第152話 反逆の狼煙

 クリスマスが終わって数日、いよいよ正月が到来である。


 狛はあの翌日、真がまた出て行ってしまった事を知った。このまま一緒に暮らせるのではと期待していたようで、黙って再び出て行ってしまった事に一筋の涙を溢していたものの、分家の家族達が入れ代わり立ち代わりに本家を訪れるので、あまり悲しんでいる暇はなかったようだ。

 その内に年末年始の準備が始まって、あっという間に元日を迎える事となった。そんな元日元旦の午後のことだった。


「狛ぁ!久し振りだなぁ!元気だったかぁ!」


はい伯父さん!久し振り!元気だったよー!」


 170cmを超える狛を軽々と抱き上げているのは、犬神狽いぬがみはいという男である。分家の中では比較的若い部類に入る男で、年齢は真と同い年の48歳。身長は2メートル近くあるという屈強な体格の持ち主だ。普段は警視庁で警察官として勤務していて、犬に纏わる仕事に就く事が多い犬神家の中では、珍しい経歴の持ち主である。ノンキャリア組ながらも、多くの現場で犯人確保に貢献したとして、近く警視正に任命されると噂の人物であった。


「真の奴、戻ってきたと思ったらすぐまた出て行ったらしいなぁ?」


「うん、ずっと追ってる妖怪がいるって…でも、お父さんならきっと大丈夫。すぐまた帰って来ると思うよ」


「……そうかぁ!」


 実のところ、はいも何故真が拍と狛を残して家を出ているのかを知っている。というより、犬神家の分家当主達は、全員それを聞かされているのだ。だからこそ、皆が二人を支え、盛り立てていこうと考えている。元々結束の強い一族ではあるが、その想いが、より彼らを一つにまとめあげているのだった。


「他の年寄連中はどうしたぁ?」


「皆もう来てるよー、あと来てないのは……えんじゅ叔父さんさんくらいかな?」


「槐か、アイツは相変わらずだなぁ…」


 はいは頭を掻いて溜息を吐いてから、狛を地面に降ろし、屋敷の中へ入っていった。一年の間で、正月だけは本家分家問わず、ほぼ一族全ての人間がこの屋敷に集まるのが古くからの習わしである。例外は真くらいのもので、少なくとも分家当主クラスの人間は全員揃うのだ。

 よって槐も顔を出すはずなのだが、今日はまだ姿を見せてはいなかった。



「槐の奴はまだ来んのか?全く、あやつは分家当主としての気構えが足りておらん!」


 そう怒っているのは、6人の分家当主の一人、こんである。分家当主の中では二番目に高齢の85歳だが、まだまだ現役の医者だ。今も佐那が入院し、以前には狛も入院した犬神総合病院の院長を務める男であった。

 なお、分家当主達の中で最高齢なのは97歳のまみという女性だ。ハル爺の母親で犬神家の最長老と呼ばれている。ハル爺達と同じく、若い頃は凄腕の退魔士として名を馳せたというが、ハル爺達と違うのは、そこに『美貌の』という形容詞がつくことらしい。とはいえ、今ではすっかり腰の曲がった、よく笑う優しい老婆である。

 ちなみに退魔士になるのは本家分家を問わず、全一族の中から才のある者だけが選ばれるのだが、分家の中でもまみの家系は、ハル爺を始めとして特に退魔士を輩出する事が多い。本家の土地で農業や酒造りなどを担当しているのも彼らである。

 

「まぁまぁ、仕方あるまいよ。やつの調査部には盆暮れ正月などないのだ。もしかすると、厄介な仕事でも引き受けてくるかもしれんぞ」


 そう宥めているのは、さいという老人だった。ペットショップ等の関連会社を任されている男で、ハル爺達と同じ70代前半なのだが、見た目はかなり若々しい。クリスマスにも顔を出して料理を振る舞っていた、里の父親でもある。彼は狛ほどではないが霊感に優れていて、ペットの考えを多少理解出来る事から経営者として成功を納めている。

 その横で頷いているのはなおという女性であった。なおは動物愛護団体を主宰し、行き場のない犬などを訓練して介護犬や補助犬などに育成する事を生業としている、佐那の母親でもある女性だ。

 

 本来、ここに槐を加えた計6人が現在の犬神家分家当主達である。そして彼らを取り纏め、その上に立つのが、最も多くの犬神を従えた本家当主の拍なのだ。


「槐なら直に来るだろうから、先に初めるとしよう。えー…皆、今年も無事に集まってくれてありがとう。一人も欠ける事なくこの日を迎えられて、俺もホッとしている。また色々と大変なこともある一年になるだろうが、我々全員が力を併せて乗り切っていけるよう、俺も当主として精一杯努力するつもりだ。皆もよろしく頼む。それでは、本家分家共に益々の発展を祈って……乾杯!」


「乾杯!」


 拍の挨拶に続けて、5人がお屠蘇を一息に呷る。これも犬神家で作る特製の屠蘇だ。神饌として造っている酒に屠蘇散を加えて作る為か、実はかなり強力な神性を帯びており、これだけでも邪気を払う効果がある。まず各当主達だけが集まってこれを飲み、その後親族が集まる大部屋へ移動して新年を祝うのが、犬神家の恒例行事なのである。もっとも今回の槐のように、遅れたり仕事でどうしても参加できないパターンもあるので、多少は自由が利くようだ。


「さぁて、里の料理は久し振りだなぁ!これが正月一番の楽しみなんだよ~!」


 どしどしと足音を立て、はいが真っ先に大部屋へ移動する。彼は若い頃に外から嫁を貰って結婚していたが、警察官という職業柄か、仕事を優先するあまり妻とはうまく行かず、数年前に離婚してしまった。よって普段は単身、都内で独り暮らしをしているのだが、彼は料理が苦手な為、まともな手料理を食べるのは決まって本家へ顔を出した時だけという生活であった。


「全く、はいの奴も再婚でもすればいいものを……誰かおらんのか?」


「おらんおらん。外から嫁を貰ってこようにも、あの堅物ではなぁ。知っとるか?アイツ見合いの席で緊張のあまり…ああ、神子さんとこの桔梗さんなんかどうじゃ?歳もそう離れとらんじゃろ」


はいが相手じゃ、向こうが嫌がるわ……」


 そんな老人達も、あーだこーだと大きなお世話を相談しつつ大部屋に入って行く。既に子ども達や若い世代は準備が整っていて、揃ってご馳走を食べるのを心待ちにしているようだった。


「さて、それじゃあ始めるか」


 全員が移動し、拍が合図をしたところで、一斉に宴が始まる。槐はまだ到着していないが、6家族分の大所帯だ。幸せな団欒の時間が、いよいよ始まった。



 数時間後、そろそろ陽も暮れようかといった時間に差し掛かった時、ようやく槐が現れた。たった一人、相変わらずの冷たい気配を纏いながら槐は車から降りる。その口元に、薄っすらと邪悪な笑みを浮かべながら。


「ん?おお、来たか槐!遅かったな、何かあったのかぁ?」


 庭先に現れた槐に、最初に気付いたのははいだった。たっぷりと食べて呑んだ彼は、縁側から庭に出て、軽い腹ごなしをしていた為だ。その声に全員が反応し、そちらを見やる。


はい兄か。秋の総会以来だな、他の年寄連中も、相変わらず元気そうで何よりだ。


 はいと槐は、幼い頃から兄弟同然に育ってきた間柄である。槐ははいを兄と呼び、よく慕っていたのだ。その為、気安く声をかけるのも当然であった。それ故に、この後起こる凶行を止める事が出来なかったと言える。


「なに、を…?えっ?」


 痛みを感じたはいは困惑しながら、自分の腹を見た。へその上あたりを何かに抉られている。その途端に、口から大量の出血をして、はいはその場に倒れ込んだ。

 ちょうど皆に背を向ける位置関係になっていた為にはいが倒れるまで、誰も何が起きたのか、理解できずにいた。いや、はいが倒れてもなお、数瞬の間は誰も動けなかった。まるで、時間が止まってしまったかのように。


「え、槐!貴様一体何をしおったっ!?」


 真っ先に動き出したのはこんだ。彼は医者であるが故に、はいが倒れ込んだ所から血だまりが広がっていくことにいち早く気がついた。そして慌てて庭へ飛び出そうとしたところを、狛に羽交い締めにされ、止められた。


こん爺ちゃん、危ないっ!!」


 ちょうど縁側のふちギリギリで止められたこんの目の前に、太く鋭い槍が突き刺さり、やがて霧散した。


「のわっ!?な、なんじゃ!」


 こんが飛び出していれば、間違いなくその槍に貫かれていただろう。こんを抑えた狛が、キッと槍が降ってきた空を睨みつけると、そこには、戦国時代の鎧武者のような恰好をした男が宙に浮かんでいる。その手には先程の物と同じ槍が握られている。鎧兜の下には髑髏が見えていて、およそ生者でない事は明らかであった。


「な、なにあれ…?」


 それは狛にも見覚えのない存在である。妖怪というより怨霊と呼ぶ方が近いだろう。彷徨う亡霊を何者かが使役している、そんな風に見えた。


「槐、一体どういうつもりだ?何故、はいを…」


「ふん、はい兄だけが目的だったわけじゃないさ。いつまでも下らない古い掟に縛られる愚か者どもを、始末してやろうと思ってな」


 拍の問いかけに、槐は不敵な笑みを浮かべて答えた。そして、呆気に取られる全員の前で、両手を広げ、高らかに声を上げる。


「本日、この時をもって、犬神家の全ては俺が頂く。…蜂起だ!俺達が待ちに待った、ようやくこの時がきたのだ!」

 

 犬神家の長い歴史に、癒えることのない深い傷跡を残す一日が始まろうとしていた。

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