第155話 野望の鬨

 ――犬神家崩壊から一ヵ月後、狛達の通う、中津洲神子学園にて。


「はいはい、今日も楽しい授業を始めんでー。っとその前に、皆に残念なお知らせだ。レイディアントちゃんが家庭の都合で急遽、転校ちゅうことになった。お別れの挨拶も出来ひんのは残念やったけど皆しょぼくれへんようにな」


 朝、教室に入ってきた大寅が開口一番にそう言うと、クラス内にどよめきと失望の声が溢れた。当初、レディはクラスメイト達と一線を引いて接していたが、狛と友人関係を築くようになってから、他のクラスメイト達とも少しずつ交流を図るようになっていたからだ。レディ自身は気付いていなかっただろうが、既にこのクラスにとって、彼女は無くてはならない一員になっていたのである。


「レディち、ずっと休んでたもんね。なんかあったのかな?それにコマチも……大丈夫かな」


「…ああ、この所連絡もつかないし、心配だな」


 こっそり話しているのはメイリーと神奈である。二人は犬神家で起きた内紛の事など知らないので、狛は自宅の爆発で精神的なショックを受け、休んでいるだけだと思っているようだ。


 正月に起きた犬神家屋敷の爆発事故は、市内でも大きな話題であった。表向きは落雷と、それによってガス管などの設備に引火して起こった爆発事故ということになっている。実際は槐が従えていた妖怪、雷獣のあずまによる広範囲への特大稲妻による破壊だったのだが、さすがに普通の人々は妖怪のことなど理解できない為、真実は上手く隠されているようである。


 レディの転校というウソも、槐の作戦が次のステップへ進んだことによるものだ。海外からレディを招聘し、自分達の戦力に加えていたのも槐の組織だった。槐は犬神家への反抗を予てから計画しており、その準備の為に、かなりの時間をかけて独自に扱える部下達を集めていた。腹心であり、婚約者の犬神黒萩いぬがみこはぎ、猫田同様、人に変化する能力を持った雷獣のあずま、死体を操る死霊術者で殺し屋のレディ…その他にも複数の部下を用意し、さらに古の呪術を用いて自分専用の狗神を複数創り上げた。

 …彼の目的が犬神家への反抗・蜂起だけなのか、その全貌は黒萩こはぎのみが知っている。




 所変わって、中津洲市内某所。どこかの地下にあるこの場所は、槐が反抗の拠点として作り上げた施設である。


 広間の最奥に、まるで玉座のように設えられた椅子に座って、槐はワイングラスを片手に酒を転がしている。酷く上機嫌なその顔は、計画が順調であることを如実に物語っているようだ。周囲には黒萩こはぎの他に、二名の妖怪と思しき女性を侍らせており、また少し離れた場所に整列して、犬神家襲撃の際に現れた男女が立っている。それは組織の長というよりも王の威容を誇っているようだった。

 

 そんな中、しばらく酒を眺めていた槐が、小さく呟いた。


「ふん、やはり狗神が流れて来んな」


「何か?」


「……本家の狗神が流れてこないと言ったのさ。黒萩こはぎ、お前の方にもだろう?…どうやら、拍か狛、もしくは両方が生きているようだな。或いは、あの場で生き残ったものがいたか?まぁ、いい。もう狗神に縛られることはない、今となっては、もはや自我のある狗神など邪魔なだけだ。仮にあいつらの誰かが生き延びていようと、大した事はできまい。あれから一ヵ月様子を見た。そろそろ、次の段階に進む頃合いだろう」


 そう言うと、槐はグラスの中身を一気に呷った。飲み干した酒は犬神家で造っていたものとは違って、高級品だが、ただの酒だ。犬神家で造られる酒はベースがお神酒なので邪気を払う効果が強い、その意味では妖怪が多い槐の作った組織にはあまりよくないのかもしれない。猫田のように、ほとんど邪気のない妖怪は特別なのだ。

 

「……次の段階って、何なの?私いい加減、待つの飽きたんだけれど」


 フーッと、薬タバコの煙を吐きながらレディが口を開く。結局、学校を辞める事になっただけでなく、あの襲撃からこの間、ずっとこの地下施設で待機を命じられてばかりだ。狛と戦うわけでもなく、その死体を手に入れることさえ出来なかったフラストレーションが、レディの中に溜まりきっている。退屈過ぎてどうしようもないという所だろう。

 そんなレディに、同じく並んで立っていた男の一人が睨みを利かせて、ドスの利いた声を荒げた。


「おい、レディとやら。槐様になんという口の利き方をするのだ。蓮っ葉な小娘が、調子に乗るんじゃないぞ!」


「Ah?だったらどうだっていうの?言っておくけど、私は正式にボスの部下になったわけじゃないわ。雇われの協力者という形でここにいるだけ…利害関係が無ければ、お友達でもsubordinates部下でもないのよ?勘違いしないで欲しいわね」


「なんだとっ!?貴様、まさか裏切るつもりではあるまいな?」


「はっ、バカ言わないで。裏切る必要なんてないでしょう?businesslikeなお付き合いって意識もないなんて、組織のメンバーとしてどうなの?」


「ぬぬぬぅ…言わせておけば!」


 野卑た男は怒りに任せて、見る間に全身を変化させた。体格は大きくなって服が破れ、全身をくまなく黒く短い毛で覆われていく。顔つきも変わって鋭い牙が見え始めた時、槐の膝元にもたれ掛かっていた二人の女妖怪が、金色の目を血走らせて警告するように叫んだ。


「シャアアアッ!!」


 それを聞いた途端、男はビクっと身体を震わせて、静々と元の人間の姿に戻った。レディもバツが悪そうに下を向いている。それを見ていた槐がニヤニヤと笑いながら、女妖怪の頭を撫でてやると、女妖怪達は気持ち良さそうに目を細め、その手に頬擦りをして甘えていた。


「フフッ、二人共落ち着け。そろそろお前達にも話しておこうと思っていた所だ、よく聞くがいい。我々はこれより、この国を獲りに動く事とする。お前達には我慢を強いていたが、もう雌伏の時は終わりだ。必要な動乱を起こし、犬神家おれたちが立つのだ!」


「おお!遂に!」


 先程の男がいち早く歓声を上げると、他の男女と共に、どこからともなく無数の雄叫びに似た声が広間に響いた。姿を隠していた手勢の妖怪達が叫んでいるらしい。それはこの世のものとは思えない、恐るべき歓喜の猛りである。


「この国を獲るって、どういう事?一体、何をしでかそうというの?」


 狂乱の中、レディは少し呆れたように、一人冷静に疑問を投げ掛けた。まさか、そこら中の人間を手当たり次第に殺すつもりだろうか?いくら殺しに慣れていると言っても、そこら辺にいる人間を虐殺するような趣味は、レディにはない。それが仕事というならば吝かではないが、持ち帰る意味もないようなつまらない殺しをすることに興味が持てなくなっている事に、彼女自身気付いていないようだ。


 そんなレディに向かって、槐は笑みを浮かべつつ、その問いかけに答えた。槐が口を開いた途端、歓喜の渦に満ちていた空間は静寂に包まれている。

 

「ククッ、安心しろ、レディ。何も無闇矢鱈むやみやたらに人を殺して制圧しようというのではない。俺の目的は一つ、この国を…日本を、大呪術国家として生まれ変わらせることだ」


「呪術国家…?なによ、それ」


「世界広しと言えど、未だ妖怪や悪魔の存在、そして呪術は単なる迷信かとされ、それを認めている国はほぼ無い。あるとすれば、精々ヴァチカンの連中か、カメリア王国くらいのものだ。だが、それでは新たな時代は訪れない。科学技術一辺倒の社会を変え、科学と呪術の双方を極めた新しい国家を作り、その最先端を我々が抑える。それこそが呪術国家のあるべき姿であり、その中心に犬神家が立つのだ。その為には……」


 槐はその場に立ち、両手を掲げた。自分に付き従う妖怪達を鼓舞するように、高らかに大きな声で宣言する。


「まずはこの国に動乱を起こす!お前達の力を人間達に思い知らせてやるのだ!そして、人と妖怪が完全に一つとなる呪術国家を、我々が築く!」


 オオオオオオ!という山津波のような絶叫が広間を包みこんだ。それは文字通り、大地を揺るがすほどの叫びであった。

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