第123話 急造コンビ

 低い姿勢から、偽物の狛が猫田と黒萩こはぎを睨みつけている。表情こそ嗤っているが、舐め上げるようなじっとりとした視線には強い殺意が込められており、二人の背筋を薄ら寒くしていた。


「コイツ、急に偽物らしくなりやがって…!」


 食いちぎられた肩を庇っていた猫田だったが、既に血は止まっている。さすがに妖怪だけあって回復力も耐久力も凄まじいが、もし噛みつかれたのが首だったら、猫田は死んでいたかもしれない。黒萩こはぎはそんな最悪の想定も視野に入れつつ、慮外のスピードを持つ敵に対して、どういう手を打つべきか思案しているようだ。


「ハハッ!ァハハハハハ!」


 狂ったように嗤いつつ、偽物の狛は獣のような動きで猫田に襲い掛かった。と言っても、目視出来ているのではない。決して目を離したわけではないのに、フッと姿が消え、猫田の身体に傷が増えていくのだ。どうやら先程の巨体の怪物と同様に、猫田を標的としてロックオンしているらしい。黒萩こはぎが狙われていたら一溜りも無かっただろうが、このままでは早々に猫田もやられてしまうのではないか、そう感じるほどの猛攻だ。


「ぐぅっ…!」


 猫田は大型の猫に変化する事も出来ず、伸ばした爪を振り回して反撃を試みているが、それは全く意味を成していない。あまりにも敵の動きが早すぎるのだ。足元、脇腹、胸…次々に増える傷口から出血をして、猫田の身体にダメージが蓄積されていく。

 もっとも、仮に変化をしたところで、これだけの速さで動き回る相手に対して、優位に立てるとは限らない。逆に身体が大きくなる分、狙われる個所が増えるとも言える。


(捉えきれないほどの動き…しかし、わずかに隙はある)


 黒萩こはぎは冷静に偽物の狛の動きを観察していた。当初は霊符で援護する事も考えたが、この速さで動く相手には、霊符など役に立ちそうにない。むしろ、猫田に当たってしまう確率の方が高そうだ。そう結論を出してからずっと、敵の動きを視る事に集中していた。

 そこで気付いた事がある。敵は目にも留まらぬ速さで動いてはいるが、数回の攻撃の後に一度、動きを止める瞬間があるようだ。それは息継ぎのようにリズミカルに、かつ確実なタイミングでやってくる。黒萩こはぎのカウントに間違いがないなら、それは6回に一度という間隔であった。問題なのは、それをどうやって猫田に伝えるかだ。

 

 傍でじっと観察している黒萩こはぎだからこそ、その隙を見つける事が出来たが、実際に攻撃を受けている猫田が気付いているとは思えない。仮に気付いていたとしても、その一瞬の隙を単独で見切るのは至難の業だろう。どう考えても、サポートは必要不可欠である。

 黒萩こはぎには強力なテレパシー能力があるので、それを使って猫田と繋がれば、それを伝える事は簡単だ。だが、黒萩こはぎのテレパシーは強力な分、制限が利かない。一度繋がれば、つまびらかとなり、全て知られることになるだろう。上司であり、婚約者である槐にも、他人と繋がることは固く禁じられている。それだけは絶対に避けねばならない為に、黒萩こはぎは二の足を踏んでいるのだった。


(口頭で伝えるしかないわね…狛ならともかく、私の言葉が猫田かれに届くか解らないけれど)


 連携を取るならば、やはり信頼し合ったパートナー同士が一番である。それが黒萩こはぎにとっての槐であるならば、今の猫田にとっては狛になるだろう。狛の言葉であれば猫田は信用して従うだろうが、黒萩こはぎのアドバイスを黙って聞くかは不明だ。なにしろ猫田は妖怪で、黒萩こはぎはその怨敵である退魔士なのだから。


「猫田さん!敵は攻撃を続けた後、動きを止めるタイミングがあります!そこを狙って下さい!」


 意を決し、ストレートに伝えてみる。これを聞く耳があるかどうかは猫田次第だが、まず聞き入れる意思があるのかを確認したいと、黒萩こはぎは考えた。


「ああ?!タイミングったって…!いつだよ、そりゃあよ!」


 全身を自らの血で朱く染めつつ、猫田は苛立つように叫んだ。しかし、それは無理もない話である。猫田はずっと熾烈な攻撃の前に反撃も出来ず、ただただ一方的に嬲られているのだ。隙があるとだけ教えられてもどうしようもないのだろう。


(それでも、私の話を聞く気はあるようね。それなら…)


 これで、黒萩こはぎの言葉に一切耳を傾けないようなら、諦めて別の手段を使うつもりであった。しかし、少なくとも猫田は反撃のチャンスがあるという黒萩こはぎの言葉を疑ってはいないようだ。ならば、まだ手はある。


「私がタイミングを伝えます…下がって!」


 黒萩こはぎは両手に霊符を構え、その内の一枚に霊力を込めて、猫田の足元、その前方に投げつけた。雷撃符は激しい電撃を放ち、眩い光が一瞬、洞窟内に走る。運よくそれに当たってくれれば御の字ではあったが、残念ながらそう上手くは行かなかったようだ。それでも、偽物の狛は追撃を躊躇い、猫田から距離を取って止まっていた。


 猫田も咄嗟に黒萩こはぎの後ろへ飛び退り、今度は黒萩こはぎが前衛になって、偽物の狛と対峙する形になった。猫田への攻撃を邪魔された事に腹を立てたのか、敵はしっかりと黒萩こはぎを見据え、憎しみに満ちた視線を投げ掛けている。

 

「おい、やるなら先に言えよ。ちょっと痺れたぞ、イテテ…」

 

「申し訳ございません、少し霊力を強く込め過ぎました。ですが、狙い通り、あれの標的は私に変わったようです。もう少し後ろへ」


 黒萩こはぎは謝りながら、クスっと笑みを浮かべている。タイミングを伝えるとは言ったものの、口頭でそれを伝えていては間に合わない。仮に黒萩こはぎが敵の止まった瞬間を見てから叫んでも、猫田がそれを受けて攻撃に出る頃にはもう遅いからだ。

 初めから、猫田自身がその瞬間を見て攻撃しなければ、到底追いつかないだろう。その為には、黒萩こはぎ自身が囮になるのが一番手っ取り早い。だが、それはリスクの大きい策でもあった。


「いいですか?あれはおよそ6回攻撃した後、一度着地して動きを止める瞬間があります。そこを狙って下さい。あの身体です、そう耐久力があるとは思えませんから、あなたの力であれば、一撃で仕留められるでしょう。お願いします」


「ろ、6回…!?バカ言ってんじゃねー、そんなにお前が耐えられるかよ。アイツは早いだけじゃねーぞ、狛ならまだしも、まともに食らったら人間じゃ一溜りも…」


「ご安心を。まともに受けるような真似はしません。出来ないと言った方が正しいのでしょうが、ともかく少しは耐えてみせます。それよりも攻撃に集中してください」


 黒萩こはぎはそう言うと、そこから数歩前に出て黒々と光るムカデに似た形の式神を展開させた。この地底へ落とされた際に使った、自身に翼を生やしたものの応用で、まるで軽鎧のように式神を身に纏っている。それは全身を覆うものではなく、あくまで弱点となる部分を集中的に守るための、生きた鎧だ。

 

 猫田は式神をそんな風に使う人間を初めて見たので、目を丸くして驚いていた。まさか式神にそんな使い方があるなど思いもよらなかったのだろう。ただ、あれならば多少の攻撃を防げるというのも、大言を吹いているわけではなさそうだ。

 猫田は少し安心して、チャンスを確実に捉えるべく意識を切り替えていった。


 猫田は人の姿のままでも、魂炎玉こんえんぎょくを使うことは出来る。変化して使用する方がより強力ではあるのだが、あまり目立つと、せっかく黒萩こはぎが囮になろうとしている策が台無しになるかもしれない。出来るだけ気配を殺し、その瞬間を待つことにした。

 左の掌に小さく魂炎玉を生みだし、手の中に隠しながら、力を溜める。あの時、神野に向けて放った熱光線が、猫田の中でもっとも素早い攻撃だ。レーザーのように撃ちだす攻撃は、あの神野ですら回避は出来なかった。それをやるつもりだ。


 偽物の狛は、それに気付くはずもなく、前に出てきた黒萩こはぎを睨みつけ、低い四つん這いの体勢になって、大きく息を吐いた。

 

(来る…!)


 黒萩こはぎがそう思った瞬間、胸に強い衝撃が走った。鎧から式神の黒い血が流れ、自分が攻撃を受けたのだとその時気付いた。傍で見ていた時よりも遥かに早く、想像以上に重い一撃であった。これでは、式神の鎧もそう長くはもちそうにない。


 咄嗟に体を屈めて、守りを固める。この威力で首などを狙われたら、猫田でなくとも一瞬でお陀仏だ。黒萩こはぎはまだ死ぬわけにはいかないのだ。誰よりも愛し、尊敬する槐の為にも。


(1、2、3、4…、今だ!)


 削られていく式神の鎧、その傷を猫田が数えていると、確かに偽物の狛が動きを止める瞬間があった。猫だけあって動体視力に優れる猫田にとって、それを見切るのは容易なことだ。すかさず構えた左手の魂炎玉から、細く、強烈な光が放たれ、偽物の狛を捉えたかに思えた。


「アハ!」


 だが、無情にも、それは嗤う偽物の狛には命中しなかった。最初から猫田の攻撃に気付いていたのではない、猫田の放った熱光線を、偽物の狛は

 

「なにっ!?」


 信じられなかった。猫田の中では最速を誇る一撃が、いともたやすく躱されたのだ。不意打ちに近いその攻撃を避けられるということは、もはや、猫田に打つ手が残されていない事を意味する。瞬間、絶望が猫田の頭を過ぎった。


「…私の目前で動きを止める瞬間を待っていました。フフッ、これで詰みですね」

 

 黒萩こはぎは笑って、一枚の霊符を起動させた。既に霊力は込められており、発動までの時間は雷撃符の電撃よりも速い。それは先程、猫田の足元に向けて雷撃符を放つ前に持っていた、もう一枚の霊符だった。


 その名は重化符…簡単に言えば、極小の重力波を生みだす霊符である。効果範囲は狭く、一瞬しか効果がないものの、込める霊力次第ではブラックホール並の重力崩壊すら引き起こす危険な霊符だ。

 もっとも、それほどの霊力を込めるには退魔士数百人分の霊力があっても足りないのだが、黒萩こはぎが霊力を込めた分だけでも、それは瞬間的に地球の重力を数十倍にしたほどの重力を発生させた。狛という人間の姿形を取っている以上、そんな重さに身体が耐えられるはずはない。偽物の狛は、一瞬にしてその重力に囚われ、関節や肉体の末端を破壊されたのだ。

  

「アッ?!」


 さすがに嗤うことも出来なくなった偽物の狛に、黒萩こはぎは式神の爪を伸ばしてその心臓を貫く。そうして、鏡映しのようだったその姿は、見る影もなく醜い怪物の死体へと変わり、時を置かずして消滅していったのだった。

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