第125話 思春期の暴走

「見られた見られた見られた見られた見られた見られた見られた見られた見られた見られた見られた見られた見られた見られた…見られちゃったぁ!?」


「な、なんだ…?ど、どうかしたの、か?」


 狛の放った突然の絶叫に、油断していた京介は耳をやられてしまって、狛の呟きがまるで聞こえていないようだ。一方の狛は、余りの動揺にパニックを起こし、わたわたと狼狽えるばかりであった。


(ど、どうしよう?!下着見られるなんて思ってなかったから、適当にいつものやつ選んじゃってた。いや、そもそも別に見て欲しいわけじゃないんだからそんなの!?っていうか、へ、変なことはされてない、よね…?京介さんはそ、そんな人じゃない…ハズ。うぅぅ、恥ずかしい~~~!!)


 初恋もまだだとはいえ、狛は正常な一人の女性であり、人間である。裸や下着を異性に見られるのは当たり前だが恥ずかしいし、学校で習う程度には、一通りの知識もあるつもりだ。しかし、まさかこんな不意打ちのような形で男性に肌を晒す時が来るとは思ってもみなかったので、ショックはかなり大きい、こういう状況を青天の霹靂というのだろう。残念ながら、ここは地底の洞窟で、青天など欠片も見えないのだが。


「…あれ?でも、これって」


 よく見ると、狛が着ていたのは、京介の法衣であった。キャソックというコートのような形態の上着を、丁寧に着せてくれている。今気づいたが、京介は白いYシャツにズボンを穿いているだけの状態だった。

 わざわざ自分の上着を着せてくれたのは優しいし嬉しいのだが、これまで人狼化を繰り返す内に、匂いに敏感になっている狛には、身体を包む京介の匂いが気になって仕方がなかった。

 ちらりと京介の様子を窺うと、額を抑えて耳の感覚が戻るのを待っているようだった。今なら、ちょっと匂いを嗅いでもバレないだろう。


 袖口に鼻を近づけ、スンスンとこっそり匂いを嗅ぐ。すると、ぶわっと全身を揺さぶられるような感覚がして、京介の匂いが脳に直接入ってくるようだった。


「ッ~~~~~~!?」


 ガツンと殴られたような衝撃に襲われ、目が回るようにクラクラする。こんなに近くでしっかり男性の匂いを嗅いだのは生まれて始めてだ。普段は精々拍か猫田くらいしか異性と接触する機会がないせいか、狛はあまりにも耐性が無かった。


(あ、これヤバイヤツだ…どうしよう、も、もっと…!)


 かなり変態的な何かに目覚めそうになっているが、人間集中している時は周りが見えなくなるものである。特にこういう少々恥ずかしい事となると余計だろう。何故人はこういう時に限って警戒を怠ってしまうのか、それは狛も例外ではなかった。


 もっと匂いの濃い場所を探し、狛はキャソックに通した腕で自分の身体を抱き締めた。こうすると、本当に京介から抱き締められているような気になってくる。そして、首元の匂いが一番濃密だと判断しそこへ顔を埋めようとした瞬間に気付いたのは、狛の絶叫を聞きつけて飛んできた猫田と黒萩こはぎの、何とも言えない生暖かい視線だったのである。

 

「あああああああああッッッ!!?」


 …その絶叫は、人生で二番目に凄かったと、後の狛は語ったそうだ。



 

「うう、うううううう…ちがうもん、わたし、そんなつもりじゃ…」


「あー…………まぁ、生きてりゃそういうこともあるんじゃねーか?なぁ?」


「え、ええ、まぁ…そうですね…」


 涙目で落ち込む狛に対し、猫田と黒萩こはぎはフォローにならないフォローをしていた。別に猫田は発情する事を悪い事だとは思っていない。今は猫又とはいえ、普通の猫だった頃の事は覚えているし、むしろ生物なのだから当然の事だと思っているようだ。

 ただ、それが狛だと、なんと言っていいのか解らない。人間のようなデリカシーを持ち合わせていないとはいえ、狛の落ち込み具合からよほどのショックを受けている事は想像がつく。しかも相手が京介だ。どちらも見知った相手だし、京介に至っては事が色恋となると、途端に普通の人間と明らかに違う唐変木になるのは、長い付き合いでよく知っている。


(狛のヤツ、よりによってコイツに懸想けそうしてんのか…?会ったばっかだっつーのに。…いや、コイツ昔からこういうトコあったな)


 ささえにいた時代は、所属していた班が違うので年中一緒にいたわけではなかったが、京介は当時から妙に異性を惹き付ける事があった。とはいえ、本人がそっちの方向に恐ろしく疎くて弱いので、進展など一切ない。かつて猫田の同僚である猿渡サルが遊郭へ連れ立って行ったときには、店に入っただけで気分を悪くして倒れたらしい。その時は元から酔っていたせいだと思っていたが、その後を見ているとどうもそれだけではないようだ。

 京介は根本的に女の性を強く意識するのが弱いのだと後から知った。普通に女性と接する分には何も問題はなく、その癖、顔はそこそこ良くて性格も優しいので、本人は気付いていないが女性ウケがいいのである。

 その辺り、少しは改善されたかと思っていたが、どうなのだろう?


 怪訝な視線で京介を見つめる猫田に、ようやく治りかけていた耳に思わぬ追撃を受けた京介が、ぐったりした表情を向ける。


「わ、悪い。もう少し待ってくれ、み、耳が…しかし、何がいけなかったんだろうか…」


「…いや、まぁうん。お前も変わってねーな、何か安心したわ」


 古い友人や顔馴染みと久し振りに会った時、相手に変わりがないと感じられるのは幸せなことである。京介が女性に弱いというのは明確な弱点ではあるが、そんな弱さが変わっていないことに、猫田はどこかホッとしている様子であった。狛はだいぶ落ち込んでしまったが、仕方のないことだと思おう。


 小一時間ほど経った頃、焚き火のおかげか狛の制服や九十九が完全に乾いたのを確認して、再度出発する事になった。狛にとっては悲劇だったが、猫田は大きなダメージを負っていたし、少しはいい休息になっただろう。

 焚き火を消し、適当な薪を松明代わりに持っていくことにした。これで、ランタンと合わせて光源が二つだ。多少は行動しやすくなる。


「そういや、お前のその上着はほとんど濡れてなかったな。なんでだ?」


「俺の法衣は特別製でね。防刃防弾繊維を織り込みながら、耐火耐水の魔法を付与してある。汚れ落ちもいいし、すぐ乾くから便利なんだよ」


 狛が着替えている間、彼女から返却されたキャソックを羽織りながら、京介はあっけらかんとした表情をしている。狛が自分の匂いに興奮していたことには全く気付いていない。彼はこう見えて途轍もなく長い時間を生きているせいなのだろう、特に狛のような若い少女が自分を性的な目で見ているとは、露ほどにも感じていないのだ。つくづく罪作りな男である。

 

「ふーん…そういうもんなのか」


 猫田はあまりピンときていなさそうな反応だが、実際にはかなりオーパーツ気味に性能を盛られた服だった。なんとなく聞こえていた黒萩こはぎは、信じられないものを見ているような目で、二人を背後から見つめていた。


「お、お待たせ!…しました」


 岩陰から出てきた狛はまだ恥ずかしいのか、少し顔を赤らめている。そんな狛の顔を見て、京介は「顔が赤いね、熱でもあるかな?」とおでこに触ろうとしたので、狛は狼狽えつつ、とんでもない速さで黒萩こはぎの後ろに隠れてしまった。これは、かなり重症なようだ。


「だっ、だだだ大丈夫です!ホントに!」


「そ、そうか?具合が悪くなったら言ってくれ。俺に言いにくかったら猫田さんでも、黒萩こはぎさんにでもいいから」


(そういうことじゃねーってのは俺にも解るんだよなぁ…)


 そんな二人の様子を、猫田と黒萩こはぎは呆れ顔で眺めている。まだ仕事は残っているのに、大丈夫なのかとこちらの二人は少し不安を覚えるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る