第200話 緋猩の最期

「オオオオオオオオオオオッ!!」


 ビリビリとその圧で身体が震える。巨大な怪物と化した緋猩の雄叫びが先技研の敷地を超え、周囲の山林に響き渡った。バサバサと一斉に鳥達が逃げて行き、野を行く獣達も、我先に逃げていく足音が聞こえるようだ。

 先技研が山中に作られた施設でなかったら、今頃近隣の住民は大騒ぎになっていることだろう。とはいえ、もし街から山を眺めている人間がいたら、気付かれてもおかしくないような大きさなのだが。


 猫田が巨大な猫の姿になって、狛達を全員背中に乗せて建物の外に出てみると、緋猩の巨体が想像以上に大きい事に気付いた。8階建てのビルである研究棟を優に超えるサイズである。おそらく30メートルを超える巨体である。


「な、なんだありゃ……」


「ハハッ…こんな化け物になるとはね。予想外にもほどがあるな」


 呆然とする猫田の隣で、幻場まほろばが力無く笑う。その身体は、以前狛達が戦った、がしゃどくろよりも遥かに大きい。もっとも、狛が無間地獄で出会った緑鬼に比べれば、まだまだ小さいサイズではある。あくまで一般的な妖怪の大きさからすると、途方もない巨体ということだ。

 肉体の変異に追い付いていないのか、黒い毛皮に包まれていた身体のほとんどは、あの新しい腕のように皮膚が割れて筋肉が剥き出しになった状態になっている。しかも、相当な熱を帯びているようで、あちこちから不気味な湯気が立ち昇っていた。

 

「それにしても、やはり霊石を取り込んだのか?霊石と妖力の暴走で巨大化したとしたら、その内自壊しそうだが…」


「多分な。とはいえ、それまで放っておくっつーのも……」


 猫田と京介の会話を聞きながら、狛はどこかに違和感を覚えていた。胸の内は京介の隣に立っている事でドキドキしっぱなしでも、頭の中はかなり冷静に戻りつつあるようだ。


「そう、なのかな?なんだろう、この感じ……なんだかすごく嫌な感じがするけど」


 そんな狛の予感はすぐに現実のものとなった。雄たけびを上げたまま、動きを止めていた緋猩が突然動き出し、その口から闇よりも濃く黒い何かを吐き出したのである。


「なに…っ!?」


 吐き出されたそれは先技研の敷地外にある森に直撃し、異様な存在を生みだした。森の木々達が妖気を放ち、妖怪へと転じたのだ。


「バカな!樹木子じゅぼっこだと!?ただの樹が、どうして…」


 樹木子じゅぼっこ…戦場跡やその近くに生えていた木々が、死者の血と怨みを吸い続けた事で妖怪と化した樹木の妖怪である。その由来からして、普通の木々が樹木子に変異することは基本的にあり得ない。この国は昔から戦乱の世が続いていたので、その昔はそれなりにいた妖怪であるが現在ではほとんど見かける事のない妖怪でもある。

 600年を生きる猫田ですら、その姿を見かけたのは300年以上前の事だ。おおよそ、戦国期から江戸時代に入る前辺りで姿を消した妖怪と言われている。猫田が驚くのも無理はないだろう。


 それを見た狛の脳裏に閃くものがあった。ちょうど傍に京介がいた事も、あの時を強く想起させるきっかけだったに違いない。


「今のって亜那都姫アナトヒメの…?そうだよ、人を妖怪に変えちゃうあの力だ…!」


「ああ、あれか。だが、その亜那都姫アナトヒメはもういねーだろ?」

 

亜那都姫アナトヒメか……そういえば、黒萩こはぎさんはどうしたんだ?一緒じゃないのか?確か、去り際に彼女はあの光を採取して帰ったはずだが…」


 京介の言葉に、狛と猫田が強く反応する。それは初めて聞く事実であった。狛は勢い余って身を乗り出し京介に顔を近づけてしまい、再び顔を真っ赤に染めてしまった。


「そうなの!?…あ!?ち、近すぎ…っ!あわわ」


「あ、ああ。…それをどうするのか聞いたら、持ち帰って自分達で研究するからと話していたよ。それより狛ちゃん、大丈夫かい?まだ回復魔法ヒールが足りなかったかな?」


「だっ、だだだ大丈夫!…です。けど、そんな話、初めて……」


「狛、何やってんだ…?まぁ、簡単に言うとな、あの黒萩こはぎってのは、自分のボスと一緒に犬神家を裏切って出てっちまったんだよ。今、色んなトコで妖怪共が暴れてんだろ?あれに一枚噛んでるのがアイツらだ」


「なんだって?そうか、それで……」


 京介も普段は退魔士として活動しているので、昨今の妖怪達が暴れる事態には何度か接触している。彼の場合、全国を飛び回って仕事をしている為に、今回の幻場まほろばの呼びだしに遅れたのである。そしてその幻場も、何かを察したように大きく頷いていた。


「なるほど、人間を妖怪に変える力か。そんなものがあるのなら、確かに普通の木々が樹木子に変わるのも頷けるな。しかし、ならば尚更、原因はさておき奴を一刻も早くなんとかしなくては」


「だな」


「なら、具体的にどうやって倒す?あの巨体だ、俺の刀では流石に厳しいか…」


 そう言って、京介は自分の刀を視線を落とす。確かに、今の緋猩は30メートル近い化け物だ。刀一本で倒すのは難しそうに思える。ただ、幸いなことに巨大化した緋猩はその動きが非常に緩慢であるようだ。猿妖特有の素早さは完全に消え失せていて、先程、黒い何かを吐き出した後は再び停止している。付け入る隙は十分にあるだろう。

 だが、悠長に考えている暇はなかった。突如として、狛達の周囲にたくさんの妖しい気配が満ちていく…ざわざわと木々が風になびく音に混じって何かを引きずるような音が近づいてきている。


「おいおい…マジかよ」


 いち早くそれに気付いたアスラが唸り、続けて夜目の利く猫田が辺りを見回して呟いた。雲に隠れていた月が顔を出すと、それに伴って月明かりが周囲に満ちる。照らし出されたそこには、先程の樹木子に混じって殺されたはずの職員達や死んだ狒々ヒヒ達の死体がじわじわと近づいてくる姿があった。


「ゾンビ、か。…死体すら復活させるなんて、桁が違うな」


「恐らく奴が取り込んだ霊石の力だろう。さっき吐き出したモノだけでこれとは……」


「こいつぁ、まごまごしてる暇はねぇな…なんだ?京介、何笑ってんだ?」


 気づけば危機的状況に追い込まれたというのに、京介は一人笑みを浮かべていた。猫田が怪訝そうに問い質すと、京介は苦笑しながら答えた。


「いや、もそうだったが、俺達はいつもこうだなと思ってね。思い出さないか?大蛇との戦いを。…あの時もこんな風に追い詰められて、全員死に物狂いで暴れたじゃないか」


 この間、というのは亜那都姫アナトヒメとの戦いの事だ。実理と同化し、巨大な蛇のようになった亜那都姫アナトヒメを倒した時も、周囲を怪物に囲まれていた。そして思い返してみれば、大蛇との最後の決戦も、今のように窮地に追い込まれて大立ち回りを演じたのだ。因果は巡るものだが、こうも続けて同じような目に遭うというのは、よほど重い宿命であるらしい。

 京介の言葉でそれを思い出した猫田と幻場は、二人共同じように苦笑いで返している。


「へっ…ちげぇねーや。そんじゃ一丁、ささえ隊の復活と行くか、こんな目に遭うのは今夜限りにして欲しいがよ!」

 

「では、奴本体は猫田君と狛君に任せよう。私と京介が周囲の亡者達を何とかする。それとアスラといったか、その犬の力も借りたい所だが、いいかな?」


 幻場の指示に、アスラを除いた全員が頷く。こうしている間にも、死体達はゆっくりだが向かってきている。緋猩が本格的に動き出す前に決着をつけねばならない。すぐに狛は猫田の背中に飛び乗って、アスラに声をかけた。


「アスラ、京介さん達の指示に従って!…気を付けてね」


「ウォゥ!」

 

 アスラは小さく吠えると、踵を返して京介達の隣に立った。そのまま、京介達は亡者達を撃退すべく行動を開始する。それを見届け、猫田と狛は勢いよく空へ飛び出した。すると、その動きに気付いたのか、緋猩は猫田を追うように両腕を振り回す。

 

「ちっ!動きだしやがったか。時間もねぇしさっさと片付けちまいたいトコだが、どーする?」


「……ねぇ、猫田さん。大蛇を倒した時って、どうやったの?」


「ああ?そりゃあん時ぁ確か酒と炎で…そうか、炎か」


 猫田は何か思いついたように、加速して緋猩の腕を避けつつ頭上へ飛び上がる。月を背にした二人の影が緋猩の顔にかかった時、猫田は七つの尾から魂炎玉の炎を放ち、緋猩の身体に火を点けた。


「ギャアアアアアアッ!」


 苦悶の叫びをあげて、バタバタと身動ぎをする緋猩。毛皮に包まれていた状態とは違い、今の緋猩は皮膚すらない剥き出しの身体である。当然、体表を覆う脂を伝って瞬く間に炎は燃え広がっていった。


「良く燃えるじゃねーかよ!狛、今だ!」


「はあああああああっ!!」


 猫田の合図を受けた狛は、九十九つづらから傘を受け取り、残った霊力を全て注ぎ込んで槍状の大きな霊波の刃を発生させた。そして、猫田の背から勢いをつけて飛び降り、閃光の如き速さで一直線に緋猩の眉間を刺し貫く。さすがの緋猩も脳に到達するほどの刃を受ければ一溜りもない。その巨体はゆっくりと崩れ落ち、狛達は遂に、猿候・緋猩を討ち取る事に成功したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る