第129話 悲哀の化身
狛はまだ、夢を見ていた。ただ、これを夢と言っていいのかは解らない。イツの記憶を見ている時のような、鮮やかで、頬に当たる風や草木の匂いさえもしっかりと感じられる、とてもリアルな光景である。
そして、場面は変わり、今度は見た事もない丘の前にいる。
そしてその後ろには、前の場面で彼女と一緒にいた男性の姿があり、その隣には男によく似た細身の女性の姿がある。その他にも数名、付き人のような人々が連なっていた。
これは恐らく、葬列なのだろう。先頭を行くのは他の人々とは少し違う格好の男性だ。彼は祭司のような立場に違いない。姫と呼ばれるような立場のある人間の葬列にしては、参列している人数も少なく静まり返っているが、それは恐らく彼女が持つ性質によるものだ。弱い人間が迂闊に近寄れば、彼女の力で妖怪にされてしまうのだから。
粛々と、静々と、葬列は地下へと足を踏み入れていくようだ。一歩進む毎に、シャンシャンと小さな鈴の音がして、やがてそれは聞こえなくなっていった。
狛はその列をじっと見送っていたが、ふとした瞬間に、気付けば視界は葬列が歩く地下の
『くっ…!まただ!兄様、こっちも!』
『バカな!これで四人目だぞ!?姫様、お下がりください!』
『ああ、私の、私の…せいだ…!私が、生きてさえいなければ…!』
洞窟の奥に入った辺りで、葬列に参加していた男達が、次々に妖怪へと変化していった。姫の力は凄まじく、洞窟という狭い閉鎖空間に入ったことで、一気に他の男達を妖怪へと変えてしまったのだ。
自らの意思ではないとはいえ、己の所業によりあたら多くの民が妖怪へと変化してしまう…人として、また民の上に立つ姫として、それは彼女の心を悲哀の色に塗り替えていくのは容易い結果であった。
『おのれっ!心弱き愚か者共が!お前達が姫様を悲しませて、何とするか!』
銅剣を振るい、姫の一番傍にいたあの男が、妖怪と化した仲間を一刀のもとに斬り捨てる。銅剣は鉄製の剣よりも切れ味に劣るものだが、それでもなお妖怪を一振りで絶命させるというのは並大抵の腕前ではない、彼がそれだけ優秀な戦士だと言う事は、その動きだけで明らかだった。しかし、それでも。
『姫様、こちらへ…!そ、そんな…
男の妹と思しき女が、姫を妖怪から遠ざけようとした時、傍にいた
『ヒリヨミ!今行く!』
妹の名はヒリヨミというらしい。妹と姫の窮地を救う為、兄である男が銅剣を構えて、かつて
『兄様!』
『なんと!?バカな…!』
勢い込んで
『ぐはっ!?……お、っお、のれぇ…』
男は
『に、兄様っ!?』
その力は、もはや人のものを超えていた。ヒリヨミは近くの妖怪を斬り捨てた後、すぐに兄の元へ向かったが、既に男は息も絶え絶えといった様子で、洞窟内に倒れ伏している。そんな倒れた兄を抱え起こした時、ヒリヨミは兄に起きていた異変を目の当たりにしたのだった。
『あ、ああ…兄様……』
『ひ、ヒリヨミ…俺は……』
口から大量の血を流しているが、男の身体は驚異的なスピードで変異を始めていた。死の間際にあって、妖怪への変化が急速に進んでいるようだ。それはある意味で命を救うものでもあるのかもしれない、しかし、人としての生は確実に終わる。人ならざる者へ生まれ変わることは幸せと言えるのか、それは誰にも解らない。
『き、聞け……姫様を、
『う、うぅ…ううう……!』
嗚咽するヒリヨミの頬を撫でて、男は人として最期の遺言を残そうとしていた。彼にとって女王卑弥呼は母であった。そして、その娘である姫、
『ナシガリ…?ひ、ヒリヨミ、ナシガリはどうしたのだ?……っ!?』
その時、立ち上がることさえ出来なくなっていた姫、亜那都が這いつくばりながら二人の元へ近づいてきた。そして、ナシガリと呼ぶ男の姿を見て涙する。
『な、ナシガリ…お、お前まで……っ!?私の、せいで…!うう、すまぬ!許して、許してくれ…』
『ヒリヨミ……姫様を、頼、む………』
その言葉を最後に、ナシガリは息を引き取った。その内に、ナシガリの身体はどんどんと大きくなり、恐るべき姿へと変貌していくようだった。
『ああ、ああああああ…!あああああああ!』
ナシガリの遺体にすがり、号泣する
女王卑弥呼が用意した封印の間は、もうすぐそこである。そこに
『アナト様…ここにいては危険です。どうか、奥へ…卑弥呼様の作られた封印の間は、もうすぐそこですので』
『嫌だ!ナシガリを置いて行きたくない!私はもう嫌なのだ、私のせいで多くの民が死んでいく…!母様から受け継いだ力を満足に扱う事も出来ぬばかりか、私は生きているだけで人を不幸にするだけ…もう生きていたくなどない…嫌だ、もう…』
『アナト様…』
彼女の母である、邪馬台国の女王卑弥呼はシャーマンとして、歴史上は生涯独身を貫いたとされている。それは表向き、間違いのない事実だが、実際は違う。ここにいる
そんな
それでも、
結局、彼女はろくに人と関わる事が出来なかった。成長するにつれ、どんどん強くなる性質と力が、近づく人々を妖怪や怪物に変えてしまう。その内に、直接触れ合ってもいない子どもまでもが犠牲となってしまった。もはや、彼女が人の輪の中で生きる道は残されていなかった。
『アナト様……っ?誰だ!?』
突如、二人の周囲に無数の気配が現れた。今の今まで自分達以外には誰も居なかったはずの、この地の底で、得体の知れない何者かが大量に集まってきている。ヒリヨミはそれらの潜む闇を睨みつけ
――オオ…我ラガ母ヨ。妖ヲ生ム、我ラノ慈母ヨ…迎エニ来タ。コレヨリ我ラ妖ガ貴女ノ家族トナロウ…
その声は未だ形にならない、魑魅魍魎達のものだった。まだこの国に、名のある妖怪達がほとんどいなかったこの時代において、
『ひっ!?』
『おのれ、物の怪共!おのれら如き、この私が斬り捨ててくれる!
二振りのやや短い銅剣を両手に構え、ヒリヨミが叫ぶ。彼女の最大の武器はその身軽さであり、素早さだ。ヒリヨミは叫ぶや否や、遮二無二駆け出して、闇と魑魅魍魎達を瞬く間に切り払っていった。
しかし、いかなる猛攻を見せたとしても、ヒリヨミ一人で、全ての敵を倒す事は難しい。何より厄介だったのは、実体を持たない魑魅魍魎達が、
『アナト様!この場は任せてお逃げ下さい!封印の間へ、そうすれば、もう…』
そう叫びながら、ヒリヨミも自らの身体に起きている異変に気付いていた。ナシガリがああなった以上、覚悟はしていたが、自分の身体が全く違う何かに変わっていく感覚は、とても恐ろしくおぞましい。だが、それでも構わない。兄の残した遺言の通り、
『ヒリヨミ…でも…私は…』
『あなたが生き延びる事は、兄様の最期の願いなのです!どうか!』
『う、うう…!すまぬ…すまない…二人とも…!』
ナシガリの願いと言われ、
『に、兄…様…?』
異形の怪物と化したナシガリが、そこにいた。
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