第153話 親子対決

「な、なにを、バカなことを…っ!?」


 さいの呟きを聞き、槐はニヤリと笑ってみせた。その笑みは、かつてのような意地の悪さを感じさせるものではなく、邪悪さのみを押し固めた不遜ささえ感じられる笑いであった。


「バカなこと?いつまでも古い掟と狗神に縛られ、まともに未来へ歩もうとしない老人の言う事か?俺は犬神家を、過去の罪とつまらん縛りから解放しようとしているだけだ」


「どういうことだ?槐、お前は一体…」


「ふん。拍、お前は当主に相応しくないと言っているのさ。狗神に選ばれただけのお前がいつまでも上に立つのは我慢ならない。当主がお前ではなく俺ならば、カメリア国王を狙ったテロが、あれほどの騒ぎになる前に済ませられた。濁悪の棺に囚われた少年とて、俺が初めから棺探しに関わっていれば犠牲にすることもなかったろう。それもこれも全て、お前が当主としての器ではないからだ。そもそも俺が犬神家の当主であれば、木っ端妖怪共が本家へ襲撃してくることなど絶対に許しはしない!」

 

 槐の物言いは到底納得のいくものではなかった。ギンザ率いるカメリア国王を狙ったテロについては、他ならぬ槐達、調査部自身が想定外だったと認めていたはずだ。濁悪の棺に関しても、封印の緩みと亜霊という少年がそれに触れるタイミングは、例え槐が当主として対応していても、介入が間に合ったとは思えない。

 結局の所、それらは全て言い掛かりであり、槐は理由などどうでもいいのだろう。彼の根底にあるものはもっと別の、そのものに不満を持っているような、そんな印象を受けた。


「へっ!やっぱりテメーは腹に一物抱え込んでやがったか。初めて会った時から胡散臭ぇやつだと思ってたぜ。…それにしてもテメー、何の臭いだ?酷くクセェぞ。とんでもない…!」


 猫田が縁側に立って睨みを利かせるも、槐はそれを受け流してみせた。


「猫田か、中々。だが、怨みの臭いとはずいぶんな物言いじゃないか。お前の大好きな犬神宗吾とて、同じ臭いがしたはずだぞ?」


「何…?」


 そう言うと、槐の足元から得体の知れない何かが滲み出し、やがてそれは四つ足の動物のような形へと変化していった。その姿を見た瞬間、全員が息を吞み、空気が変わった。それは犬神家の者達にとって、絶対に許されぬ禁忌の存在である。


「い、狗神…?」


「バカな!?槐、何故お前が……お前、まさか」


「そうだ。掟、掟とうるさい老人共に俺を認めさせてやろうと思ってな。どうだ?…お前達が後生大事に守ってきた古い掟に則ってやったぞ。ハハハ!」


 そこに現れたのは、10匹の怪物であった。犬のような形をしてはいるが、それは全く別物だ。歪な形の頭部には口と鼻だけがあり、耳と目はどこにもない。アンバランスに伸びた牙と鋭い爪だけを持ち血の混じった涎を垂らしている、まさに異形の怪物だ。


(そんな…あれがイツ達と同じだなんておかしいよ。まるで似ても似つかないじゃない!?)


 その異様な姿の怪物を目の当たりにして、狛は心の中でそう強く思った。生まれた時からずっと一緒に過ごしてきたイツと、こんな化け物が同じだと思いたくはない。だが、イツと化け物との間で何よりも違うのは、その見た目ではなく、心の在り様である。イツは完全に独立した一匹の犬としての心と感情を持っているが、今槐が従えている怪物はそれが一切感じられない。虚ろな穴の中に、生者への憎悪と怨みをぎっちりと敷き詰めたような、恐ろしい暗黒しか感じられないのだ。猫田の言う怨みの臭いとはそれのことだと、狛は感じていた。


 そして、それを見た途端、全員の目の色が変わった。狗神を新しく作るということは、犬を殺すことである。決して破ってはならない禁忌を犯した槐に対し、大人達から子どもに至るまで、誰もが怒りに震えていた。


「ククッ!その目、どうやら良い感じにきたようだな。だが、まだまだだ」


 槐が左手を上げ、パチン!と指を鳴らすと、今度は背後の何もない空間から突然数人の男女が現れた。一目で人間ではないと解る者や、時代がかった服装の者など、それは様々だ。その中には黒萩こはぎと、狛のよく知るあの少女の姿があった。


「レディちゃんっ!?どうして……?」


「狛……」


 狛の声が聞こえたからか、レディは一瞬悲しそうで、同時にどこか高揚しているような、複雑な表情をしてみせた。しかし、手製の薬タバコを一吸いして落ち着いたのか、少し顔を背けながらいつものクールな顔つきに戻ってしまった。狛は動揺しつつ、レディに視線を投げ続けているが、彼女はもう狛を見ようとはしない。


「こ、こいつらは……」


「ククク、お前達にも解るだろう?彼らは俺が選りすぐって集めた実力者達ばかり…これが、新しい犬神家の一族だ!」


 そう高らかに宣言する槐に向かって、屋根の上から何かが飛び出していった。槐が立っていた場所に攻撃を仕掛けたものの、槐はそれを軽々と交わして攻撃者と相対する。すぐさま後ろに控えた者達が身構えたが、槐はそれを片手で制止し、心底嬉しそうな顔をみせていた。


「槐……貴様、血迷ったか!?」


「ハル爺…いや、。血迷ったわけじゃない、時代が変わったんだよ。使えない兄貴も、足手纏いの老人やガキどもなど必要ない!俺と妖怪達の力を使えば、犬神家は更に強く大きく発展する!だが、親父には感謝しているよ。俺を調査部の6番分家へ養子に出してくれたことをな」


 犬神槐は、ハル爺とナツ婆の間に生まれた子供である。分家間で子どものいない家庭へ養子を出す事は、古い日本では一般的だったが、犬神家では今でも当たり前にあるやり取りだ。槐の言う6番分家は、かつて犬神猇いぬがみこうという人物が当主として治めていた分家だ。しかし、こうは変わり者で結婚はしておらず、当然跡を継ぐ子どももいなかった。だが、6番分家は古くから諜報を担い、調査部という犬神家全般を影で支える重要な分家であった為に、当時まだ幼かった槐を養子に出して存続を図ったのだった。


「お前は、そんなに嫌だったのか…!?こうの元へ養子に出されたことが……じゃが、それなら恨む相手は儂だけじゃろう!他の者達は関係ない!あの時、お前を養子に出す事はナツも他の皆も反対した、儂だけが賛成し決めて送り出したんじゃ!八つ当たりはよせ!」


 ハル爺は叫びながら、涙を流していた。槐を養子に出した当時、犬神家では分家も含めて数人の候補がいた。槐の兄で狛達の父親である真やはい、狛達の母であるあめなど…他にも数名の子ども達が候補として挙がっていたが、もっとも適性が高いと判断され、何よりこうが望んだのは槐であったのだ。

 だが、調査部の仕事はほとんど裏方である。表に出ることはほぼないのだが、危険度はさほど変わらない。むしろ、事前調査に出る段階では、相手の正体も何もかもが不明な為、危険度は上である場合もある。

 それ故、調査部は出来る限り適性の有る人間に任せたいというのが本音だが、やはり人は危険な裏方などやりたがらない。その意味で、ハル爺は非常な決断をしたと言ってもいいだろう。


 だが、槐はハル爺の言葉を聞いても態度を変える事はなかった。むしろ、それは当然の事だったと受け止めているようだ。


「何度も言わせるなよ、親父。俺はアンタを恨んでなどいない。調査部は俺の天職とも言える場所だった。ここにいたからこそ知れたこと、気付けたものがあるんだ。俺が恨んでいる事があるとすれば……それは犬神家の在り方だ。人よりも狗神が上に立ち、個人の力や才能よりも狗神が優先される。そんなものに飽き飽きしているのさ。だから俺が犬神家を受け継ぎ、作り変えるんだ。誰にも邪魔はさせん」


「槐…解った。ならば、お前は儂がこの手で引導を渡してくれる!それがお前の父としての最後の務めじゃ!」


 ハル爺は両手に持った大斧に霊力を込め、槐に飛び掛かった。もはやその目に涙は無く、ただ槐の暴走を止める。その事だけに意識が定まっているようだった。


八艘千波はっそうせんばか、アンタの得意技だったな。だが、いささかマンネリじゃないか?」


 ハル爺の得意技である八艘千波は、斧で斬りつけるだけでなく、斧に込めた霊力を霊波として大地に流し込むことで衝撃波を発生させて追撃する二段攻撃である。攻撃の範囲も広く、隙の少ない技ではあるが、身体ごと敵へ飛び込む形になる為、欠点を知っている人間には効果的とは言い難い技だ。だが、八艘の名が示す通り、間髪入れずに連続で次の八艘千波に繋げることで、ある程度の欠点は克服できる……はずだった。


「ぬっ!?…っぐ、ぐわぁっ!!」


 槐は軽々と一撃目を躱した後、更に続けて放たれた八艘千波に向かって、狗神を差し向けた。空中で、しかも技を仕掛けている最中であるハル爺には、それらの攻撃を回避するのは難しい。いくつもの爪と牙がハル爺に突き刺さり、切り裂かれたその身体からは、夥しい量の出血が見て取れた。


「ハル爺っ!!」


 狛を始めとして、多くの退魔士達が咄嗟に庭へ飛び出そうとしたが、それは強力な結界に阻まれてしまった。


「こいつは…あの時の!?」


 猫田が思い出したのは、以前、がしゃどくろが犬神家を襲った時、猫田が外へ飛び出そうとして引っかかった時のことである。目の前の結界はあの時のものよりも更に強力で、触れれば肉が焼け焦げ、大きなダメージを受けるだろうことは容易に想像できた。これは、狛達を屋敷の外へ出さない為の封印のようなものだ。


「お前らはそこで見ていろ。所詮、狗神に使われるだけの存在がどれだけちっぽけなものか、無様なこの男の死をもって見せつけてやる。そしてその後、お前達も殺してやるさ」


 槐は狛達を見下して、また笑っていた。これから実の父親を殺そうという人間のものとは思えない、昏い悦びに溢れた恍惚ささえ感じられる表情である。

 

 親子の戦いは、まだ始まったばかりだ。


 

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