とぶ

井上巧

とぶ


 何であんなことしちゃったのだろう。

 小学生の時、幼馴染で親友だったあの子と喧嘩をした。

 きっかけはほんの些細なことだった。

 放課後に、私がお気に入りの首飾りを誤って落としてしまったとき、あの子がたまたまそこにいて踏んでしまった。

 私は、自分が悪いのにひどく怒ってしまって、しばらく口を利かなかった。

 

 あの子は窓際の席にいる。基本的にはいつも一人で、休み時間でも机にうずくまって寝ていることが多い。

 私は、あの時の仕返しをしようと、一つ嫌がらせをしようと思った。

 あの子の机の上に、教室においてあった白い花を生けた花瓶を置いてやった。

 机に花なんておいてあれば、あの子は机で寝れないだろうと思った。

 すべての始まりは、きっと、ここだったのだと思う。


 今日の夕日はきれいだ。私が怒ってしまった日のように。

 窓の外を見る。明るい夕日と、暗い地面。

 もう、忘れたい。でも、焼き付いてしまった記憶。

 ごめんなさい。ごめんなさい。

 

 とぶ


 即席の花壇に、赤い花を。




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 いつもそこにいて、いつもそこにいない。

 あいつは幽霊みたいな奴だった。

 一人だけ仲良くしている奴がいたみたいだけど、最近は話しているのを見ないな。

 アタシは何でかわからないけど、あいつが嫌いだった。

 高嶺の花とでもいうかのような静かな雰囲気がうざかった。


 ある時、あいつの机の上に白い花の花瓶が生けてある花瓶が置かれていた。 

 教室にもともとある花瓶だから、誰かが置いたのだろう。

 アタシはそれを見て、面白いと思った。

 「やっぱり、死んでたんだ!」アタシは口に出して言ってしまった。

 あいつは何も言わず、教室から出て言った。

 

 あいつは、そこから一度も学校に来なかった。

 アタシと花瓶を置いた奴は、ひどい奴だと言われて、誰も二度と口を聞いてもらえなくなった。

 あんなこと言わなければよかった。思い出したくない。だから。

 初めてつけるネックレスは太かった。


 とぶ 


 麻縄の首飾に、黒い宝石を。





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 うちの子は、昔から不器用な子で育てるのが大変だった。

 何をやらせてもうまくいかない。本当にかわいくない子。

 愛情なんて微塵も感じない。もはや憎しみすら感じる。

 勉強も、運動も、本当に何もできない。

 そんなんだから、お父さんに殴られるのよ。


 うちの子、いじめられたのか、急に学校へ行かなくなった。

 相も変わらず無表情で、部屋の隅っこに座っている。

 今日は早くお父さんが帰ってきた。昼前なのになんで家にいるんだ、と鬼の剣幕で怒っている。

 うちの子、最初はされるがままだったけれど、急に泣き出したかと思えば、玄関から出て言ってしまった。

 まったく、どうしようもない子。どうせ、おなかがすいてすぐに帰ってくるでしょ。


 うちの子がいなくなってもう2か月。

 お父さんがうちの子はどこに行ったんだって、怒り散らして私に当たってくる。

 あんな子。忘れてしまいたい。あの子さえいなければ。

 最近クスリの効きが悪いわ。今日は多めに飲もうかしら。


 とぶ


 抗鬱の錠菓に、濁白の逃避を。



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 気が付いたら、ここにいた。

 雨の中、私は走っていたようだ。

 体は傷だらけでも、とにかく走った。

 もう、私は私が嫌いだ。何やってもうまくいかないし、もう嫌だ。

 花瓶を置かれた日からでも、お化けになった日からでも、親に殴られてからでもない。


 忘れたい。忘れて、忘れて、忘れて、忘れて。

 いっそ死んでしまえたらなんて思う。でも、死ぬ勇気すらない。

 私はただ、雨の中を走った。

 疲れてきたころ、私の体はふらっと、右によろけた。

 体が浮く。其処はちょうど階段だったようだ。そうか、私はここで死ぬんだ。


 とぶ

 

 
















 気が付いたら、私は頭から血を流して倒れていた。

 「君、大丈夫?」と、傘を持った女性が話しかけてきた。


 「君、名前は?」


 ……名前は…。思い出せない。

 名前だけではない。何もかも、私が何者で私がなぜここにいるのかも。

 

 「わからない、思い出せないの」

 体を見るとあざだらけで、生傷がひどい。

 

 「あなた、ひどい傷。とりあえず、私の家に来なよ」

 女性は私の手を取る。そして私たちは二人で歩き出した。

 






 今でも、あの日のことを思い出す。

 お姉さんと出会って、仲良く暮らして、ご飯を食べて、お風呂に入って。

 ただ、私の心の奥に今でもある、何重にもロックされた鉄の扉。

 それは、過去へと繋がる記憶の扉。私が何者なのかを知ることができる扉。

 でも、近づくたびに中から聞こえてくる。ドアの向かいで、咽び泣く声が。


 私は毎日学校に行く。友達と仲良く話しながら。

 勉強や運動は苦手だけど、お姉さんと一緒なら、なんだってできる気がする。


 帰り道、大きい水たまりがあった。日中雨が降っていたからだろう。

 「これ、もってて!」友達に荷物を預けて、勢いをつける。


 とぶ


 忘却の鉄扉に晴天の青空を。

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とぶ 井上巧 @TakInoue089

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