第151話 別れと盃

 その日の夜、狛達は自宅でクリスマスパーティに興じていた。毎年、分家の里一家を始めとして、いくつかの家族が集まって行われるパーティは、一般的な家庭のものよりも盛大である。もっとも、あと数日の内には正月が来て、その時は本家分家合わせた犬神家のほぼ全員が集まる事になるので、そちらの方がはるかに規模の大きい宴になるのだが。


 狛が大蝦蟇ガマを封じた後、御遠場夫妻に事情を話すと、彼らは必ず塚を作ると約束してくれた。


 どうも話を聞いてみると、御遠場家は皆一様にカエル好きという人達であるらしい。例の占い師に勧められて大蝦蟇ガマと取引をすることにしたのも、相手がカエルの妖怪だったからと話していた。彼らならば、約束を違わずに塚を作り祀っていってくれるだろう。


「うわ!狛姉ちゃんスゲー!ホールケーキ10個目食べたぞー!」


 分家の子ども達は、いつにもまして食欲旺盛な狛の食べっぷりに瞳を輝かせている。狛は一族の子ども達の中では、ちょっとしたフードファイターとしての地位を確立しており、その異次元の食べっぷりは子ども達の羨望の的であった。

 

「ふっふっふー!甘いものは別腹だからね!あ!里さーん、口の中リセットさせたいからシチュー追加で!」


「あいよー!もうすぐ出来るからちょっと待ってなー」


 ケーキとチキンを交互に頬張りながら、何がどうリセットなのかは不明だが、狛はシチューのおかわりをリクエストしている。狛は学食の味噌汁を寸胴鍋から直接飲む女であるので、シチューは大鍋に5杯は用意してあったのだが、既にそれらはすっからかんで、現在進行形で調理が続いている。狛の食欲が底無しな為に、こういうイベント時の犬神家の台所は戦場だ。里とその夫がそれ自体を楽しんでいるのが救いだろう。


 そんな大騒ぎする子ども達の声を肴に、少し離れた縁側で独り、チビチビと酒を飲んでいる男がいた。


「……お、来てくれたか、猫田クン。さぁ、一杯どうかな?飲めるんだろう?乾杯と行こうじゃないか」


「ん、ああ、じゃあ一杯だけ貰うか。…ありがとよ。じゃあ、乾杯」


 人の姿で訪れた猫田に酒を手渡し、雪見酒と洒落込んでいるのは狛達の父、真であった。もう既に雪は止んでいて空には月が見えているが、犬神家の屋敷が山の中にあるだけあって、庭は完全に雪化粧がなされている。人の身体では少し寒いと感じる気温だが、真はあまり気にしていないようだ。雪に覆われた庭を眺めて、何かを思い出しているようだった。


「んー!旨い!やっぱり酒はうちのに限るなぁ」


「確かにな。飲みやすすぎるのが欠点なぐれーだ」


 以前、ハル爺達と飲んで悪酔いしてから、猫田は酒を控えていた。お神酒として作られている犬神家謹製の酒、その効果が絶大であることは身をもって理解している。酒量をセーブしないと翌日が大変なことになるので、あくまで付き合い程度に抑えるつもりだが、そう上手くいくのだろうか。

 

 雪に反射された月明かりが庭全体を美しく飾っている。犬神家では電飾でライトアップするような事はしないが、雪と月の組み合わせはとても綺麗で、天然のイルミネーションと言った所だろう。真は盃を片手に、その庭自体を楽しんでいるようだった。

 

「この庭は、昔世話になった庭師の人に頼んで整えてもらってね。春夏秋冬、どの季節でも美しく見えるように誂えて貰ったんだよ。妖怪の君の眼から見ても、良いと思ってもらえるのかな?」


「ああ、悪くねぇ。こんな景色があっても、狛の奴は相変わらず色気より食い気みたいだが…まぁ、狛に京介アイツはまだ早ぇだろう、どこにいるのかもわかんねーし」


「……ん?その口振りからすると、狛に誰か好きな人でもいるのかい?気になるなぁ」


「さぁ、どうだかな?まだ狛自身もよく解ってねーと思うぜ。それより、俺に話ってなんだよ?」


 京介の事を狛がどう思っているのかは、正直な所、猫田にも曖昧である。狛にとっては間違いなく初恋で、狛自身まだその想いも願いもハッキリしていないだろう。恋に恋する年頃…それ未満だと猫田は認識しているようだ。

 そして、猫田の言っている話というのは、パーティが始まる前に真が猫田に伝えていたことであった。話があるので、少し時間を空けてから縁側に来て欲しいと言われ、猫田は素直にやってきた。猫田自身、真と話をしてみたい事があったからだが、真の方は話す決心がついていないのか、苦笑してまた盃を呷ってみせた。


「まずは、君に礼を言っておきたくてね。今日、君と狛の様子を見ていてよく解ったよ。君は本当に、狛によくしてくれているみたいだ。ろくに一緒にいてやれないダメな父親だが…親として感謝の言葉を伝えたい。…本当に、ありがとう」


「よしてくれ、別に礼を言われるようなことはしてねーよ。俺は俺で、ずいぶん助けられてもいるしな。狛だけじゃなく、あんたらの一族によ」


 猫田は照れ臭そうに頭を掻いている。狛と初めて会った頃から、相変わらず人に感謝される事には慣れていないらしい。猫田のその様子に、真は思わず笑みがこぼれた。


 「実は君の事は、ハル爺からある程度聞いていたんだ。曾曾お祖父さん…宗吾さんの仲間だったんだってね。まさか、出奔していた一族の天才が、そんな組織で活動していたなんてねぇ…俺も家を出ているんだから、似たようなものかな?」


「あの人が家を出たのは、修行が目的だったらしいけどな。……でも、お前はなんで、家を出たんだ?狛はもちろんだが、ああ見えて拍にだってまだまだ父親は必要なんじゃねーのか?」


「拍か…あの子には可哀想な事をしたな。5つの時に母親が亡くなり、その2年後に先代当主である祖父が、それから時を置かずして別の党首候補も逝ってしまって、あの子はわずか7歳で当主になる事が決まってしまった。掟とはいえ、あまりにも重いものを背負わせることになる、それを思って厳しく躾けたんだが…お陰でずいぶん嫌われてしまったよ。父親としては仕方ない事なんだが、寂しいな。子育ては難しい……なんて、妖怪の君に言っても仕方ないことか」


 真は力なく苦笑して、また一息に盃の中身を飲み干した。猫田に子育ての経験はないが、人の子が成長する過程は何度も見てきている。その中にはうまく行かない家庭も当然あった。それをふと思い出し真の思いに頷いてみせた。


「気持ちは解るけどな…」


「……俺の右目はね」


「……?」

 

 突然の言葉に、猫田はその真意が掴めなかった。戸惑いながら話の続きを待っていると、酒で口を潤しながら真はゆっくり口を開いた。


「俺の右目は、昔、とある妖怪に奪われたんだ。そいつは強くてね、今でも倒せる目途は立っていない。そいつは俺から右目を奪った時に言ったんだよ…『いずれ、お前の大事なもの、全てを奪ってやる』ってね。……そして、俺は妻を失った」


「おい、ちょっと待て、狛の母親はアイツを生んだ時に死んじまったんじゃ…?!」


「ああ、それは間違っていないよ。正確に言うと、ヤツは俺から奪った目を通して、妻に…あめに呪いをかけていたんだ。それに気付いたのは狛が生まれる直前だった。その時にはもう、手の施しようがなくてね。俺はあの時ほど、自分の力の無さを痛感した事はないな」


 力なく語る真の背中は、悲しみに溢れていた。初めて聞く衝撃の事実に、猫田も動揺を隠せない。


「まさか、その呪いってヤツは今も…?」


「残念ながらね。長年解析を続けて、ようやくこの眼帯で少しは影響を抑える事が出来るようになったけど……まだ完璧じゃあない。長時間あの子達の傍にいれば、いつまたその影響が出るか…だから、今はまだ、皆と一緒には暮せないのさ」


「その事、アイツらは知ってるのか?」


「拍は薄々気づいているみたいだが、狛は全く何も知らないよ。出来れば、黙っていてくれると助かるかな。傍にいない事でしか子を守る術のない情けない父親だと、知られたくはないからね」


 真は猫田にウィンクをして、そう言った。正直な所、それを告げる気は猫田にもない。まだまだ子どもな狛は、その事実を知れば相当なショックを受けるだろう。それは容易く想像出来ることだ。恐らく、ハル爺達はそれを知っていて黙っているのだろうから、猫田が勝手にそれを伝えるべきではない、そう思った。


「幸い、狛には頼れる保護者役がたくさんいる。拍やハル爺、他の分家の家族達……それに、猫田クン、君とかね」

 

 猫田は黙って、それに頷くしかなかった。本来なら傍にいるべき…或いは傍にいたいと誰よりも思っている父親にそう言われてしまっては、否定や拒否など出来ない。猫田はそう言う性格をしている。


 やがて、二人は黙ったまま、静かに景色を眺めるだけの時間が過ぎた。別の部屋からは、狛や子ども達の楽しそうな声が聞こえている。それを噛み締めるように聞いた後、真はスッと立ち上がった。


「……行くのか?」


「ああ、元々、今日は顔を見るだけのつもりだったからね。あまり長く留まってもいられない。あの子達には、よろしく言っておいてくれるかい?」


「解った。だが、一つだけ」


「ん?」


「アイツらには、まだまだ親が必要なはずだ。そして、それはお前にしか出来ない役割だろう……もし何かあったら、家族を、仲間を頼れよ。俺も手伝えることがあれば力になってやる」


 それが、猫田に言える精一杯の別れの挨拶であった。猫田にしてみれば、狛も拍も、そして真も、ハル爺達とて宗吾の子孫である事に違いはない。ならば、彼らの為に尽力するのは吝かではないのだ。その申し出が嬉しかったのか、真はいつもの調子でにっこりと笑顔で答えた。


「……ありがとう。それじゃ、もしもの時は遠慮なくお願いするよ。それじゃあ、また」


 そう言うと、真は足音も立てず、風のような軽やかさでその場を後にした。残された猫田は、月を見上げて残った酒を呷る。

 月は、静かに家族の別れを見守っているようだった。

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