第201話 悲喜こもごも

緋猩ひしょうが死んだ、だと?」


 玉座のような椅子に座りいつも酒と不敵な笑みを崩さない槐が、この時ばかりはその眼を見開き、黒萩こはぎの報告を聞き入っている。黒萩こはぎは逆に淡々と、いつもと同じ調子で感情を込めずに話を続けた。


「はい、間違いありません。高度特殊先進技術研究所への襲撃に出かけ、殺害されました。全てではありませんが、偵察用式神からの映像付きです。…こちらを」


 黒萩こはぎから手渡された資料には、緋猩が敷地内へ襲撃に入る瞬間から、新たな腕を生みだし、研究棟から実験棟に移動する瞬間などが写し出されている。ただし研究棟の内部で何が起こっているのかなどは写されておらず、また、倒された時の様子もない、酷く断片的な画像だ。


「これは一体どういうことだ?何があった?」


「そちらの映像を最後に緋猩は霊石を取り込んで暴走したようです。その影響で偵察用の式神がおかしくなり、以降は撮影できませんでした。ただし、内部からの状況は報告が上がっています。恐らくですが、殺害したのは秋月京介という男かと」


「秋月……どこかで聞いた名だな」


「以前、私が狛達を連れて出向いた亜那都姫アナトヒメ騒動の時に遭遇した、フリーの退魔士ですね」


「ああ、あの時の……何故そいつがここに?」


 黒萩こはぎの説明で思い出したのか、槐は椅子に深く座り、額に手を当てて何かを考え込んでいる。傍らに侍らせている2体の女妖怪達は槐の様子を心配してか、じっと静かに槐を見守っていた。


「緋猩本人と連絡員からの報告を聞く限り、当初戦っていたのは犬を連れ、着物を着崩した若い女と、銀髪のロングヘアをまとめたスーツ姿の女だったようです。片方は狛でしょう、あの子は自衛隊員と繋がりがありましたから、それ経由で依頼を受けたものと思われます。問題はもう一人の、銀髪の女の方です。この女についても調べましたが、不自然なほど情報が出てきません。先技研の人間でない事は間違いないようなのですが……」


「先技研の人間ではない?」


「はい。いくら調べても、職員や研究者にそれらしい人物はヒットしませんでした。警察などよりも速く現れ、狛と一緒に行動していた所からすると、この女は自衛隊…防衛省の関係者かと。つまり、この女が狛達を呼び寄せ、あの秋月という男も同じように呼んだのだと思われます」


「つまり、そいつが先技研に情報を渡してあの新型装備を作らせた張本人だというわけか」


「恐らくは。それにこの女も何らかの霊術の使い手でしょう。緋猩の襲撃から約3時間、不審な空白の時間がありましたので」


 そこまで報告を聞いて、槐は深く溜め息を吐いた。同時に背もたれに体を預け、天井を見上げるように顔を上げている。槐の率いる人と妖怪の混成軍団にとって、緋猩とその配下である狒々ヒヒ猩々しょうじょう達の猿妖部隊は、数を用意できる貴重な戦力であった。絶対的な数で言えば、レディの操る死体達の方が上だが、個々の戦力は猿妖部隊に軍配が上がる。万が一にも、緋猩が負ける事などないと高を括っていた自分もそうだが、それ以上に、強力な存在が野に伏している方が問題だ。戦力の減少と新たな脅威の登場…槐にとっては二重の意味で厄介な事態であると言えよう。


 もはや慰めにもならない内容ではあるが、そのまま黒萩こはぎは報告を続ける。決して感情的にならず、事実だけを述べる彼女はまるで機械のような冷たさすら感じる空気を纏っている。


「ですが、収穫はありました。今回の襲撃により、先技研は人的、建物などを含めた物的にも非常に大きなダメージを受けています。あの様子であればかなりの時間、新装備の研究や開発を遅らせられるでしょう。場合によっては数年…いえ、今後は開発を引き受けず計画そのものが頓挫する可能性も十分ありえます」


「それに加えて、銀髪の女の情報か…緋猩は最低限、必要な仕事をしてくれたというわけだ。とても奴の命とは釣り合わん結果だがな」


 槐はそのまま黙って、静かに目を閉じて天を仰ぎ続けた。或いは自分に対しての感情が、もはや崇拝の域にまで達していた緋猩への黙祷だったのかもしれない。そうしてしばらくの時が経った後、ゆっくりと目を開けた。


「今後の活動に変更はない、このまま計画を進めよう。そしてその秋月という男と銀髪の女、その二人は見つけ次第、最優先で始末するよう全員に通達を出せ」


「…かしこまりました、槐様」


 深く頭を下げる黒萩こはぎの表情は誰にも見えていない。ほんの一瞬その瞳に動揺の色が走った事にも、誰も気付くものはいなかった。





「えへ…へへへ…でへ、ふふふ…!」


 ベッドの上に横たわって、奇怪な声を発して笑っているのは狛である。犬の写真が使われた卓上カレンダーをその手に持って、週末の日曜に赤い丸がついている。よほどその日に楽しみなことがあるのか、頬を赤く染め、眉は下がって、表情は緩みっぱなしだ。

 あまりの様子に、隣で香箱座りをしている猫の姿をした猫田はドン引きである。いつものように、アスラは我関せずと言った顔で猫田にくっ付いて眠っていた。


「狛、いい加減にしろよ。さっきからかれこれ2時間以上そうしてるじゃねーか。…恐ぇんだよ、今のお前」


「え~?だってぇ~」


 猫田の小言にも、ニヤニヤと笑って全く耳を貸そうとしない。完全にいつもの狛ではなくなっているようだ。猫田は大きく溜め息を吐き、嘆かわしいと言わんばかりに目を伏せて下を向いている。


「戦いのときはしゃんとしてるってのに、どうしてこんな……誰に似たんだろうなぁコイツ…」


 もはや呆れてものも言えない猫田の呟きも、狛には届いていないようだ。ゴロゴロとベッドの上を転がって、しばらくすると起き上がり徐にクローゼットから服を物色し始めた。とはいえ、元々持っていた服は実家と共に焼けてしまったので、今あるのは桔梗の家に来てから急ごしらえで揃えたものばかりである。そう数もパターンも多くないというのにあれこれ姿見の前で合わせているのは、その悩んでいる時間も楽しいと言う事なのだろう。

 波乱の年明けからこっち、狛にはあまり良い事も楽しみも少なかった事を知っているからか、猫田は狛の楽しそうな姿を見るとそれ以上何も言えなくなっていた。



 先技研で、緋猩を撃破したあの日。緋猩の全身から立ち上る火の手から猫田が狛を救い出したのは、周囲にいた樹木子じゅぼっこを始めとした妖怪達が、京介達の手で殲滅された直後であった。

 激戦を無事生き残った事に安堵しつつ、一頻りの話も終えて皆が別れようとしたその時、意を決したように狛が口を開いた。まるで何か重大な覚悟を決めたような表情に猫田も京介も面食らっている。


「あ、あのっ!京介さん!れ、れれれ…連絡先、交換しませんかっっ!」


「えっ?」


「おい狛、お前……」


「…しっ!猫田君、それは野暮だぞ」


 猫田は幻場まほろばにがっしりと肩を掴まれ、恐ろしい笑顔でプレッシャーをかけられて思わず口をつぐんだ。幻場という女性は、元々過去にささえ隊で同僚だった真葛幻さねかずらまほろという男性のはずなのだが、訳あって転生し、今の幻場累まほろばかさねという女性に生まれ変わったのだそうだ。猫田の記憶では男性なのに、今はれっきとした女性になっているだけあって、どうもギャップが凄い。猫田の知るまほろという人物は、非常に人を食った性格をしていて、まともとは言えない人物だったので余計である。


「えーっと、連絡先って、俺の?」


「はいっ!…だ、ダメ…ですか?」

 

「ああ、いや、ダメってことはないんだけど…」


 突然そう言われて、京介は呆気に取られているようだ。しかし、狛は一世一代の勇気を振り絞っての提案である。そう簡単には引き下がらないであろう空気と、人生経験の無さからくる気弱さが同居した、何とも言えない雰囲気を醸し出していた。あんなに弱々しくダメかと聞かれては、京介も鬼ではないので、教えないとも言い辛い。ただ、この男、猫田曰く異性絡みの事となると、一気に唐変木へと変わる男である。その真価はこの後すぐに発揮された。


「えーっと、じゃあ、番号でいいかな?その046の……」


「えっ!えっ!?ちょっと待ってください!家電ですか?!」


「いえでん…?ああ、うん。固定電話だね」


「あの…出来たらスマホの連絡先とか、WINEとかでも…」


「あー……ごめん。申し訳ないんだが、俺は携帯電話を持っていないんだ」


「へ?」


 現代っ子の狛からすれば、今時そんな人がいるの?と言いたくなる答えである。しかし、それは事実だ。何を隠そうこの秋月京介という男、女性に弱いだけでなくとんでもない機械音痴で、スマホはおろか携帯電話ガラケーすら持ち合わせていないのだ。しかも、その固定電話も自宅兼仕事用に使っている電話番号である。ロマンティックさの欠片もない男であった。


「あー、悪いが狛君。京介の言っている事は事実だよ、そのお陰で今回もずいぶん連絡を取るのが遅れてしまった…この男、どうにかした方がいいと思うんだがね」


 幻場はここぞとばかりに、京介にジト目を向けている。当の京介も申し訳ないと思っているのか、下を向いて恐縮しているようだ。猫田も同じく連絡手段を持っていないが、彼の場合は狛にくっついているので問題はない。仕事で日本中を飛び回っているのに、連絡手段を持ち合わせていない京介がおかしいのである。


 一方、それを聞いた狛は脳をフル回転させていた。ここで引けば、次は京介にいつ会えるか解ったものではない。これを最後のチャンスと考えるべきだ。そう考えて、なんとか繋がりを持ちたいと考えている。狼は狙った獲物を逃しはしない、狛の中の人狼が、京介を虎視眈々と狙っているようだった。


「じ、じゃあ!今度、私とスマホを契約しに行きませんかっ!?」


「…え?」


「狛、それは」


「…猫田君?」

 

「す、すまねぇ……」


 こうして、狛は今週末に京介とのデートの約束を取り付ける事に成功したのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る