第150話 父の実力と狛の素質

「いやっ!いやっ!いやっ!無理!無理無理無理ゼッタイムリィーーーーっ!!!!」 


 その様を、まさしく半狂乱と言うのだろう。狛は全身を手と尻尾で払い尽くし、それでも飽き足らずに猛烈なスピードで誰もいない方向へ走り去ってしまった。どうやら、本当に心の底からナメクジが苦手らしい。


 猫田も大蝦蟇ガマも、狛が走り去ってしまった方向を見て呆然としている。一方、真は狛のナメクジ嫌いを知っていたのか、溜息を吐いて苦笑いをするばかりであった。


「本当にあの子は……成長したと思っていたけど、これだけは変わらなかったか~」

 

 狛の思いもよらぬ弱点を見た猫田だったが、このままにはしておけない。急いで連れ戻しに行くかと思った矢先に、再びこちらへ走って戻って来る狛の姿があった。土煙を上げて爆走する様子は、さながら荒野を奔るラリーカーのようだ。そのままあっという間に戻ってきた狛は猫田と真に飛びついて号泣していた。

 

「うううううぅぅぅぅぅ!!無理ぃ…ナメクジ嫌いぃぃぃ!」


「お、落ち着けよ…解ったから…」


「狛~。ダメじゃないか、勝手に逃げ出して。後ろにいるのが力を持たない護衛対象だったら、どうするつもりなんだい?嫌いなモノが相手だからって、いちいち気にしてたら、一人前の退魔士になんてなれないよ」


「だっで、だっでぇぇぇ…!」


「泣くなよ…あと鼻水を俺の毛で拭くんじゃねぇ…!」


 真はボロボロと涙と鼻水を流す狛にお説教をしつつ、二人を庇うように前へ出た。この状態では狛はもう戦えないだろう。恐慌状態というには情けないが、今この状況で一朝一夕に改善出来る弱点でもなさそうだ。

 真は静かに大蝦蟇ガマに向かい合って立ち、その背を向けたまま言った。


「仕方ない、今日の所は俺が引き継ごう。猫田クン、狛を頼むよ。狛、よく見ておきなさい。力に頼らない戦い方もあるんだってことをね」


「お、おい…!」

 

 グスグスと涙を溢す狛は、すっかり猫田の毛皮に埋まっている。顔だけを何とか覗かせて、真の背中を見ているようだ。

 

(どうするつもりだ…?あの大蝦蟇ガマは狛の怪力であれだけぶん殴っても、大したダメージを受けてねーんだぞ。犬神の一匹もいねぇアイツで、勝てる相手なのかよ)


 猫田の心配は、そのまま大蝦蟇ガマの余裕でもあったようだ。目の前に立っているのは、狛の代わりに出てきた貧相な男一人…奥にいる猫又の方が、よほど厄介な相手だと、大蝦蟇ガマは思い込んでいた。


「ゲッゲッゲ!半妖の娘の次は、弱そうな男が出てきよったわ。ぬしゃら如き、か弱い人間などが儂に歯向かうなど千年早いわ!ゲッゲッゲ!!」


 勝ち誇る大蝦蟇ガマの笑いが荒野に響き渡っている。しかし、真はそれを一笑に付し歯牙にもかけない様子であった。


「フフッ。確かに、近年珍しい大蝦蟇ガマの大物ともなれば、気も大きくなるよねぇ。ただ、相手の力量を推し量る事も出来ないようじゃあとても大妖怪とは言えないな。自来也の操ったという大蝦蟇ガマに比べたら、まだまだだね、君」


「何ぃ!?ぬしゃ、儂を愚弄するか!所詮人間如きに使われた雑魚なんぞを、儂と比べるでないわ!」


「その割には、正体を隠すのが下手すぎだねぇ。俺は君が姿を現す前から、君が大蝦蟇ガマだと確信していたよ。だから式神を蛇にして放ったんだ」


 大蝦蟇ガマの身体から、ドキッという音が聞こえてくる。身体が大きい分、心臓も大きいのだろう、鼓動の音が良く響く。しかし、すぐに平静を取り戻したのか大きな口を一杯に開けて、大量の唾を飛ばしながら真に凄んだ。

 

「だ、だからなんだと言うのだ!?儂の正体を知ったからと言って、あの半妖の娘より貧弱な貴様に何が出来る!決めたぞ、ぬしゃ一呑みにして消化してくれるわ!」


「解ってないね。君達の弱点なんて、俺達人間はよ~く知ってるんだよ。長い長い間、大昔から、君達妖怪と命の獲り合いをしてきたんだからね」


 真の放ったその言葉が終わる頃、上空からいくつもの大きな物体が飛来してきた。ドガン!ドガン!と轟音を立て、地面に突き刺さったそれは、土を巻き上げて大蝦蟇ガマを取り囲むようにそびえ立っている。


「な!?こ、これはっ!!」


「ハハッ。わざわざ屋敷から一つ残らずこれを排除するなんて念の入ったことだねぇ。だが、逆に、そんなせせこましい事をするから、それが弱点だと知らせる結果になる。これが…だ。そうだろう?大蝦蟇ガマちゃん」


「あ、ああ、あ…あが…!!」

 

 ガマの油の逸話よろしく、大蝦蟇ガマは自らの醜い姿を非常に嫌う性質を持っている。彼らは種として、自分達の力に絶対の自信を持っていて、自尊心が非常に高い妖怪だ。しかし、その高い精神性が裏目になって、己の醜い姿を極端に苦手とするのだ。

 蛇に睨まれた蛙ではなく、自らの姿に睨まれた蛙になってしまう…それが大蝦蟇ガマという妖怪達の弱点であった。


 四方を鏡に囲まれた大蝦蟇ガマは、激しく狼狽し、完全に動きを止めていた。小刻みに震えているが、もはやその場から逃げようという意識さえ封じられている。


「反鏡符…本当は敵の攻撃を跳ね返す為の霊符なんだが、まぁ、ちょうど特効だったって所かな」


 そう言って、真は一枚の霊符を取り出した。真が練り上げた霊気をたっぷりと込められていて、既に符から冷気が溢れ始めている。


「狛!よく見ておくんだ。力だけで倒せない相手に対抗する手段はたくさんある。なんせ俺達は、千年以上もの間、妖怪達と戦ってきた陰陽師の子孫なのだから、先祖から続く経験が最大の武器なんだ。敵を知り己を知れば…というのは俺達にだって大事なんだよ。さて、それじゃ改めて、お前達が人間如きと侮る…犬神家の力を見せてあげようか、ねぇっ!」

 

 真はその手に用意した凍刃符を起動させ、鋭い氷の刃をその手に纏わせた。そして、背に羽でも生えているかのように高く高く飛び上がって鏡を飛び越し、大蝦蟇ガマの前に降り立つ。そして、素早い動きで、大蝦蟇ガマの身体を切りつけた。


「ぐあっ!?ぎゃああああっ!」


「さっき狛との戦いを見ていてよく解ったよ。君はその分厚い皮膚が衝撃を吸収する鎧の役割を担っている。脂肪の有る肉ではなく、皮で身を守っていたわけだ。だから、見た目以上に筋肉質だよねぇ、蛙って奴はさ」

 

 大蝦蟇ガマは苦し紛れに反撃をしようと巨体を振り回そうとしたが、鏡の影響でろくにその身体は動いていない。そんなものが当るはずもなく、真はひらりと大蝦蟇ガマの腕を躱し、さらに氷の刃を振るった。


「ぐぐぐぐぅ…!お、おのれぇ!…かくなる上は、喰らえぃっ!!」


 オゲェェェェっという特大のえづきと共に、大蝦蟇ガマは大量のナメクジを真に吐きかけた。狛はそれを見ただけで意識を失い、倒れかけている。吐き出された七色に輝く妖ナメクジは、大蝦蟇ガマの体内で産み出される使い魔のような存在だ。狛は先程、ほぼ見ただけで逃げ出してしまったが、実はこのナメクジは霊力を吸収する性質を持っている。一度ひとたび大勢で人間に憑りつけば、瞬く間に全身の霊力を吸い尽くしてしまうだろう。

 しかし、真は冷静に降り注ぐナメクジの群れを切り払い、更に炎の霊符・火弾符を使って一匹残らず焼き払った。もはや大蝦蟇ガマに打つ手はなく、後ろ向きに体を引きずりながら、少しでも真から逃れようとしていた。

 

「往生際が悪いねぇ。大妖怪ぶってたんだから、散り際くらい覚悟を決めなさいよ」

 

「ま、待て!やめろ!わ、儂が悪かった!許してくれ、もう人に手は出さん!」


 追い詰められた大蝦蟇ガマの巨体から、ダラダラとが流れ出ている。これぞまさにガマの油だ。しかし、そんな命乞いなど無視するかのように、真は歩みを止めず一歩一歩大蝦蟇ガマに近づいていく。

 大蝦蟇ガマにとっては死刑宣告のような足音に恐れをなしたのか、滝のように油を流してその身をガタガタと震わせていた。


「そんな命乞いが通用するとでも?これでおしまいだ。…さよなら大蝦蟇ガマちゃん」


「ひっ!?ひいいぃぃぃ!!」


「待って!!」


 大蝦蟇ガマの心臓目掛けて氷の刃が振り下ろされようとしたその時、真を止めたのは狛の叫びであった。どうやら、ナメクジを見て意識を失ったのはほんのわずかな時間だったらしい。気分が悪いのか、顔色を真っ青にして猫田の前足に掴まるようにしてギリギリ立っている状態だが、その眼には力が感じられた。


「……狛、どうして止めるんだい?」


「そ、その妖怪…そんなに悪い妖怪だと思えない、から…」


 よろめいてふらつきながら、それでも狛は猫田から離れ、ゆっくりと歩きだす。真には、狛の言っている事が理解出来なかった。命乞いに絆されたのかと思いきや、可哀想だというのではなく、という。それは本人が言語化できるかどうかはともかく、何かしらの明確な判断基準があって下している決断だから言える言葉だ。


 鏡の間をゆっくりと通り抜けて、狛は大蝦蟇ガマの元に辿り着いた。その隣には人型に戻った猫田がついているが、猫田は何も言わず狛が何をしようとしているのか、見届けようとしているようだ。それは、親が子を信じて待つ姿によく似ており、真は複雑な思いに縛られて、黙って見ている事しか出来なくなっていた。


「…ね、教えて大蝦蟇ガマさん。あなたは何がしたかったの?」


「わ、儂は……儂はただ、この土地を返して欲しかっただけだ。この辺りは元々沼地で、ここには儂の身内が眠っておる。一度は土地を離れた儂が久々に戻ってみれば、ここはもう人の住処になっておった。…慌てて数年かけて手を出したが、そのどれも上手くはいかなんだ…」


 それを聞いて、真はその昔、この辺りに小さな沼があった事を思い出していた。街の人口が増えて土地が足りなくなったために、十数年前に地盤改良工事が行われ、造成された区域だったのである。恐らく、手を出してもうまく行かなかったというのは、拍が仕事を引き受け、守護役に就いていたからだろう。


「…そっか。ここは元々あなた達のお墓だったんだね」


「それが先日、この家の主人が話をしたいと言ってきた……娘の力になってくれるなら、この土地に住んでも良いと、そう言われたのだ…」


「力になるってお前な…妖怪の俺達が、人の恋路なんかに首突っ込んでどうすんだよ。ろくな事にならねーのは大昔からの決まり事だろうが」


 大蝦蟇ガマの言い分を聞き、それまで黙っていた猫田も呆れたように割って入った。確かに、人と妖怪の恋物語は悲恋になる事が多いものだ。猫田は誰よりも人の傍で生活し、それらを見聞きしてきた分、そう言う事情には詳しいらしい。

 

「儂は、あの娘が思いを告げられるように力を貸してやっただけだ…言葉にするには勇気が出ないというから…ち、ちゃんと骨は後から回収するつもりだったのだ」


「ああ、まぁ確かに、別に拍を傷つけようって様子じゃなかったかな。…俺は首絞められたが」


 シュンとする大蝦蟇ガマは、すっかり毒気を抜かれたように項垂れている。毒々しい赤紫色に輝いていた瞳は、茶と薄い金の穏やかな色に戻っている。もはや戦う気勢はないようだ。


「そっか…ねぇ、それじゃ私が御遠場さんに頼んで、近くにお墓を作ってもらってあげる。だから、もう人に危害を加えるのは止めて、ね?」


「ぬし……よいのか?」


「お父さんも、それで許してあげようよ。もうこの大蝦蟇ガマさんに戦う気なんてないよ」


「狛、そういうわけにはいかない。彼が人に害をなした事に変わりはないんだ、退魔士として、見過ごすわけにはいかないよ」


「それは、そうだけど……」


 狛と真がお互いに力無く意見をぶつける姿を見たせいか、大蝦蟇ガマは静かに目を閉じ、諦めたように声をあげた。


「……もうよい。退魔の娘、ぬしの気持ちだけで十分だ、そこの男、儂を封じてくれ。その代わりと言ってはなんだが、ここに塚を作って、儂と儂の身内を祀ってくれんか?それで儂は十分だ。そもそも、先に土地を離れ、身内を捨てたのは儂の方だからな……」


大蝦蟇ガマさん…」


 真は内心で唸った。まさか妖怪を説得して変節させてしまうなんて、滅多にある事ではない。猫田やくりぃちゃあという店の妖怪達のように、人に寄り添って生きる妖怪達ならいざ知らず、大蝦蟇ガマという妖怪は、種族としてそこまで人に近い存在ではない。あくまでこの一個体だけだろうが、狛のやった事は常識を大きく逸脱していると言わざるを得ない。


「……解った、約束しよう。今すぐとはいかないだろうが、出来るだけ速やかに塚を作って祀らせるよ。じゃあ、狛、この霊石を使いなさい。お前が責任をもって、彼を封じるんだ」


 いつの間にか、真はいつもの軽い口調を止め、厳しい視線と態度で狛に接している。狛は頷いて真から霊石を受け取ると、大蝦蟇ガマの目を見据えてから、封印に取りかかった。全てが終わると、狛達はいつの間にか屋敷の庭にいて、一筋の冷たい風が騒動の終わりを告げているようであった。

 

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