大輝は、自分の感情に素直な男だった。視線はいつも私の顔より下にあったし、平気で私の身体に触れた。それでいて、私を彼女にする気は全くないようだった。

 私は、そんな彼のあからさまな視線に満足し、彼に惚れた。


 一度だけ、キリにやんわりと言われたことがある。


「あの......大輝って人。やめといた方がいいんじゃない?」


 私は、キリがそんなことを言うのに驚いて、どうして、と聞いた。

 キリは、それを私が怒っていると勘違いしたのか、ごめん、と謝って、それきり二度と触れてこなかった。


 大輝と出会って、私は変わった。

 彼が好きだと言ったものが、素敵に見えた。彼が気持ち悪いと言ったものは、本当に気持ち悪く見えた。

 遠野遥という女子も、その一人だった。大輝は彼のオタク趣味を馬鹿にした。そうすると、私も本当に、それが醜いものに見えてくるのだった。


 大輝が夜遅くまで私の家に友達を連れてきてくれるから、キリは家に来なくなった。私もそれを気にも留めなかった。

 けれど、キリのことが嫌いになったわけでもなかった。オタク趣味の遥を馬鹿にしながら、同じ趣味を持つはずのキリとは普通に接した。そこに矛盾を感じることも、当時の私はしなかった。


「俺さ、高校には行かない。そんなのより、もっと面白いことしようぜ」


 学校も休みがちで、成績も壊滅的だった大輝は将来どうするつもりなんだろう、と漠然と疑問に思っていたら、中学三年の秋、彼は突然そんなことを言い出した。

 彼には私以外にも女友達が大勢いたのに、私を誘ってくれたことが嬉しくて、同じく成績が壊滅的だった私は二つ返事で了承した。


 彼がやろうとしているのは、ダンジョンの中で動画を配信する、というものらしかった。最近ダンジョン内でも通信が自由にできるようになり、熱いジャンルなのだという。億を稼ぐ奴もいっぱいいるんだ、と彼は目を輝かせて言った。


「それで、カメラマンがやっぱり一人欲しいんだよな......」


 彼がそう言った時、私はキリの顔が思い浮かんだ。よくわからないけど、彼はフィギュアの写真とか、よく撮っていた気がする。

 最近、あまりキリと話せていない引け目もあった。それに何より、大輝の役に立ちたくて、私はキリを彼に紹介した。


 キリは高校受験に向けて勉強していたけど、私のためなら、と親の猛反対を押し切り、半ば家出する形で来てくれた。



 そこからのことは、あまり思い出したくない。

 大輝は数字に追われるうちに、おかしくなっていった。いや、本性を隠す余裕がなくなっただけかもしれない。


 再生数が良ければお祝いと称してキリを殴り、悪ければキリのせいだと言って殴った。彼は演者である私には手を出さなかった。でも、キリを庇った時だけは、別だった。


 キリを笑えば、大輝も一緒に笑ってくれた。

 キリを庇えば、大輝はひどく怒り出した。


 それを繰り返すうちに、私はもう、何も考えられなくなってしまった。

 キリの眼はどんどん曇っていき、濁っていった。そして、あの日、彼は人ならざるモノになった。




 一昨日、ずっと震えていた私の前に、キリは現れた。かけておいたはずの鍵をこじ開けて、ナイフを握って。


「......ごめんなさい。ごめんなさい......」


 謝る私を、彼はじっと見下ろした。

 そして、おもむろに、ナイフが彼の手から落ちた。


「......やっぱり、俺には真奈を殺すなんて、できない」


 キリは、私の前でベッドの上に座り込んだ。


「あの人に言われたんだ。ナイフを持って、真奈の前に立ってみて、それから考えればいいって。だから、その通りにしてみたんだけど」

「......あの人って?」

「俺を、助けてくれる人。神様みたいな人だよ。子供の見た目なんだけど」


 彼が何を言っているのか、わからなかった。表情は明るかったけど、目に生気は戻っていなかった。


「誰も俺のことを知らないところに、逃がしてくれるんだ。だから、今日は真奈に、お別れを言いに来た」

「.......キリ」

「色々、あったけどさ。真奈はなんにも悪くないよ。俺、真奈と出会えてよかったって、心から思う。だから......今まで、ありがとう」


 キリは、にこっと笑うと、ベッドを降りた。

 もう振り返ってはくれないその背中に、声をかけたかった。事情は分からないけど、その人、本当に大丈夫なのって。ついていくの、やめた方がいいんじゃない、って。


 でも、そんなこと、口が裂けても言えるはずがなかった。




 そして、今、私は配信の画面を、食い入るように見つめている。

 あの時、私たちと勝負した配信者たち。遠野遥と、その仲間たち。彼女らと対峙している、不気味な怪物。


「真奈は、一番強い動物って、なんだと思う?」


 昔、動物園に行った時、キリが訊いてきたことがあった。中学に上がりたての頃じゃなかったっけ。


「え? そりゃあ......ライオンでしょ」


 私たちの目の前には、ライオンの檻があった。だから、私はそう答えた。

 でも、キリはわかってないな、と首を振った。


「じゃあ、キリは何だと思うわけ」


 それはね、とキリは歩き出す。


「陸なら、象。何せ、デカい。それに、長い鼻をぶつけたら、それだけでめちゃくちゃ痛いと思わない?」

「陸なら、ってことは、海もあるの?」

「うん。海なら、鯱さ。知ってる? 鯱って、シロナガスクジラも襲って、食っちまうんだぜ」


 へえ、と私は気のない返事をした。動物園に来て、水族館の生き物の話をされても、ぴんとこない。


「で、空なら、龍」

「龍?」

「そう。西洋のドラゴンじゃなくて、東洋の龍。雲を掴む、神様」


 何それ、と私は吹き出してしまった。象、鯱ならまだしも、空想上の生き物を持ちだしたら、何でもありになってしまう。

 でも、得意げに言う彼を見ていると、何だか楽しくなってきて、じゃあ私は、ペガサスとか、なんて言った気がする。



 怪物には、三つの頭。

 右に鯱、真ん中に象。そして、左に龍。


「キリ......」


 私は、配信の画面を、食い入るように見つめている。

 キリは、私を許してくれた。でも、私は許されるべき人間じゃない。


 本当に、なんにも悪くないのは、キリの方だ。

 だから、私の罪を代わりに背負うのは、もうやめて。



 私は、届かないと知りながら、画面に向かって想いを送り続けている。

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