第22話 陰キャと美少女と神の顕現


「取り返しに来たって......」


 俺はポケットをぎゅっと抑える。本来子供一人相手に、力づくで奪われる心配なんてしなくていいはずなのだが、少年にはそうさせる不思議な威圧感があった。


「大丈夫。別に今、無理矢理取ろうなんてつもりはないから。でも、そもそもそっちが悪いんだから、あんまり被害者みたいな顔されると嫌だな」

「悪いって......」


 神を自称する少年は、そこで初めて苛立ちをあらわにした。


「......白無垢フェンリルは、僕がチャレンジャーの皆のために、ボーナスのつもりで造ったモンスターなんだ。強く設定したのだって、他のモンスターに襲われないため、それにちょっとした遊び心のつもりだった。それを勝手に持って行っちゃうなんて、酷いじゃないか」


 そんなことを言われても、俺は困惑するしかない。

 ダンジョンは、自然に生まれたものではないのか? 確かにダンジョンの成り立ちには謎が多いが、だからといって、目の前のこの少年が、本気で創造主のように怒っているのには面食らった。


「おかげで、もうずっと、どのダンジョンにも白無垢が出てきてない。君のせいで、不具合が起きてるんだよ」


 しかも、と彼はまたさらに顔を近づける。ふわりと香の匂いが鼻腔をくすぐった。


「君、白無垢を使って、色んなダンジョン荒らし回ってるでしょ。半分ズルみたいなもんだよ。それだけならまだしも、最強に設定したはずの白無垢の攻撃を弾いちゃう、人造モンスターまで仲間にしちゃってさ。ちょっと、やりすぎ。このままじゃバランス崩壊を起こしちゃう」


 まるでゲームの話をするかのように、現実のモンスターについて語るこの少年に、俺は対応しかねていた。壮大な妄想か、本物の神か。悪戯ではなさそうなことと、彼が桐山の動向を知っていることだけが確かだった。


「......というわけで、白無垢はちゃんと、返してもらいます。ついでにゴレム? だっけ、あれも破壊させてもらっちゃおうかな、なんて。気の毒だけど、こっちもほっとけなくてさ。せっかく楽しい遊び場を用意してあげてるのに、一人のせいで台無しにされちゃったら残念じゃないか」


 当然のことかのように言うが、その内容は支離滅裂だ。

 真面目に反論しても馬鹿馬鹿しい、と思いながらも、思わず声が出る。


「シロとゴレムは、俺の相棒で、友達だ。お前のモノじゃない」


 少年は怪訝な顔で何か言おうとして、諦めたように口を噤み、ちょっと考えて再び開いた。


「......とにかく、僕としてはここでサクッと奪っちゃってもいいんだけれど、それじゃ面白くないじゃない。だから、勝負しようよ。ダンジョンマスターの僕と、世界最強、とか言われてる、烏丸くん。もちろん、人間でもモンスターでも、仲間は好きなだけ連れてきていいから。僕が勝ったら......まぁ、勝つんだけど、そしたら、白無垢は貰っていく」

「勝負?」

「そう、勝負」


 少年は口をわざとらしく動かして、繰り返した。

 それから机にぴょんと飛び乗ると、俺たちをぐるりと見回して、不敵に笑う。


「明後日の朝、高尾山の山頂にダンジョンを作る。そうしたら、今疑ってる君たちも、僕が本物だってわかるでしょ。決戦の舞台はそこだ」

「......何するんだよ」

「僕の作った、本当の意味で最強のモンスターと戦ってもらう。倒すことができたら、僕は姿を消すよ。そんなことはあり得ないけど」


 少年は机から飛び降り、俺たちに背を向けながら言った。


「これは遊びなんだ。君たちが勝負から逃げても、こっちは何にも困らない。でも一応、もう一度だけ言っておくよ。桐山くんは、僕の手中にある」


 彼は扉を開け、何人もの社員に目を丸くされながら、すたすたと歩いて去っていく。残された俺たちは、唖然とするしかなかった。


「......どうする?」


 ぼそっと、ハルカが呟いた。

 俺は回らない頭で考えて、ぼそぼそと答える。


「あいつが、桐山について何か知っているのは間違いない。それに、あいつの言う通り、逃げたって仕方ないだろ」

「......じゃあ、戦うんだ」

「あいつの言う通り、本当に高尾山にダンジョンが現れたなら、やるしかない」


 そんなことが、本当にあるのだろうか。

 神の存在について、夢想したことくらいある。でも、それが人間の形をして、俺の前に現れ、俺から大切な友人を奪おうとしているだなんて、夢の中でさえ考えなかった。


「その時は、私も一緒」

「お付き合いしますよ」


 ハルカと浦橋が、戸惑いながらも覚悟の決まった表情で言ってくれる。

 皆、何か神秘的なものでも見た後のような、ふわふわした気持ちだった。あまりに現実感がない出来事に動揺していたと言ってもいい。



 そんな俺たちの動揺をあざ笑うかのように、約束の日の朝、高尾山にダンジョンは現れた。





「......どこに行くんだ?」

「僕に任せて、ついて来ればいい」


 車は山道を走っていた。少年は運転席で当たり前のようにハンドルを握っているが、アクセルにもブレーキにも足が届いていない。実際には自動運転で走行しているようだけれど、万が一を思うと、桐山は気が気でない。


「もう、気は済んだ?」


 ふいに少年が訊いてきた。彼が合鍵を用意して、真奈に会うよう勧めてきたのだ。全部清算するべきだ、と。

 桐山は、無言で頷いた。もう昔のことは、何も思い出したくなかった。


「何も心配いらない。僕が、誰も君のことを知らないところに連れて行ってあげる。君は、何も悪くない。悪いのは、君以外の人間だ。そうだろ?」


 少年の言葉は甘美に響く。現実離れしたこの少年に誘われて、桐山は頭がぼんやりしたまま車に乗り込んだ。疑うのは疲れる。この少年が天からの遣いでも、地獄からの使者でも、どっちでもよかった。とにかく、一人でこの世にいたくなかった。


「ほら、着いた」


 車がゆっくりと停まり、ドアが開く。山の頂上だろうか、雲がずいぶん近くに見えた。

 桐山は車を降りて、少年の後を追い、目の前のドーム状の建物の中に入る。


 入った瞬間、ふわり、と身体が浮くような感覚がした。

 それから、ぞわりと悪寒がする。


「......え」

「ふう。ここまで連れてくるのは大変だった。長い愚痴も聞かされたし」


 優しかった少年の、態度が急変した。

 心なしか低い声で、桐山を見上げる。その身体が、やけに小さい。


 いや、少年が小さいんじゃない。

 桐山の目線が、どんどん高くなっている。

 意識が薄れる。自分が、自分じゃない何かになっていく。


 違う、と思った。

 自分は消えてしまいたかったのであって、自分でない何かになりたかったのではない。この後、自分だったモノが、誰に何をするのか分からないのが、怖い。

 こんなのは、嫌だ。


 そんな後悔が、桐山の最後の記憶となった。


「......面白くなってきた」


 そうして出来上がった「それ」を見て、創造主は静かに笑った。





「車の通った跡がありますね」


 車から降りながら、浦橋が呟いた。

 本来、高尾山の車道は緊急車両用で、一般人は通行できない。とはいえ警備が厳重な訳でもないので、その気になれば押し通ることはできるだろう。


「神様の癖に、車なんか使うのかよ」

「あの子の言うこと、信じるの?」


 どんなに疑わしくても、こんなものを見せられたら、信じるしかない。

 高尾山の山頂に突如現れた、ドーム状の建造物。石材でできたこれは、ダンジョン、と言われればそう見えるが、これまでに存在している地下に潜るダンジョンとは全く性質を異にしていた。

 おそらく、階層も余計なモンスターもいない。決戦場として、ただそれだけのために造られたダンジョン。


 俺はカプセルから、シロとゴレムを出す。どこまで通用するか分からない。でも、勝たなきゃ、彼らとは二度と会えない。


「......行くしか、ない」


 俺はひとつ息を吐き、ゆっくりと建物に足を踏み入れた。


「やあ。見ろよ、こいつを」


 少年の声だけが聞こえてきた。いや、身体もどこかにはいるのだろうが、俺たちの眼には入らなかった。

 なぜなら、圧倒的な存在感を放つ巨大なモノが、俺たちを見下ろしていたからだ。


 両手は合掌していて、脚は座禅を組んだまま地面から浮いている。

 両の眼は完全に閉じているけれど、射貫くような視線ははっきりと感じる。

 そして、頭は三つ。右に鯱、左に龍。

 真ん中には、地面まで届くほど長い鼻を持つ、象。



「こいつは『ガネーシャ』。もはや、こいつ自身が、神そのものだ」



 これまでのどんなモンスターとも違う、異質で不気味で、けれど神々しさを感じる見た目。

 そして、気を抜けば倒れこんでしまいそうなほどの、威圧感。


 この先一生、こんな存在に出会うことなどないだろう。俺は、そう確信した。

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